[完結]1-B 第五話 ミカンの上で踊ってる
彼は道路に寝そべり、ぼんやりと空を眺めていた。
突如目の前に現れた少女の誘いに乗り、このおかしな空間から脱出を試みる。その為にまずはどう自分が抜け出せないのかを、彼は彼女に向かって説明した。
動く道路のこと、同じ道のりを繰り返し進まされていたこと、おかしなカーブミラーと選ぶ必要が分からないボタンたち等、出来る限り細やかに伝えたつもりだ。
すると伝え終わった後彼女から返ってきた言葉は、『寝ころんでていいから休んでて』だった。少しばかり肩すかしな返答だったが、今は彼女の言うとおり、体力の回復に努めよう。
そういうわけで、彼は道路に寝そべりながら空を眺めている。
このおかしな空間に来てからこちら、空はずっと空に覆われていた。その厚い雲は風に散らされ、今では合間合間から月が顔を覗かせるまでになっている。
(あー……今日って満月だったんだな)
思えば、こうやって夜空を見上げたのはいつぶりだろうか。普段の彼は昼間、雨が降りそうか確認する時くらいにしか空を見上げていなかった。夜空なんて久しく見ていない。
自分を閉じ込めていた街並みも、降り注ぐ月明かりに照らされれば、なんだか幻想的に見える。そんな自分に、彼自身驚いていた。
(今までこんなこと考えたこともなかったなぁ……)
分断されたカーブミラーの前で、十数分ほど休憩していただろうか。そろそろ空も見飽きた。彼はもう疑うことを止め、彼女にもらったミカンの皮を寝そべりながら剥いでみる。
彼が道路に寝そべっている間、彼女はなにやら辺りを調べていたようだ。どうやら彼女には道路が反応しないらしい。彼女が道を出て近くのビルに入ろうとも、地面から壁がせり上がったりはしなかった。もしかすると、この道路が反応するのは
(俺だけなのか? 駄目なのって……あっコレ思ってたより酸っぱくて食いやすいわ)
彼はぼうっとまとまりのない思考をしながら、先ほどもらったミカンを食す。
「さて、そろそろ大丈夫?」
「ああ。だいぶ……元気になったわ」
「そ。なら1つ聞き忘れたことがあったんだけどいい?」
「なんだ?」
「オジサンがこの世界に来た時……そうね、『気が付いた場所』は、一体どこだった?」
「ええとそうだな……たしか、見たこともねえ駅の前に立ってたな」
「駅? だとすると……あっちに見えてる、あの駅?」
彼の言葉を受けて、彼女はある方角を指差した。指差す先はY字路の右側から続く道。
右側の道に街路灯が無いせいで見落としていたのだろうか? 彼女の指差す道の先には
「! そうだ、あの駅だ。なんだよこんな近くにあったのかよ!」
彼が目覚めた時、その背後にあった駅が、確かに見て取れる。自分をこのおかしな世界に誘い込んだスタート地点が、今彼の目に止まる。
「見落としてたのかも。誰だって、見てるものをそのまま認識出来るわけじゃないし」
「つってもなぁ。左の道ばっか選ばされてたにしても、あんなでかい駅見落とすか?」
「オジサンが見落としてたのなら、見落としてたんでしょ。別に悪いことじゃないよ。こういう事例には覚えがあるの。多分オジサンが帰る道は、あの駅にある」
彼女はそう言うと、自らの制服ボタンに手をかける。何をするかと思えば、上から1つずつボタンを外していくではないか。驚く彼のことなど構わず、上着のボタンをすべて外し終えるやいなや。
彼女の胸部が突然膨らんだ。
「!?」
それは男の本能か。急激に膨張した彼女の胸部に、彼の視線は釘付けにな。
一体何が起こったのかと思えば。なんと彼女の上着から大量のミカンが溢れ出てきた。
予想外なミカンの洪水に、釘付けになっていた彼の目が飛び出そうになる。
「??? ミカンかそれ!? 一体どこにそんないっぱい――」
「ミカンだもの。増えたくなる時もあるわ」
(ないだろ! ……いやあるのか?)
吐き出すものを吐き出したのか。彼女は制服のボタンを止め直し、彼にこう切り出した。
「それじゃ。そろそろ行くよ?」
「お、おう……ってドぉえええええ!?」
彼が応じるのを待たずに、彼女の指先が光を灯す。そして光る指先を振りかざし、宙に光の軌跡が描かれた。
するとどうだろう。
地面に流れ出ていたミカン達が一斉に浮き始めた。それに合わせるかのように、彼の身体も宙に浮かぶ。彼の腹部を頂点にしながら。
「なんだコレなんだコレ!? なんか腹の中身が引っ張られるような……うぇっぷ」
「吐いたら駄目だよ。ミカンで浮かしてるから」
腹部に生じる謎の浮遊感に引っ張り上げられる彼の身体。何が何やらわからぬまま、彼の腹部は上昇を続ける。うっすらと光を帯びた彼の腹部に、彼自身が驚きを隠せない。
込み上げてくる吐き気を抑えようと、彼は両手で自分の口を塞いだ。
(ミカン!? ミカンって……おいまさか)
先ほど彼女からもらったミカン。まさかあれが原因だろうか。ミカンと言われてもそれぐらいしか思いつかない。混乱している彼の目に、さらなる不可解が飛び込んできた。
「(いやふっつーのミカンだったんだけどなんでこんな)むぐぐ&%$#」
ふさいだ両手の隙間から、まばゆい光がほとばしる。彼の口からこぼれる光は、宙に浮かぶミカン達と同じ色。オレンジ色に輝く光が、彼の口や鼻からほとばしる。
「大丈夫。似合ってるよ」
「どこが“#$%&」
彼女は拳を握った状態から、親指だけを上に伸ばし、彼に向かって突き出した。
おそらく『似合ってる』というジェスチャーなのだろうが、彼には煽りとしか思えない。
「ミカンだもの。浮く時もあるわ」
「qうぇrty‘&%$#“!」
「OK? それじゃ……」
吐き気とは光をともなうものだっただろうか? もはや何を言っているのか自分でも分からない。そんな彼の発言を、彼女はどう受け取ったのか。
彼女がその輝く指を振るえば。輝くミカン達が軌跡を描き、宙を舞い、規則的に並んでいく。
宙に浮かぶミカン達の光に反比例するかのように、彼の内からこぼれる光は濁っていく。ほどなくして、空中にミカン製の足場が出来上がった。
彼女はミカンで成した足場を階段のように並べ、その上を軽やかに駆け上がっていく。そんな彼女に引っ張られるように、彼も宙を進んでいった。
一段、一段。彼女がミカンに足をかける度、ミカンたちは反発し彼女を空へと跳ね上げていく。その後ろをオマケのように付いて行くのは、顔色が悪くなってきた彼。
彼女と彼がある程度の高さに達した時、道路や街並みに変化が生じた。
(!?)
もう驚くことしか出来ない彼の視界に、多数の壁が映り込む。地面からせり上がった壁が、変形した道路が。まるで手のような形になって彼を追いかけてくるではないか。
いや、彼を追いかけるのは道路だけではない。
道路の上に張り巡らされていた電柱もその高さを上げ、電線が不規則に空へと伸びていく。伸びた電線の先もまた、人の手のような形になっていく。
道路標識、カーブミラー、果ては道路に沿うように並び立っていたビルまでもが泥のようにふやけ、硬質そうなガラスがぐにゃりと歪んだ。
そして多数の手となって、彼の背中を掴もうとする。無数の無機物からなる人の手が、彼を返せと迫り来る。
「オジサン、行っくよ!」
彼女はこの事態を予想していたのか。ある高さまで駆け上がった後は、水平方向に進む向きを変え、全力で空を走り始めた。
今まで足場にしてきたミカン達も同じ高度に移動させ、目の前に動かし続ける。彼女が踏み出す足の下に、滑りこむように並んでいくミカン達。
まるで日本式庭園に敷き詰められた飛び石のようだ。彼女は即席でこしらえた、飛び石ならぬ飛びミカンの上を楽しそうに走り抜ける。
それにともない連行されている彼のスピードも上がる。謎の浮遊感に加え、急激な横方向への加速。彼の口から何かがこぼれ落ち始めていた。
(無理無理無理無理ィィ胃、胃がああああ)
「アハハッ」
襲いかかる無機物たちは勢いを増し、彼女の進路をふさぎにかかる。それでも彼女は自らの両手を広げ、不敵にあははと笑うのだ。
浮かべたミカンたちは輝きを増し、空を自由自在に飛び回る。複数のミカンたちを操り、迫り来る交通機関、その魔の手に向かって叩き込む!
「“#$%&‘!?」
辺りに閃光がほとばしる。ミカンにぶつかったモノはみな弾け飛び、あとにはカラフルな光が残るのみ。後ろに続く彼のまわりにも複数のミカンが周回し、付け入るスキを与えない。
それは不思議な光景だった。
高速で飛び回るミカンたちが敵を砕き、道を作り。その光の軌跡をくぐり抜け、彼女と彼は空を走る。むせ返るような柑橘類の香りと、輝くオレンジ色に包まれて。
いつしか空は晴れていた。まばらにあった雲も散り、満月が街を照らしだす。
なすすべがない彼は、ただ振り回されるがまま事の成り行きを眺めているほかない。そんな彼の視界には砕かれていく街並みと、楽しそうな彼女が映る。
彼女は笑っていた。心の底から楽しそうに、思うがままに空を駆けている。
まるで今が当たり前かのように、自らの道を阻むモノを吹き飛ばしながら、前へ前へと突き進む。
そんな姿が、彼にはとてもまぶしく見えた。
(不謹慎、ってやつなのかもしれないが……)
キラキラと輝く彼女の瞳が、目当ての『ナニか』を捉えた頃に。
「オジサン! 見えたよ!!」
そんな彼女の言葉を、仕草を、躍動を。じっと見ていた彼が
「キレイだ……」
そんな言葉を、紡いだ直後。
「おrrrくぁあwせdrftgyふじこ」
彼の口からオレンジ色の吐しゃ物が流れ出て、輝きながら空を舞った。




