[完結]1-B 第三話 自分に追いつかれる前に
どういうことなのだろう。
自分が追いかけていたハズなのに、いつの間にか追われる立場になっていた。
自分は自分だけではないのか。なぜ自分に追われているのだ。
自分に声をかけられても、一体なんて答えればいいのだ。
自分に追いかけられる経験なんて誰があると言うのか。
何よりも今言いたいのは
「なんで俺が2人いるんだよ!?」
叫ばずにはいられなかった。後ろを振り向くよりも、今は前へ。走り続けた彼は最初に左へ曲がった交差点の前に、あのオレンジ色のカーブミラーの前にたどり着く。
乱れた息を整えながら、今はとにかく頭を回す。
(落ち着けよ、落ち着けよ……俺を追いかけてた時、俺はなんて考えた!?)
自らの額に拳を当て、何かをひねり出そうとする。
自分に追いかけられるなんて今まで考えてもみなかった。混乱した頭ではなかなか答えが出せない。
(たしか『同じように左に向かってるハズ』って考えてたわ。間違いない。なら俺がやることは――)
自分の裏をかくことだ。
直近の方針が決まった頃になって、彼に遅れて道路がカーブミラーの前へと到着した。それに伴いプレートも地中から顔を出す。
彼には地面から出てきたプレートに目を向けた。今回も書かれている表記は
左側のボタン:「左を押して←へ曲がる」
右側のボタン:「右を押して←へ曲がる」
の2つ。
彼は前回押した時とは違い、右のボタンを押してみる。すると書かれている表記通り、道路はT字路を左に動きはじめる。
(くそっやっぱ左に行くのかよ!)
どちらのボタンを押そうが、表記に従って左に曲がってしまう。だからこそ、自分を追いかけていた頃の自分も、左に行き続けていると考えたのだ。
(どうすればいい!? このままじゃ……)
しきりに後ろを振り返るも、自分の姿は見当たらない。まだ時間に余裕があるのか。彼は走るペースを落とし、動く道路から離れすぎてないペースで先を急いだ。
次に道路が止まったのは、前回と同じ十字路。ここで選べる3つの選択肢もすべて『左に曲がる』しかない。
その次にたどり着いた交差点もまた、前回と同じ。
そしてあの狭い道に入り、Y字路で左に行かされて、また最初の交差点へ戻る。2周目も、3周目も。
事ここに至って思い知る。彼は進み続けて戻り続けるこの回り道に、完全に囚われていた。
(分かってもどうしようもねえじゃねえか。止まって考えることもできねえ)
自分の裏をかくためには、このずっと左に回り続けているこの渦から抜け出せばいい、それは分かる。だがどうすれば抜け出せるのかが分からない。
彼は出来る限りの試みにでる。だがその尽くが失敗に終わった。
交差点ごとに出てくるどの選択肢を選んでも、必ず左に曲がってしまう。ボタンを押さずに動く道路から自力で走り抜けようとしても、地面がせり上がり壁となる。どうしてもこの壁が越えられない。
抜け出せない流れに身を任せ、いつ来るとも知れない自分に怯える。不可解で不条理な状況に、彼の精神はすり減っていく。
(くそ、くそっ、くそ! どうすりゃあいいんだよ!? 何を一体どうしたら今が変わるってんだ!!)
はやくしないと。早く抜け出さないと。さもないと
「はやくしねえと自分が自分に追いつかれちまうだろうがぁああああああ!!」
彼の叫びは、一体誰に届くのか。届くとしたら誰にだろうか。
もしかしたらこの声は、自分を追いかける自分にさえも届かないかもしれない。そこまで思考が巡った時、彼はふと考えた。
(なんで俺は自分から逃げてるんだ……?)
自分に追いつかれた時、今の自分はどうなってしまうのだろう。なぜかえも言われぬ恐怖を感じ逃げ出したが、もしかしたら逃げなくても良かったのではないか?
(別にドッペルゲンガーでもあるまいし、自分と喋ったからって消えるわけ……)
ないかもしれないし、消えるかもしれない。
分からない。そんなこと分かるわけがない。
ここで自分を待って自分に追いつかれて。そうして自分と話してみたとしよう。
もしかしたら何も起こらず、うまくいけばこの流れから脱出するアイデアが閃くかもしれない。
(でもよ)
でも、一度試してもう駄目だったら? 自分に追いつかれた瞬間、今の自分がいなくならない確証なんてどこにもない。もし消えてしまったら、そこからやり直しなんて効かないだろう。消えてしまった自分を、自分はどう認識すればいいのだ。
(落ち着きてえ……っぁあ頭に酸素、回ってねぇ……ッ!)
頭の片隅では分かっている。今の自分は被害妄想が飛躍しているのだと。走り続ける内にどんどん苦しくなってきている。胸が苦しい、身体はとっくに音を上げている。
止まって一度この濁り始めた思考を整え直したい。しかしそんな思考を、『今止まると自分に追いつかれるかもしれない』という、得体のしれない考えに上塗りされてしまう。今の彼は、自分で自分を縛ってしまっている。
「ぁぁアあああああああああああ!!」
相手は自分だ。走る速さも限界も、自分が一番分かっている。こうして走っている限りは自分に追いつかれることはない。悩みを捨て、走り続けることにだけ集中すれば、なおさら距離を取ることが出来るはずだ。
だけど、いつまで。
いつまで同じところを回り続ければいいんだ?
他の道を選ぶことができない。どんどん苦しくなってきている。もう限界が誓いのだろう。後ろの自分は自分に追いつくことしか考えてない。こんな悩みを抱えていない。こんな重荷を、背負っていない。
自分の足では。自分の力だけでは、自分からは逃げきれない。
呼吸が荒い。うまく空気を吸えない。苦しみが足を鈍らせる。
(もう、無理だ……)
彼が歩みを止めたのは、初めて自分に出会ったY字路の手前だった。もう立っていることも苦しくなり、崩れるように地面へ倒れ伏す。
もう、どうしようもない。この道から外れることも、前に進む事もできない。こうして止まっている間にも、後ろから自分が迫ってきているのだろう。
(もう俺には、ワケ分かんねえよ……)
倒れ伏す彼を、動く道路はさらっていく。倒れ伏したままカーブミラーの前まで、せり上がるプレートの前まで押し流していく。
自分にはもうどうしようもない。そう思い知った彼の口から、1つの言葉がこぼれ落ちた。
「誰か……」
直後、彼の目前でオレンジ色の閃光が煌めいた。
「ッ!?」
『ソレ』は何かが軋み、ねじ曲がるような異音を伴い現れた。彼が眩しさに目を背け、もう一度前を向き直すと。
目の前にあったオレンジ色のカーブミラーはまるで縦に割かれたかのように分断されていた。
「あ、あぁ!?」
それだけでも驚いてしまうのに、予期せぬ出来事は彼の都合など待ってくれない。
分断されたカーブミラーの上に、見知らぬ少女が立っていた。
どこの学校だろうか? 見知らぬ制服を来た学生らしき少女は、ただじっと彼を見つめている。彼女はその整った顔を少し歪ませ、何事か思案している。
(なんで)
数秒ほどのち、何か得心がいったのか。ぽん、と自らの手を叩くと、彼女は分断されたカーブミラーから飛び降りた。
制服のスカートや首に巻くオレンジ色のマフラー、それに彼女の長い黒髪が風にさらされ翻る。
(なんで……)
「……たぶんオジサンが中心かな」
彼の叫びは、一体誰に届いたのか。もし届いたとしたら、聞き届けたのは誰だろうか。
「アンタは、一体……?」
「私?」
まるで彼の言葉を待っていたかのような、そんなタイミングで現れた彼女は。
「通りすがりの、ただのミカンよ」
彼女は、頭の上にミカンを乗せていた。