[完結]1-C 第5話 淡く輝く赤色で
ナルミは抱え込んだ思いを、必死に押さえつけようとする。
だが、それにも限界が来た。
ナルミの心の内では抱えきれない思いが、叫びとなってあふれ出る。
「……んで……なんで人が降ってくるんだよ。おかしいだろ! ここビルの屋上だろ!? どこから降ってくるんだよ!! もうなにもわからないよ……」
人の形をした、人だったモノが、今ではナルミの眼前に倒れ伏している。
戸惑い、頭を抱えるナルミの肩に。ぽん、と誰かの手が置かれた。
「――ほら、危なかった」
「ひっ」
間髪をいれずに耳元で少年がささやいた。至近距離から発せられた声を受け、ナルミの口から悲鳴がもれる。反射的に振り返るも、背後には誰もいない。次に少年の声が聞こえたのは、振り向いたナルミの背後から。
「残念だよ」
再度ナルミは向きを変えた。声の出処は、今度も白髪の少年。
少年は一体いつの間に、階下へと通じる建物の屋根から下りてきたのか。どうやってナルミの視界に入らずに、死体の側まで近付いたのか。瞬間移動したとしか思えない少年の挙動に、無意識にひきつった笑みを浮かべてしまう。身体中から冷や汗が吹き出し始めた。
(なんだよコレ)
「乙坂直音君」
そんなナルミを無視するように、少年は見知らぬ誰かの側にしゃがんだ。
乙坂直音。もしかすると、それが落下してきた男の名前なのだろうか。少年は乙坂直音なる者の顔を覗き込むように、自らの顔を近付ける。
そして一瞬、寂しそうな顔を見せたかと思えば。
「名残惜しいけど、君とはここでお別れだ。縁があるなら向こうでまた、ね……ああ、君は憶えてやいないだろうからまた『初めまして』なのかな? アハハハハッ」
突然、腹の底から愉快そうに笑い出すではないか。少年の行動が、ナルミにはとても不気味に映る。何を考えているのかまったく分からない。
ひとしきり笑い終わったのか。少年は乙坂に手を伸ばし、彼が手に握っていたナニかを掴んだ。すると少年の細い指に触れられたナニかが、淡く輝き出した。
輝く色は、赤。まるで今空に浮かんでいる月のように、どこか暗さを含んだ赤色が、辺りに色を広げていく。
輝くナニかを手に取って、少年は立ち上がった。おかげで乙坂の手が振り払われ、ナニかがナルミからも詳しく見える位置になる。
思わず注視してしまうナニか、その正体は――
「りん、ご?」
ただのリンゴだった。
いや、ただのリンゴが輝くハズがない。そんなことはナルミにだって分かる。
だが、赤く輝くナニかは、ナルミにはリンゴにしか見えないのだ。
混乱するナルミが紡いだ言葉を、少年はしっかりと聞き取ったようだ。
「へぇ。君にはコレが『リンゴに見える』んだね?」
少年は掴んだリンゴを目線の高さに上げ、ナルミの方へと突き出した。
「え、ええ。僕には、どう見てもリンゴにしか……」
ナルミの返答を、どうやら少年は気に入ったようだ。整った顔立ちを崩し、愉快そうに笑う。
「そうかいそうかい。それはいい。それはとっても良いことだよ。君には見込みが……あるね」
「!?」
かと思えば何にも前触れもなく、手にしたリンゴをナルミに向かって放り投げてきた。
突然の事についナルミはリンゴを避けてしまう。光るリンゴに、見慣れない異物に。無意識のうちに恐怖してしまった。
ナルミは飛んできたリンゴを目で追い、大きく移動してかわす。そうしてから少年の方へ、目線を戻すと
「い、一体何を――」
「警戒心も上々。これはなかなか」
そこには誰もいなかった。聞こえてくる少年の声は、またもやナルミの背後から。一瞬で消えた少年が、ナルミの背中に手を当てている。
そして耳元でこうささやくのだ。
「面白そうだね、君」
「うわあああああああああ!」
限界を超えた恐怖心が、ナルミから理性を奪った。ただ怖くて叫びたくなって、迫る恐怖を跳ね除けたくて。ナルミは声を張り上げた。
そして見えないナニかを振り払うように、闇雲に手を振り回しながら後ずさる。
焦点の定まらない目で、怯えきった瞳で。少年から距離を取った。
そんなナルミを面白そうに見ていた少年の指先に、光が灯る。淡い赤色に光る指先を、少年はナニかを描くように振るう。するとどうだ。
放り投げられ屋上に落ちていたリンゴが、ひとりでに浮き上がったではないか。
「!? 浮いっ??」
驚いているのはナルミだけ。少年にとって、ソレはなんともないことなのか。
当たり前のように指を動かし、指の動きに連動するようにリンゴが宙を移動していく。まさか、少年がリンゴを操っているのか。
時間にして数秒。まるでそこが定位置かのように。浮いたリンゴは再び少年の手の中に収まった。
超常を目の当たりにし、ナルミの思考は停止した。自ら考えることを放棄し、浮かんだ言葉がそのまま口をつく。この少年は一体何者なのか。思ったことを問いにして、ナルミは少年に話しかけた。
「あ、あなたは一体……」
少年は一度目を閉じ、ニヤリと笑った。
果たしてナルミの問いは、思い通りだったのか、思い違いだったのか。
再び目を開いた少年の瞳は、鈍色から、暗い赤色へと変化していた。
目の色を変えた少年は、当たり前のように名を告げる。
「僕かい? 僕は――道家。案内人をやっている。『帳』の一人さ」
(目が――それにドウケ? トバリ? 道化だろうか、それとも名前か?)
聞きなれない単語に、ナルミはますます混乱していく。単純であろう情報さえ、怯えきった自分にはうまく飲み込めない。
ナルミが自分を警戒しているとでも思ったのか。道家は雰囲気を変え、軽い口調で自ら問いかけてきた。
「さて、それから?」
「……え」
「それからだよ。色々聞きたい事があるって顔に書いてるよ。気付いてないのかい?」
思わずナルミは自らの顔を両手で撫で回してしまう。さして変わったところはないようだが。
(いや、ただの比喩だろう……比喩、だよな?)
普通ならありえない事だが、この世界ではあり得るのかも知れない。今自分の顔がどうなっているか確認したいが、ここはビルの屋上だ。あたりに鏡は見当たらない。
(いや、さすがにそれはないだろ。それなら言葉にしなくてもずっと顔に浮かんでたってことになる。怖がりすぎだろ落ち着け)
分からないことばかりの世界で、恐れを抱く相手と対面し。
恐怖に覆われた今のナルミには、あらゆることが疑わしく見えてしまう。それまで当たり前に流せていた事が、どんどん滞り、寄り集まって重荷となっていく。今のナルミは、ありえないことをありえないと、断言することが出来なくなっていた。
「うーん大分まいってるね。そうも怯えられると、なんだかこっちが悪いみたいだ。ほら、スーハースーハー。そういう時は深呼吸だよ」
「す、すみません。確かにそうですよね……」
道家の助言を受け、ナルミは大きく深呼吸をする。
最初に吐いて、また吸って。
乾いたノドから毒が出ていくようだ。すこしばかり気が楽になったように思える。熱くなっていた脳も、いくらか冷めてくれたようだ。
「僕の担当はついさっき落ちて終わっちゃったからね。ゆっくり、1つずつ話してくれればい」
「(落ちて、か……)あの、それなんですが。落ちたっていうのは、もしかしてそこに死んでる人のことじゃ……」
「うん? 死んでる?」
何かおかしな事を言っているだろうか。ナルミの言葉を聞いたとたん、道家は目を丸くした。
「何を言っているんだい。《《死体なんて、どこにもないじゃあないか》》」
「? いやそこに」
道家の言っていることが理解できず、ナルミは死体を指指した。そこに転がっているではないかと、動作で示すために。
しかし指を指した先には――何もなかった。
道家が近寄りリンゴを掴み取った誰かは。
体内から黒い液体をまき散らしていたナニかは。
ビルの屋上に一切の痕跡を残さず、消えてなくなっていた。
「…………は!? いや、いや待ってください確かに! ドウケ、さんの近くにいた」
「乙坂君のこと?」
「オト……ええそうです。確かに上から、人が降ってきましたよね?」
「ふーむ。どうやら君はなにか思い違いをしているみたいだね」
心当たりがついたのか、道家は口角を上げ、笑みを作る。
「降ってきた人はいたよ。それは確かだ。そして彼は、乙坂君は落ちて終わった。ここまでは君が考えている通りさ。でも、そこまでだ」
道家は両手を広げ、どこか人をからかう仕草を絶やさない。いぶかしむナルミを中心にして、道家はナルミの周りを歩き始めた。口からはこう続けながら。
「乙坂君は落ちて終わったけれど――死んだわけじゃない。ただこの世界で終わって、消えただけ。君も元いた世界からこの世界に来たよね? 落ちた乙坂君にも、元いた世界がある。これは理解出来る?」
「それは……分かりますが」
「なら大丈夫だ。乙坂君は落ちて、挑みビトとしては終わった。終わったから、元いた世界に帰っていった。それだけさ。今は元いた世界でピンピンしてるよ」
道家はぐるぐるとナルミの周りを歩き続ける。赤い瞳でナルミを見つめ、口元には笑みを絶やさない。何か楽しみなモノを見つけたように、ナルミを値踏みするように。
(さっきの人が、生きている? あんなに勢いよく叩きつけられて、死んでるようにしか見えなかったのに。アレで生きているのか。だとしたらここに来る前に出くわした、マンションの上から落ちていった人も……死んでいないのか?)
立て続けに遭遇した、誰かと誰かの落下。そのどちらも、自分が思い描いた意味とは違ったと言うのか。自分が考えていた『当然』が、間違っていたのか。
ナルミが黙り込み深く考えている間にも、巡る道家の歩みは止まらない。ナルミの周りを回りながら、指先に光を灯す。
そしてリンゴを宙に浮かべ、漂わせながらナルミの様子を伺う。
ぐるり、ぐるり。道家の指先は、淡く輝く赤色で。振るった指が発した光は、すぐには消えず軌跡を残した。
「――そんなに深く考えなくてもいいんだよ?」
残る軌跡が消えないうちに、ナルミの周りを一周した道家が、指で跡を上書きしていく。いつの間にか、ナルミの周りを囲う赤い輪が形成された。
「ただ、君が感じている疑問を、僕に問うてくれればいい。膿を吐き出せばいいんだよ」
なぜだろう。あんなに恐れを抱いた相手なのに、不思議と警戒心が薄れていく。 視界がぼうっとぼやけ、赤い光ばかり目が追ってしまう。道家の言葉に、流されてしまう。
そうして、ナルミは心の内を吐き出していった。




