[完結]1-B 第八話 左に曲がって×3→右に曲がると
彼が達成感に包まれるヒマもなく。
カーブミラーの表示が変わった直後、出現していたプレートが地面に潜った。
何事かと彼が視線を向けると、潜ったプレートが彼の目前に出現するではないか。
突然のことに驚いて、つい尻もちをついてしまう。
「……しまらねえ。ホンっと決まらねえ……」
こけた恥ずかしさを誤魔化すためか。彼はすこし顔を赤らめながら、首の後ろを右手でかく。
そんな彼に、彼女は拳をつき出した。拳を握った状態から、親指だけを上に伸ばしている。
「あはははは……大丈夫、カッコ良かったよ!」
「笑ってるじゃねえか! ……たくよ、なになに……?」
立ち上がった彼は仕切り直しに首を振る。そして投げ続けた肩をいたわるように回しながら、彼はプレートを覗きこんだ。近寄ってきた彼女も、彼に合わせて覗きこむ。そこには
右側のボタン:「右を押して→へ曲がる」
左側のボタン:「左を押して←へ曲がる」
と表記され、2つのボタンが並んでいる。今までにない選択肢。これなら右に曲がることが出来る。
「……変わった……!」
彼は迷うことなく右側のボタンを押した。すると足元の道路が右に動き出す。長かった左回りの一巡路から、ついに彼は抜け出せたようだ。
達成したことで力が抜けたのか、彼は脱力しその場にへたり込んだ。その間に彼女はミカンを操り、元通り制服の内ポケットへと収納していく。何度見ても慣れない光景だ。
(明らかミカンが入るスペース無いし、絶対時空が歪んでるよなアレ……)
疑問の視線を向ける彼に気付いたのか。彼女は小首を傾げながら問いかけてくる。
「? なに? すこし休んでていいよ」
「いや、なんでもない」
せっかく上手くいったのだ。分からないことをいちいち気にする必要もないだろう。
「あーー。疲れてっけど気分がいいな。やり遂げたって感じだわ」
「ひとまずはお疲れ様。でも、気を抜くのはもうちょっと先にして。まだ終わってないよ」
「そう言われてもな。後はもうこの、勝手に動いてる道路に任せときゃいいだろ? この感じだと、このまま駅まで運んでくれそうだぜ」
「いやいや、こうやって流されるまま駅に付いても、駅の入り口は閉まったままだよ?」
「なんで分かるんだよ」
「オジサンと合流する前にあそこに行ってたから。あそこは入り口だけど、今はどこにも繋がってない」
「? そういうもんなのか? なら、一体……?」
「目指す場所に、下から登る道がないのなら――」
彼の言葉を遮るように、彼女はミカンを真上に投げた。空に放たれたミカンは落下せず、一定の高度で浮遊している。もう驚くこともなくなった光景だが、それでも彼の視線はミカンに釘付けだ。
そして彼女の指先が光を灯した直後、淡く光ったミカンが前に進み始めた。
「――同じ高さから、至ればいい」
ミカンはふよふよと漂いながら前に進んでいく。彼女の手振りに誘われ、彼はミカンの後を追う。夜空に浮かぶミカンを追いかけ、彼と彼女は街を行く。
(なんだろうな……ミカンを追いかけるってのは……なんか、こう……)
納得がいかないのもあるが、それよりもどう反応したらいいのか分からない、という気持ちが彼の心の大半を占めている。おそらく自分には答えが出せない疑問を前に、どう対処すればいいのか迷っているのだろう。
この世界には、自分が知らないことがいっぱいだ。なまじ自分がよく知る世界と似ているせいで、余計に違いが目立って困る。こんな世界で自分に出来ることと言えば……
(まあ、笑って流せばいいのかね)
彼は分からない事すべてをいちいち気にする必要はないのだと、そう開き直ってみた。
――――――◇◇◇――――――
「……ここみたいね」
彼女が片手を上げ、彼に注意を促してくる。何ごとかと思えば、宙を進んでいたミカンがある建物の中へ入っていくのが見て取れた。ここが目当ての場所なのだろうか。
「こんなもんがあったのか」
『ソレ』は街並みに紛れるように建てられた、駅まで続くある建築物だった。
「明かりがまったく点いてないし、上から眺めないと分からなくてもしょうがないかな」
彼女が空を駆け上がり、探していたのはこの建物だったのか。2人が話している間にも、ミカンは先に進んでいく。入り口のすぐ前にある階段を上っていく。
2人がミカンの後ろをついていくと、階段を上った先に細長い空間が見えてきた。
(ホントに、こんなトコに道があるなんてな……)
彼の眼前には、満月に照らされる1つの道がある。
だが地面に伸びる道ではない。それは街の頭上を貫き駅に至る、一風変わった空中回廊だった。
この建物は……いやこの通路は、駅に繋がる交通路の1つなのだろうか。長い通路は直線的で、行き着く先が遠くに見える。それに加えてこの空中回廊には明かりが点いていない。さらに通路の左右はガラス張りになっているようで、ぱっと見だと街並みの上に黒い板が伸びているようだ。
「……うん、この道で間違いないね」
(こんなモンが、あの駅に続いてるってのか?)
彼女は先行させていたミカンを操り回収する。そして彼を手招きしながら、迷うことなく空中回廊に足を踏み入れた。もうミカンを先に行かせる必要はなくなったらしい。
2人が通路に足を踏み入れると、通路に備え付けられていた照明が作動した。手前側から奥に向かって、オレンジ色のライトが1つずつ灯されていく。
明かりが点いたことで、通路の全容が見て取れた。回廊全体の天井と床どちらも、白黒2色の市松模様で統一されている。上下共に同じ装飾、かつ一直線の通路を見ていると、何やら不思議な感覚を覚える。
(なんか遠近感が狂ってくるな……どこまで進んでるか分かんねえ)
彼がガラス越しに外を見れば、付近の建物の屋上が見える。どうやらこの回廊は、周りの建物の真上を通る形になっているようだ。
自分が迷い、惑い続けていた時にも、頭上にはこの空中回廊があったのだろうか。
(駅前に放り込まれた時……あん時下ばっか見て上なんか見上げる余裕なかったわ)
彼が駅にいた時のことを思い出せば、夜空は雲に覆われ、辺りの建物に明かりは点いていなかった。オレンジ色の街路灯は地面に向かってあてられていたし、他にも気がかりな事が重なっていた。空中回廊を照らすものはなく、夜空も真っ暗。下から見上げる状況では夜空の黒と同化して、うまく認識出来ずとも仕方ない。
(空飛んでた時は時で、胃の中身がグチャグチャ動きまわる感触で吐きそうになってたし。飛んでくる手にもビビリまくってたし、何かを見る余裕なんてあるわけねえわな)
逆に彼女のように空を駆け、街を俯瞰で眺めることで出来たなら。
この空中回廊が街並みを照らす光の上に覆い被さる、一筋の影になって見えたのだろう。
(物の見方が変わると、こうも違うもんか)
1人納得している彼の顔を、彼女はじっと見つめている。
「……うん、これならもう大丈夫そうだね」
何かしらの安心を得たのか、並んで歩く彼に向かって、彼女がぽつりと話し始めた。
「オジサンさ、前に『自分はマイナス思考だ~』って言ってたじゃない?」
「んお? ああ、言ったような気がするな」
「念のための、アフターケアのおまけなんだけどさ。もしかするとその考え方もこの世界に迷い込んだ一因かも知れないんだよね。だからソレ、直しましょう」