[完結]1-B 第四話 少女は彼の手を取って
「いやミカンって……」
突然現れた謎の少女に、彼はどう対応していいか分からない。何をするでもなく手を動かし、どうしようもなくうろたえてしまう。そんな彼の様子を見たからなのか
「……ずい分疲れてるみたい」
彼女はつかつかと歩いて行き、道の脇にあった自動販売機で何かを買った。そして買ったナニかを、彼に向かって投げ渡す。
「疲れた時には、はいコレ」
「っと……ってコレは」
「みかんジュースよ」
「それは見りゃ分かる」
彼が手に取ったのは、アルミ缶に入ったみかんジュースだった。
「今すぐ飲んで」
「なんで? いやありがたいけど」
「いいから飲む」
「あのさ、俺あんまし甘い物は」
「の・む・の! いい?」
「ハイ……」
彼は明らかに年下な、10代であろう少女に気圧される。まっすぐに直視してくる彼女の瞳と迷いのない発言が、どうやら彼にとてもよく響くようだ。
言われるがまま、彼はみかんジュースを飲んでみる。するとどうだろう。
不思議と身体から疲れが抜けていくようだ。すり減っていた心にも、なんだか余裕が戻ってきた。
「美味い……」
心が落ち着いてきたことで、先ほどの衝撃がうすれたのか。彼は大事な事を思い出した。
「……あ! そうだこんなゆっくりしてられねえんだよ! 聞いてくれ、いきなり会った奴に言われても、そりゃ分かってもらえねえかも知れねえけど。でもホント俺困ってて、なんとかしてここから抜け出したくてよ。今後ろから俺が俺を追いかけてきてて――」
「大丈夫」
「そうだろ意味分かんねえだろ? 俺も分かんねえんだけどそれがどうしようもなくってよ! この道から出ることも――」
「だから大丈夫」
「出来ねえんだよ。君がどうやって来たのか分かんねえけどさ、よかったら――」
「だーいーじょーおーぶ!」
「ああそうだな、大丈夫だな……って、大丈夫?」
「うん、大丈夫。もう誰も来ないわ」
「なんでそんなこと言い切れ――」
「こ・な・い・の! ハイ次!」
「ハイ……」
とにかく押しが強い子だ。ズカズカと割り込んできて、竹を割ったようにさっぱりと言い切る。
ともすれば目上の人に対して失礼な態度にあたるのだろうが、彼は不思議と不快な気分にならない。彼は彼女に困惑こそすれ、少しも嫌悪を感じない。
不思議な雰囲気の彼女にも、そう感じる自分にも。彼は内心驚いていた。
「君って、すごいズカズカくるなぁ」
「性分なもので」
「そうだな、いや悪いとは思わねえよ? なんかこうやって人と話せるだけでも嬉しいわ。俺もそういう子の方が楽でいい」
「そう感じるってことは、上手く噛み合ってるんだと思うよ。多分だけど大きなズレもなく、しっかり認識出来てるんだと思う」
「?」
「ああこっちの話ね……うん、大丈夫。多分オジサンとは『噛み合ってる』から直球で大丈夫だと思うんだ。だからさっくり言うよ」
彼女はそんな彼の様子を見て、何かを確認出来たようだ。
「オジサンは今、不思議な空間に迷い込んでしまっているの。それは自分で体験したから分かるよね?」
「ああ……まあな。普通じゃねえことは十分分かってる」
明らかにここは普通じゃない。自分がいた世界の常識が通用していない。
それに関しては疑う余地が無いことを、彼は身を持って学んでいる。
「私の役目は、オジサンみたいにこのおかしな世界の迷い込んでしまった人を、元いた場所へ送り届けることなの。だからこれからオジサンを、元いた世界まで案内しようと思う。ここまで大丈夫?」
「ああ……ってホントか!? ここから出してくれるのか!?」
「うん。そのために私はここに来たんだよ?」
「ありがてえ……もう駄目かもって思ってたところでよ……」
もう自分はここから出られないんじゃないか。そう思っていたところに湧いた希望に、彼の目から涙がこぼれた。だがそれと同時に疑問も生じる。
「でもよ、俺も俺なりにどうにか抜け出せねえかと色々やってみたんだわ。でもどぉーしてもこの道から抜け出せなかったんだ。このクソッタレな道からよ、一体どうやったら抜け出せるっていうんだ?」
「どうやってもなにも……」
彼女は右手の人差し指を伸ばすと、彼に向かって突きつける。彼の視線を集めた後、分断されたカーブミラーの方へと腕を動かし、視線を誘導した後こう答えた。
「ついさっき私その道の外から来たんだよ?」
「……あ」
言われてみればそのとおりだ。彼女は彼が知らないどこかから、彼の目の前に現れた。ならば彼女が彼の知らない抜け道を知っていてもおかしくはない。つい無意識に自分と相手が同じ境遇、同じ認識でいると勘違いしてしまった。
「あははっ。大分お疲れみたいだね」
年下に笑われてしまった。それも陰湿なものではなく、からからとした明るい笑顔で。
何の悪意も感じない笑い声。それが彼には嘲笑よりも恥ずかしく、顔がほのかに赤らんだ。そんな恥ずかしさを誤魔化すように、彼は彼女に悪態をつく。
「い、いや待てよ。入ってこれても簡単に出れるとは限らねえだろ? それだけじゃ君を信じるには足りねえ気がするんだわ」
「それは確かに。それは信じてもらうしかないか……今の私は、オジサンの『案内人』だから。アナタを助ける為にここに来た。だから私を信じて。これじゃ駄目?」
そう言いながら彼女は笑った。くたびれて、今まで生活でひねくれた。そんな彼に向かって、彼女はとても無邪気に笑うのだ。
こんなにもまっすぐに感情をぶつけられたのは、一体いつ以来だろう。嘲笑ではない、久しく忘れていた笑顔を向けられて、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「頼って、いいのか……?」
「だーかーら、頼ってって言ってるじゃん。いいからそう言ってるんだよ?」
「いや、こう、あれだ。何か裏があるんじゃ……? だって君になんの利点が――」
「ええいまどろっこしい」
煮え切らない彼の対応を見かねてか、彼女はある行動に出た。自ら頭の上に置いていたミカンを手に取り、彼に向かって突き出すや――
突然ミカンが光りだした。
「どわぁ!?」
「このとおり、私は今のオジサンに出来ないことが出来ます。だからあなたを助けることが出来ます。OK?」
「いやそれ論理的に繋がってな――」
「あなたは今! 抜け出したいの!? 抜け出したくないの? どっち!?」
「抜け出したい、デス」
「ならそれでいいじゃない。何に迷ってるの?」
彼女はそう言いながら、彼に向かって右手を差し出す。この手を取れと握手を求める。
正直なところ、自分だけではこの現状を打破出来ない。最悪な状態なのは自分でも分かる。 今彼女の誘いを断っても、自分にリターンはない。最悪な状況は変わらない。
ならば誘いに乗るか? 例えここで彼女に裏切られようとも、この道から抜け出せる可能性に賭ける。その方が、リターンがある分マシなのではなかろうか。
(……つっても、多分そういう打算で考えてないだろうなぁこの子……何時ぶりだろうな……)
ここ最近、彼は自分を頼りに生きてきた。
日々の暮らしの中ですっかり忘れていた、損得だけで考えない誰かの助け。
見返りを求めないという相手を、疑わずに頼るという選択肢。馬鹿のすることだと思っていたソレを、自分には縁がないものだと思っていたソレを。
誰かの差し出す手を取ることが、今の彼には許されている。
ならば、今差し出されているこの手を取っても、信じてみてもいいのだろうか。
「……そうだな……もう俺1人じゃどうしようもなかったしな…………よし。それならよ、助けて、もらっても……いいかい?」
「もちろん。これにて承りましたっと」
彼は差し出された手を、ためらいがちに握りしめた。
こうして彼と少女は握手をした。久方ぶりに触れた他人の手は、思っていたより温かかった。
今度は彼女だけでなく。
彼も自然と笑っていた。
「了承の証に……オジサンポケットにでも『コレ』入れといて……ああ別に食べてもいいよ」
彼女は制服の上着の内へと手を入れ、何やらオレンジ色の物体を取り出した。そして取り出したナニかを彼に手渡す。手渡された物、それは……
「なんでミカン?」
何の変哲もない、ただのミカンだった。




