[完結]1-B 第一話 左に曲がって×4
いつもの列車に乗ったつもりが
(ここはどこだ)
ふと気がつけば、彼は見覚えのない場所に立っていた。
(……落ち着け。いくら疲れてるからってこれはやばい。もう一度考えろ。思い出せ……)
世間一般におけるブラック社員である彼は、今日も遅くまで会社に残り、残業扱いにならない残業をこなしてきた。
連日の寝不足で頭がハッキリしないが、さすがにどうやってここまでたどり着いたのか、思い出せないのは異常だろう。
(そうだな、たしか……)
彼は毎日の通勤に列車を利用している。グチをぼやきながら駅まで歩き、駅内にある自動販売機で無糖コーヒーを買う。そして帰りの列車が来るのを待つ間に、買ったコーヒーを飲み干す。
そして列車が駅に着いたなら。中身を飲み干し、代わりに恨み辛みを込めた缶ジュースを、思いきりダストボックスに向かって投げつける!
これが最近の日課だ。
(いつもの駅には、ちゃんと歩いていって着いたんだよ。それでホームに向かって……)
今日はいつもと様子が違っていたように思う。彼がホームに上がった時には、既に列車がホームに止まっていた。さらに目の前で発車ベルが鳴り始め、急いだ彼は自動販売機に寄ることもなく、止まっていた列車へ走りこんだ。
(そうだ、今日はあのコーヒー買う暇がなくて、そのまま乗ったんだよ)
疲れていた彼は席に座ると、あたたかい列車内の空気にあてられたのか、すぐに眠くなり……
目が覚めたら知らない駅に降り立っていた。
(とりあえずここはどこなんだ)
彼はまず後ろを振り向き、自分がどこの駅で下車したのか確認しようとした。
だが駅の方を振り返ってみても、すでにシャッターがおりている。自分はどれだけ眠りこけていたのだろう。
仕方なく駅から距離を取り、建物の外装に浮き出ている駅名を見上げてみる。
そこにはこう書かれていた。
「『一巡』……? なんて読むんだ?」
周りを見渡せば、自分以外は誰もいない。建ち並ぶ街並みを見やるも、どこの建物にも明かりが点いていない。
街を包むのは、いやに明るい自動販売機の明かりと、等間隔に並ぶオレンジ色の街路灯くらいのものだ。
「どこの田舎だよ」
とりあえずポケットから携帯端末を取り出してみるが、いつの間にか電源が切れている。スイッチを押しても、電源が入る様子はない。
「なんで電源入らねえんだよ……!」
急いで袖をまくり、腕時計を確認する。さらに辺りを見渡し、見つけた時計も確認する。
だがしかし。彼の腕時計も、駅前にある時計も。
どちらも同じ時刻を指し示したまま、その刻みを止めていた。停止した時刻は、01:01。
ここがどこかも分からない、今が何時かも分からない。携帯端末は電源すら入らない。未知なことばかりが増えていく。どうすればいい。
こういう時は地元の人にでも聞ければいいのだが、人っ子一人見当たらない。駅前なのにタクシーが一台も見当たらない。そもそも道路を走る車すら一台も見つけられないのだ。
(あーイライラするわ)
彼は右手を自らの首にあてる。寝ちがえでもしたのか、みょうに首が痛いのだ。いろいろなことが合わさって、彼をどんどん苛立たせていく。
「こんなんで……どうすりゃ帰れるんだよ」
その言葉が『ナニか』の引き金になったのだろうか。
「!?」
彼の立つ足元が、突然意思を持ったかのように動き出した。
急いで足元を見ると、彼のいる場所だけでなくその周囲の道路ごと、駅から離れるように動き始めたではないか。まるで一帯が動く歩道にでもなったかのようだ。
「な、なんだぁ!?」
街に歪な光が灯る。彼は道路に流されるまま、先へ先へと進んでいく。
「なんだコレなんだコレなんだコレ!?」
なんだこれは。これは自分が見ている夢なのだろうか。だがこの体の痛みも、肌に感じる空気の冷たさも、夢にしては現実的に過ぎる。
彼がどう思っていようが、道路は彼を待ってはくれない。突然進み出したかと思えば、止まるのもまた突然。
「うわっ……止まった……?」
駅前から直進を続けた道路は、T字路に差し掛かったところでいきなり動きを止めた。前につんのめりそうになりながらも、彼は右足を前に出し体を支える。
道路が止まった先は、複数車線が連なるT字路になっていた。そのT字路もまた、道路と同じく『普通』ではない。
(なんだ、アレ)
平時なら車が通行している場所、道路のド真ん中に一本のカーブミラーが設置されていた。形状は一本の直立したポールに、進行方向ごとに対応した鏡面が付属している、どこにでもあるカーブミラーに見える。だが
(いや、カーブミラーでいいんだよな?)
形状はカーブミラーのそれだが、肝心の鏡部分がおかしい。本来なら鏡面になっていないといけない部分が、丸い電光掲示板になっている。
そして電光掲示板に表示されている記号が、またおかしい。カーブミラーに対面した彼から見て、右側のミラーにも、左側のミラーにも。
「なんでどっちも左なんだ?」
どちらにも『←』の矢印が表示されているだけなのだ。
彼がどう判断したらいいのか迷っていると、突然目の前の地面にヒビが入った。足元ばかりで続けて起こる異変に驚いた彼は、不格好に飛び跳ねながら後ろへ下がる。
「今度はなんだよ」
彼の動きに遅れて地面の下からせり上がってきたのは、一本のポール。いや、ポールに支えられた一枚のプレート、と言った方が適当だろうか。
(出っ張ってるのスイッチか? これ)
彼が注視すると、せり上がってきたプレートには
「『進みたい方向に対応するボタンを押してください』だぁ?」
そう文字が書かれていた。さらに文字の下には2つ並んだボタンが見える。ボタンの色はどちらもオレンジ、書かれている表記は
左側のボタン:「左を押して←へ曲がる」
右側のボタン:「右を押して←へ曲がる」
「……どっちも←じゃねえか! 選ぶ意味あるのかコレ」
とは言え、だ。動いていた道路が止まり、その後にこのプレートが現れた。状況から見るに『ここから帰りたければこのボタンを押せ』、ということなのか?
どちらのボタンを押すにせよ、結局は左に曲がるのだろう。ならば左の方を押せばいい。そんな軽い気持ちで、彼は左側のボタンを押した。
「おぉっ!?」
止まっていた道路が再び震え、前に向かって進み始めた。先ほど地面から生えてきたボタン付きプレートも仲間に加え、新たな道へと道路は進む。
「どういう仕組みなんだか……」
いくらか道をまっすぐに進んだあと、道路は再び動きを止めた。
道路の真ん中にカーブミラーが立つ、おかしな交差点。今回止まった場所は十字路のようで、道は三方向にひらけている。
カーブミラーに付属する鏡面も、今度は3つ。左、中央、右への三方向に対応している。鏡面どれもが電光掲示板になっていて、すべてに『←』と表記されているところは今までと同じなようだ。
新たに道中に加わった、ボタン付きプレートが地面に潜る。
再び地面から生えてきたと思えば、なにやら選択できるボタンが増えていた。
左側のボタン:「左を押して←へ曲がる」
中央のボタン:「真ん中を押して←へ曲がる」
右側のボタン:「右を押して←へ曲がる」
「……いやこれ増えたところで←しか選択肢なくねえか……?」
先ほどと同じく左側のボタンを押す。すると道路が動き出し、左の道へと進んでいく。これも、先ほどと同じ。
道路が進み、また止まる。今回道路が止まった交差点には進路が4つあった。道路の中心に例のおかしなカーブミラーがあり、今度は鏡面代わりの電光掲示板が4つ付いている。だが相も変わらず、すべての電光掲示板には『←』の表示があるのみだ。
地面に潜ったのち再び出てきたプレートも、ボタンが4つに増えていた。たしかにボタンが増え、選択肢は増えたが……
左から1番目のボタン:「1を押して←へ曲がる」
左から2番目のボタン:「2を押して←へ曲がる」
左から3番目のボタン:「3を押して←へ曲がる」
左から4番目のボタン:「4を押して←へ曲がる」
(結局同じじゃねえか!!)
結果が同じ『←へ曲がる』なら、選ぶ意味があるのだろうか。先ほどのボタン選択時と同じ疑問が、彼の頭の中でふくらんでいく。
左から1番目のボタンを押すことにした。すると再び地面が動き出し、道路は左へと進んでいく。
今度の道には変化があった。大通りから裏路地にでも入ったのか、道幅が一気に狭まった。このせまさでは車がすれ違えるかどうかもあやしい。
(これでどこにたどり着くんだか)
わけが分からない道路に運ばれ、意味の見えないボタンを選ばされ。
彼が流されることに不満を感じだした頃、彼の目はこれまでとは違う『変化』を捉えた。
(ん? あれは……)




