[完結]1ーC 第7話 選んだ『下』は、どこかに消えた 後編
何度下りようとしても階段の始点に帰ってきてしまう。認めたくないナルミは、もう一度階段を下りようとした。
「もういいだろ」
そんなナルミの肩を墨染が掴む。両手を使ってナルミを引き寄せ、自分と相対させる。
「いや、いやそんな……なんで……」
動きを止められても、いまだに現状を飲み込めない。たしかに自分は、階段を下りきったハズなのに。どうしてまた最上段に戻ってきているのか。
「桃原、よく聞け。お前はこのミカンセイ空間でやっちゃならねえ事をした」
「やってはいけないことですか?」
「そうだ。いろんなことがあいまいで、不確かで、いい加減なこの世界でもな。誰にだって同一の、変わらない不文律ってモンがある」
ナルミの両肩に置かれた、墨染の手に力が入った。震えるナルミの肩をギュッと掴み、落ち着かせようとする。
「それはな、『自分で選んだ道を違えるな』だ。お前はあん時、俺の目の前で『下』を選んだだろうが。なんで『上』に来るんだよ」
「そ、それは」
「上から誰か降ってきたからだ? 『下』に行く場所の近くに落ちてきたからだ? そんな理由で、お前は道を違えたのか?」
「そう、です」
「降ってきたのは赤の他人だろうが。降ってきたヤツが階段を壊したのか? お前の進む道をふさいだのか? 違うだろう」
「いやでも」
「周りにどれだけ落ちてこようとも、何人目の前で終わっていこうとも。お前の道は消えちゃいなかっただろうが。お前は進まなきゃいけなかった。進むのを止める理由に、落ちてきたヤツを使っただけだ」
「そん……なに……そんなに! そんなにやっちゃいけない事だったなんて、知らなかったんです。僕に話をしてくれた忠芳さんは、『好きな道を自分で選べ』としか言ってくれなかった! やってはいけない事なんて、一言も言ってくれなかった!」
「……それはね、《《君が聞かなかったからじゃない》》?」
ナルミは声のする方向へ首を回す。そこには道家がいた。沈黙を貫いていた彼は、口に笑みをたたえながら、心底楽しそうにナルミの心を抉ってくる。
「そうかー色々珍しいと思ったらそういうことか。あの人と認識が合う人って稀なんだよね。トウバル君、だっけ? 君は特別だったんだね。特別な人と噛み合って、特別意地悪な人に案内されて。こうして無知を晒してる。こうして道を無くしてる」
道家は笑いながら、どんどんナルミに近付いてくる。反論する気力すら、もう湧かない。
「君は最初から間違えてたのかも知れないね。君が他人を疑いがちで、裏を読みたがるのを知ってたのかな? 忠芳さんは」
道家はナルミの目と鼻の先まで顔を近付け、人差し指を額に突きつけてくる。
「正直な意見を真逆にとらえて。ありもしない裏を考え自爆して。いつもの世界ならそれが正解かもしれないけどさ。ここはミカンセイ空間だよ?」
その声には、嘲りの色が見える。
「君さ、『いつもの常識』が、なんでここでも通用すると思ったの?」
「そんな……僕は……ただ……」
「だいたった! ちょっと痛いよゾメさん」
道家の横面にナニかが当たった。ナルミには何も見えなかったが、ナニかが風を切り、目と鼻の先を通り過ぎていったのは分かる。
どうやら墨染が投げたナニかが道家に直撃したらしい。ナルミは辺りを見回して、そう推測した。
「お前いい加減にしろよ。話聞いた限り完全に俺らが悪いじゃねーか。イジメてどうすんだ」
「いや、イジメてるわけじゃないよ。だって忠芳さんだよ? 僕じゃあるまいし、無駄な事するとは思えない。彼にあえて説明しなかったんじゃない? それを聞き出そうとしただけだよー」
「嘘つけ珍しいことになったから楽しんでるだけだろうが……ああ悪い、桃原。話戻すけどよ、今お前の状況はかなり悪いんだわ」
道家を叱りつつ、墨染は腰を折り床に手をやる。ナルミには何も落ちていないようにみえるのだが、墨染はナニかを拾う動作をした。そして見えないナニかをポケットにしまう。
「ざっくり言うとだ。お前さんは『下』を選んだ。そんで下に行かず、上に来た。そのせいで厄介なことになった」
「厄介な、こと」
「そーだ厄介だ。お前さんの選んだ先は下で、目指す先も下。なのに上に来たせいで因果が狂った。階段を下に降りるっていう選択が、上に昇ってくるって事になっちまった」
頭がパンクしそうになる。分かる事と言えば、ナルミの常識とはかけ離れた事態に陥ってしまったという事くらいだ。
「簡単に言うとね! 君が下を選んで、下に行くことを確定させた。この時点で君が行く先は下になった。なのに君は上に移動してきた。下に行くということが確定しているから、選んだ先が下であるということになる……いてて痛いよゾメさん」
道家がまた口を挟んできた。墨染が黙らせようと道家にヘッドロックをかけようとも、彼の弁舌は止まらない。
「パラドックスって知ってる? 君が今上にいるつもりでも、このミカンセイ空間は今君がいるのは下だと認識している。だから君が下に向かって下りているつもりでも、ミカンセイ空間が認識している下――つまりココ、上に着いてしまうってワケ。よって……ゾメさんギブギブ」
「だーからよ。道家お前煽らねえと喋れないんなら黙っとけ……桃原よ。お前さんがこのミカンセイ空間から出るには、下に行かなきゃならねえ」
ふざけたことをしていても、墨染の顔は真剣だ。真剣にナルミのことを心配している。
「けどよ。もうお前さんが何度階段を下りようと、絶対に出口にはたどり着けなくなっちまった」