[完結]1-C 第1話 『心の清いおにいさん』
なんであの人は、地面から首だけ出して埋まってるんだろう。
なんであの人は、頭から土管に突っ込んでるんだろう。
なんであの人は、自分にミカンをぶつけてくれだなんて言うんだろう。
なにがどうしてこうなった。それがさっぱり分からない。
――――――◇◇◇――――――
かんかんと、かんかんと。規則的に響く音が、少年の意識を叩いた。
(――――見覚えがあるなここ……ああそうか)
少年が目を開くと、目の前にはどこもかしこも桃色に染まった階段があった。
階段が上下どちらにも通じていることから考えて、ここは階段の中腹辺りではなかろうか。
おそらくここは、家の近くにある20数階建てのマンション、その屋外に設置された非常階段だろう。この階段には見覚えがあるが、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。
(このドぎついピンク色の階段が、そうそうあるとも思えない)
マンションに隣接するかたちで後付けされたかのような、半ば独立した構造の螺旋階段。外周に転落防止用のフェンスが張り巡らされている上に、この奇抜なピンク色単色での塗装。帰り道にいつも下から見上げていた、あの趣味の悪い非常階段に違いない。
(場所は分かった。次は)
空の低い位置に、鈍く光る満月が見える。どうやら時分は夜中らしい。
フェンス越しに街を俯瞰すれば、色とりどりのネオンがまたたいていた。これならば、そう遅い時間でもないだろう。
彼は目線と意識を上に向けた。目を覚ましてからこちら、ずっと鳴り響いている音の出どころを見据える。
(さっきから聞こえてるこの音は……誰かが下りてきているのか?)
かんかんと、金属でできた階段を一段一段踏みしめる音がする。頭の上から聞こえてくるこの音は、誰かが階段を移動しているのだろうか。
少年が聞き耳を立てていると、音がどんどん強く聞こえるようになってきた。ということは、音をだしている誰かが、彼のいる場所へ迫ってきているということになる。
(誰かがくる)
彼が上へ続く階段に視線を送る中。
鈍く光る月を背負いながら、一人の男が下りてきた。
「よぉ。こんばんは。本日はお日がらも良く……ってやつなのかね」
「……こんばんは。もしかしてあなたが?」
「そうだな。案内人になる」
男は汚れたツナギに身を包み、ツナギと同一色の帽子を深くかぶっていた。足元を見るに、あの安全靴が階段を下りる音の発生源か。
長くちぢれた後ろ髪は、1つに束ねてくくっているだけ。雑な性分なのだろうか。
相手を値踏みするような彼の視線に気付いていないのか、もしくは気付いていながら気にしていないのか。
「案外落ち着いてるじゃねえか。こっちとしてもありがてえ」
男は階段を下りながら片手を上げ、手を振りながら彼に話しかけてくる。
「ここに来たってことは、おめーさんは選んで来たわけだ」
「分かるんですか?」
「まあな」
男は降りてくる途中で足を止め、階段の中ごろに座り込んだ。どうやら彼と目線の高さを合わせてくれるようだ。
しかし男の前髪は鼻先に届くほど長く、その目を覆い隠している。月を背負っているのも合わさって、どこを見ているのか分からない。
「巻き込まれた奴はここにはこねえ。俺のとこに来たってことは、選んだ奴ってことだろう」
同じ高さにいるはずなのに、見えているものが違う気がする。どうにも得体のしれなさを感じさせる男だ。
「それに落ち着いて見えるしな。何も知らねえところに放り込まれた奴は、そんなに落ち着いちゃいねえよ。それで終点は?」
「分かってます。でもそれで、どのように行けば」
「まあそう急ぐなよ。視野が狭まっちまうぜ」
男は大きく口を開け、不気味な笑顔を作る。男はヒゲが長く伸びて髪の毛と繋がっている上に、ヒゲと髪の毛が同じ色をしている。まるで黒い髪の毛のお化けに口が出来たようで、彼はどうにも物怖じしてしまう。
「まあお急ぎってなら手早くいこう。『選択』のお時間だ。」
「っ……お願いします」
「選ぶといっても、簡単な2択さ。上に行くか、下に行くか。決まった方向によって、関わるものが変わってくるだけ。そんで――」
男は右手の人差し指だけを伸ばし、彼に手のひらを見せるような形で上に向けた。その後流れるように指を振り下ろし、真下に向けて伸ばす。上か下か、ジェスチャーつきの質問だった。
「選んだ後は、コイントスさ」
「コイントス?」
「おうよ。こう『ピーン』と上に向かってコインをはじいてよ。片方の手の甲でキャッチ、合わせてもう片方の手をコインの上から被せる~ってやつ」
男はポケットから1枚のコインを取り出すと、彼の目の前でコインをはじき、実際にやってみせた。彼が思い描いたコイントスに相違ない。
「いいか? これをおめーさんが選んだあとにやる。おめーさんが選んだ方が表面、選ばなかった方が裏面ってことで……」
「え?」
「どうした」
「僕が選んでから、コイントスするんですか?」
どういうことだろう。コイントスはコインを投げた後、どちらが表になっているかを賭けるものではなかっただろうか。
「そうだぜ? おめーさんが下に行くのを選ぶなら、表面が『下』、裏面が『上』に行くってことになる」
「な、なら! 僕が下を選んだとして、それでコインが裏面になったら」
「そん時は、上を進んでもらうことになるな」
そんなバカな。それでは選ぶ意味があるのだろうか。選んだ方向に進むのではないのなら、自分が選ぶ意味がどこにある。不正をするのか? いやここで不正をする理由が見つからない。
分かることに分からないことを重ねられて、彼の頭の中で数々の疑問が浮かんでくる。
(上か、下か……)
「あんたはどっちに行きたい?」
不可解だ。彼の立場から見ると、この選択の意図が読めない。『上か下かを選ぶ』までは自分の自主性を試しているとして、その後のコイントスは一体なんだ? それで何を選べというのか。運に任せるだけではないのか。
(落ち着け。考えるんだ……なにか理由があるに違いない。僕に見えてないだけだとしたら、このコイントスにナニかがあるハズなんだ……)
「ちなみに、俺が関わるのは片方だけだ。もし縁があるなら、このあとも道中の案内人を俺がすることになるな」
「片方だけ……なら、もう片方はいったい」
「ん? そうだな。おめーさんが違う方を選んだら、そん時はガイド役は別の誰かになるんじゃーか? 知らんけど」
(……なんだろう、これは暗に『片方はハズレ』と言ってるのか?)
数分ほどだろうか。彼は目を伏せ悩みぬいた後、こう切り出した。
「もしあなたが僕の立場なら、どちらを選びますか?」
「俺か? 俺なら上をオススメするね」
「その言葉に、間違いはありませんか?」
「ウソついてどうするんだよ。これでも『心の清いおにいさん』を目指してるんでね」
「……わかりました。それじゃあ僕は――下にします」
限られた情報、選択肢のなかで彼が選んだのは『下へ行く』ことだった。このコイントスの理由が見えない中、彼は自分の感性を信じた。
「下か。もしかして俺がさっき上っつったからか?」
「いえ、そうじゃないです。ただここはマンションの非常階段ですし、上に昇ってもそこからどう進んだらいいんだろうって、考えて」
「まあそう思ったんならそれでいいか。それじゃ表が出れば下に行く。裏が出れば上に行く。これでいいな?」
「……はい」
「OK。んじゃよ、いくぜ――」
月が照らす、桃色の螺旋階段の中で。
男の手から、1枚のコインが打ち上げられた。




