[完結]1-A 第8話 変動的な抽選器
2人はその後、数々のデコポンの魔の手をすんでのところでくぐり抜け――大空洞、その終点にたどり着いた。
空洞の終点は蛇腹のようにうねっていた道中とは違い、垂直な壁になっている。色も統一感がある白黒2色の市松模様。そして壁にはハシゴが備え付けられている。ハシゴがどこに続いているのかと、視点を上に動かしてみれば。
(また穴か……)
どうやら空洞の端から真上に伸びる縦穴があり、ハシゴはその中へと続いているようだ。縦穴は空洞と比べて狭く、2人が乗るミカンではこれ以上進めそうにない。これでは1人ずつ順番に並んで、自分の力で上っていくしかないだろう。
「ふぅ……」
彼女は小さく息を吐きながら、ミカンをハシゴの側まで近付ける。それにあわせてオレンジ色に染まっていた髪が、もとの黒色に戻っていく。
(なんか疲れてるみたいだな)
ハジメが見ても分かるほど、彼女は少し疲れているようだ。
自らを見つめるハジメに気付いたのか。彼女はハシゴを指差しこう言った。
「……ここで間違い無さそうね。高梨君、先に上がって」
「えっ。いや、いいよ。先に昇りなよ」
「暗さや安全確認なら問題ないわ。先にミカンを飛ばすから」
彼女は懐からミカンを1つ取り出し、光を灯した。発光するミカンはゆるやかに上昇していき、縦穴の中へと飛んでいく。さしづめ縦穴内を照らす灯り代わりといったところか。
「いや、先に上るのが怖いとかじゃなくてさ。別に後でもいいってだけで……」
「いいから。はやく上って」
「ハイワカリマシタ」
彼女は何に怒っているのだろう。ハジメは首をかしげながらハシゴを上っていく。縦穴の中に入って、ちらりと下を覗いてみれば。彼女がすぐ下を上ってきているのが見えた。
(……すぐに上ってくるのなら、別に先でもよくないか? …………あっ)
ハジメは今さらになって気付いた。ハシゴの上り下りは両手両足を使う作業だ。そして彼女はスカートを履いている。つまり……
(んなこと言われないと分からないって。察しろってことなんだろうけど)
それに彼女は疲れている様子だった。ミカンを操って体力を消耗したのかもしれない。彼女は自身の疲弊を把握し、自分が上るのが遅いことが分かっていたのだろう。だからハジメの邪魔にならないように、後から行くと言ったのではないか? そこまで思考が進んだ時点で
(馬鹿だなー俺。そりゃ怒るよな……ずっと助けてもらってばかりだし……)
ハジメはまるで気が利かない自分が情けなくなった。先ほどまでよくしゃべっていた彼女が、ハシゴを上り始めてから途端に押し黙っている。そんな今の状況こそが、この考えがあたっている証ではないか。
申し訳無さに顔をゆがませながら、ハジメは黙ってハシゴを上っていった。
――――――――――◇◇◇◇◇――――――――――
数分ほどハシゴを上っただろうか。2人を先導していた、光るミカンの動きが止まった。
停止したミカンとの距離が縮まるうちに、ハジメの視界はハシゴの終点を見定める。ハシゴの先に、なにやら金属製の壁が見える。なるほど、あの壁にぶつかったせいでミカンの動きが止まってしまったようだ。
ハシゴを昇るにつれ、2人は道を阻む壁に近付いていく。どうやら穴の外周部と金属製の壁はすこし材質が違うようだ。もしかするとあの金属製らしき壁は、道をふさぐ壁ではなく
「なにかのフタか……?」
そんなぼやきを、彼女は聞き届けたのか。ハジメの真下からオレンジ色の光が溢れてきた。
「……高梨君。ちょっとハシゴに張り付いてて。頭上げないでね」
「は? はぁ!? ちょっちょっちょっ待っ――」
急いでハジメがハシゴに張り付いたのとほぼ同時に。
ハジメの後方をオレンジ色に光るナニかが突き進んでいった。
光るナニかの軌跡を追って、ハジメが急いで見上げてみれば。
オレンジ色に輝く光の尾を引きながら、ナニかが縦穴を突き進んでいく最中だった。あのオレンジ色は間違いない。彼女が自らのミカンに力を込めて投げたのだ。
ミカンはあっという間にハシゴの終点、金属製らしきフタに迫るや――障子紙を貫くように、フタを軽々と吹き飛ばしていった。あらかたの破片は外部に向かって吹き飛んようで、縦穴内に降ってきたのはかすかな破片のみ。
だとしても彼女がとった行動は、ハジメにとって突然に過ぎた。文句の一つも言いたくなる。
「……危ないな!」
「ちゃんと当てないから大丈夫よ。それよりどう? なにか見える?」
不満をたれるハジメの顔に、穴の向こう側から何やら光が差し込んできた。
どうやら彼女がフタを吹き飛ばしたおかげで、穴の向こうにある空間から差し込んできているようだ。
(――? なんだ?)
暗い縦穴を上っていたハジメにとって、その光は目に刺さる。一体何が光を放っているのだろう。ハジメは目を細め、片手をまぶたにあてながら上を見上げた。
(……月か? ならこれって)
ハジメの視界が最初に捉えたのは――月だった。月が見えるということは。
たまらずハシゴを駆け上がり、穴の外へと顔を出す。
まず視界に映ったのはアスファルトだった。ハジメは上半身を外に出し、腰をひねりつつ首を左右に振り回す。どうにも周囲はアスファルトに覆われた道路で間違いなさそうだ。
次に近くを確認すれば。自分が這い出た穴の縁は金属製の輪で区切られていて、フタがあった名残が見える。
(なるほど、ここにマンホールのフタがあったんだな)
今までとは違い、この景色には馴染みがある。ある種安心にも似た感情を抱きながら、ハジメはハシゴの一番上の段を足がかりに、一気に地上へ這い上がった。
最初に感じたのは肌を撫でる風の冷たさ、鼻に刺さる寒い空気。続いてアスファルトの地面を踏みしめ、辺りを見回し確信する。ハジメは地上に帰って来ることが出来たのだ。
「外だー! ……ってなんだアレ」
夜空に向かって両手を伸ばし、身体も伸ばして人知れずバンザイポーズを取る。そんな喜びを身体であらわすハジメの視界に、早速怪しいものが飛び込んできた。
(明らかに怪しい……)
道路の真ん中に、異彩を放つナニかがある。この怪しさは、この世界にまつわるものだろう。
(こういう怪しいものは、まず彼女に確認を取った方がいいな)
ハジメは後ろを振り向き、縦穴から彼女が上がってくるのを待った。
しかし彼女は穴から出てこない。穴から首だけを出したまま、じっとハジメを見ているだけ。
「ん」
気付かないハジメに業を煮やしたか、彼女はハジメに向かって手を伸ばす。
「? えーと……」
それでもハジメは気付かない。頬を指でかきながら困惑を顔に浮かべるだけ。なぜだかハシゴを昇り始めたくらいから、彼女の様子が変わってきているような気がする。突然の変化にハジメの思考が対応できない。
「ん!」
彼女はもう一度手を伸ばす。軽く手を振り、何かを察しろと語気を強めた。
「(? …………!)あー」
遅れること数秒、やっとハジメは察することが出来た。急いで駆け寄って彼女の手を取り、できるだけ優しく引っ張り上げる。握った彼女の手は思っていたよりも小さく柔らかかった。
「ありがと」
彼女は満足気に笑みを浮かべながら礼を言い、汚れを払い衣服を正す。特に気にしている様子もない。なぜだか湧き上がる悔しさを誤魔化すように、ハジメは彼女に話を振った。
「さっそくで悪いんだけど……アレ、なんだと思う?」
ハジメが指差す先には、この場にあるには不自然すぎる物があった。
折りたたみ式のテーブルの上に、抽選器らしきものが置かれている。金属製の脚で多角形の木箱を持ち上げ、木箱側面に付属している取っ手を回すことで箱全体を回転させ、中に入っている球を吐き出させる仕組み。商店街のくじ引きで見かける、よくある抽選器に見える。
抽選器だけなら別段おかしくもないのだが、あいにくと場所にそぐわない。
なぜなら左右に建物が立ち並ぶ街並みの、しかも道路のど真ん中に置かれているのだ。この世界にさんざん振り回されてきたハジメには、どうにも怪しい物に見えて仕方がない。
ハジメの問いを受け、彼女が抽選器に近寄って行く。
「うん? ……これは新井式回転抽選器ね」
「そんな名前付いてたのかコレ。いっつもガラガラって呼んでた……じゃなくて! なんでんなものがここにあるのかってことが問題なんだよ。こんな道路の真ん中にさ、いかにも『回してくださいね』みたいに置かれてるのってさ。あまりにも怪しくない?」
「高梨君。その考え方は罠よ。見事にはまっちゃってるわ」
彼女は人差し指だけを伸ばし左右に振る。『分かってないなー』というジェスチャーだろうか。
「逆なの。回し辛い位置に設置することで、誰でも回せるのに回す人を選別出来ているのよ」
「怪しがって誰も回さなくなるってことか?」
「……誰も、というよりこの高梨君なら回さなくなるってところじゃないかな?」
「? それってどういう――」
「まあまあ。この世界で細かいこと気にしてもしょうがないしょうがない」
疑問を浮かべるハジメをなだめながら、彼女はゆっくり近付いてくる。
何をする気かと思えば、いきなりハジメの手を握ってきたではないか。驚くハジメを無視しながら、一気に抽選器の前へと引っ張っていく。以前引っ張られた時は服の袖だったのに。今回彼女は以前とは違い、袖を掴まずに直接手を握ってきた。ハジメにもハッキリと分かる変化だ。
(なんか変わった? それとも地が出てきたってことなのかな……)
自分だけあわてるのもしゃくだと、ハジメは平静を装いながら抽選器へ向かった。
こうして間近に立ってみても、やはりただの抽選器にしか見えない。これを一体どうしようというのか。
「……これ、もしかして」
「もしかしなくても回すのよ。この形の抽選器は初めて見たけど、やることは一緒だと思う」
「やっぱりか……」
ものすごく気乗りしない。
だが、彼女が言うのだから安全ではあるのだろう。彼女は身振り手振りでハジメに『先に回せ』と急かしてくる。渋る暇も与えてくれない。
「分かりましたよ……っと」
木箱に書かれた矢印に従って、取っ手を掴みゆっくりと一回転させる。すると内部でガラガラと球がぶつかり合う音がした後、1つの球がぽつりと落ちてきた。
そうして落ちてきた、玉の色は――