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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

きっと知らないだろうこと

作者: 香坂



日曜の朝に放映されている戦隊ものと一般的に呼ばれているテレビヒーローを皆さんはご存じだろうか。恐らく日本に生きている若者ならば見たことがないという人はまずいないであろう。実はアメリカでもスーツをリサイクルして同じような設定で放映されていたりもする。一部の外国人にとってはアニメや日本食、温泉などに並ぶクール・ジャパンの一種でもあるらしい。昨今では眉目秀麗な男子、いわゆる「イケメン」目当てに若い母親たちやうら若き乙女までもが見ていることがあるとも聞く。毎年主人公たちは変わるものの、シリーズという観点から見ると四半世紀以上も少年少女たちを魅了してきた超長寿番組と言える。

変身するのは基本として5人。途中で追加戦士が出現することや最初は3人からスタートすることもあるが基本は5人である。赤青黄の目の覚めるような鮮やかな原色に、大体は緑・桃・黒・白の中からどれか2色が選ばれる。時たま金や銀、紫などの変わり種も存在している。色とりどりのスーツを纏った正義の味方。対するは毒々しい色と形の装甲を身に着けた敵役。毎週懲りもせずヒーローたちを苦しめ、最後には木端微塵に倒されてしまう、カタルシスのためだけに存在している憎み切れない存在。個人の長ったらしい名乗りの時も律儀に終わるまで待っていてくれるので、実はいい奴らなんじゃないかと考えるのは一度は通る道ではなかろうか。

友情・努力・勝利、そして正義。どこかの少年漫画のキャッチコピーのようなメッセージに満ちた、ほんの少しだけ現実から離れた世界。

七夕の短冊には必ずと言っていいほど「○○レッドになりたい」などの幼い願いが書き込まれている。翌年には「××ブルーになりたい」に変わっていたり、それから幾度目かの夏には「新しいゲーム機がほしい」「けいさつかんになりたい」などの些か現実味を帯びた願いに変わっていたりもする。昔はテレビにかじりつくように見ていたはずなのにいつの間にか見なくなり、少しだけ大人になったような錯覚をする。そう、子供たちにはテレビの向こうのヒーローは実在しないということを悟る時期があるのだ。そうだ。あんな夢のようなヒーローたちはこの世界のどこにも実在していない。することはない。

失われた物、時間、命は敵を倒したって元通りになることはないし、ハッピーエンドになるかなんて、そんなの誰にも分からない。

「…おつかれさま」

「………ああ、うん」

 もしも実際にヒーローはいる、なんて言ったら笑い飛ばされるだろうか?そんなの夢だと、妄想だと、大人のくせに馬鹿を言うな、と。信じてくれないのならそれでもいい。おもちゃの時計のようなブレスレットも、ヒーローおたくの作った道楽だと思われてもいい。何しろこっちは余すことなくノンフィクションだ。ミスをしたって撮り直しはできないし編集もきかない。日曜朝の娯楽とは違う。そうして、恐らくテレビのこちら側のヒーローのことは子供たちはおろか大人たちもきっとほとんど知らないのだろう。俺は一応彼らのことを知っているけれど、こちら側の本当のヒーローではない。どちらかと言うなら向こう側に近いのかもしれない。時給で動く大型連休タイプの草スーツアクター。打撲程度の怪我はしょっちゅうでも、大きな怪我はまずしない。それなりに安全なただのバイト。

「ごめん、飯ある」

「残り物でいいなら」

「食えれば何でもいい」

 ヒーローはこの上なく時間が不規則な仕事だ。飯時、風呂の中、2時間ドラマのクライマックスシーン、果ては睡眠中。敵は時間を選ばない。突然現れて突然どこかの平穏を壊す。いついかなる時でも呼ぶ声があれば北へ南へ東へ西へ、いつもおもちゃのようなブレスレットに時間を束縛されている。それならばできるだけ普段の生活に困らないようにと俺が家の番をしている |(家事全般を家賃につまりは居候)。時間だけは売るほどあるが金はすっからかんの大学生にはありがたい。赤崎は同い年なのだが命の危険のある仕事のためこの世代としてはやたら高給取りである。どこからその金が払われているのかはよく分かっていないけど。

「今朝寝坊してさ、やっとの思いで大学着いて教室駆け込んだら休講だったんだよ。電波障害で休講メール届いてなくて、気づかないまま死に物狂いで自転車漕いだ自分が馬鹿みたいだったよ」

「…それはお疲れ」

「電波障害は本気で勘弁してほしい」

「だな」

 これが鳴らなかったらと思うとぞっとする、と俺が作りすぎたチャーハンを口に運びながら赤崎は言う。敵が現れたら、誰かが助けを求めたら鳴る仕組みになっているらしい。今日の献立に悩む主婦や切羽詰まった受験生の声は聞こえなくても命の危険に際してはヒーローを呼んでくれる。おもちゃみたいなこのブレスレットにはそんな能力があるらしい。雇われスーツアクターみたいに誰かに背中のチャックを上げてもらわなくても番号をプッシュするだけでマジカルチェンジするとか聞いた。しかし日曜朝には必須の名乗りは存在しないし、○○戦隊なんとかレンジャー、のような名前もない。任期だって1年ではない。事実俺が赤崎と出会ったのは高校の頃で、そのときには既に赤崎はなんとかグリーンだった。名字は主人公たるカラーが入っているというのに担当カラーは緑色。そこも妙にうまくいかないところである。火薬弾薬の予算や近隣の騒音問題。正義の味方の悩みはいやに現実的だ。

「…いつになったら終わるんだろうな」

「親玉潰したら、じゃないの?シナリオのある世界ではさ。てか、そこの所ってどうなってるんだ?親玉とかいるのか?」

「知らないよ」

「知らない?」

「そこまで深入りしたいとは思わない。いつ親玉に辿りつけるかも分からないし、どのくらい強いのかも分からない。俺たちが手に負えないレベルだとしたら、俺たちがやられたらもう成す術はない。知らないうちに征服される。今はまだほとんどの人がそういう悪の組織と呼ばれるものを知らないからいいかもしれないけど、派手な戦いになったら確実に勘付かれる。報われたいとか認められたいとか思わないわけじゃないがそういうのはいらない、ただの面倒事だ」

 そこまで言ってスプーンを置く。そうしてため息を吐いたついでに今まで俺が飲んでいた缶ビールを一口呷る。

「珍しい」

「たまにはな」

 ヒーローを友人に持ってから3年近くも経つとある程度のことが分かってくる。きっと赤崎たちは今日、誰かを救えなかったんだろう。淡々と記憶の中から引っ張り出すようにそんなことを考えた自分は薄情なのかもしれない。会ったことも見たことも、名前さえも知らない人のために俺は涙を流せない。これは当たり前、なんだろうな。友人がこんなことも分からなくなるくらいだったら当事者たちはどう思っているんだろう。

 最初はいちいち泣いてた。けれど段々神経が麻痺して、人の命が分からなくなる。親が死んでも泣けなくなるかもしれない、ふと、そう語った言葉を思い出す。あれは出会って1年くらい経った頃の話だったはずだ。今はどうなっているのか。気にはなるけど聞きたくはなかった。人の命を守るはずの正義のヒーローたちが守るべきものが失われたときどう思うかなんて、そんなこと。

「やめたいとか、思わないわけ」

「思うに決まってるだろ」

 返事は食い気味だった。吐き捨てるような声が俯いた口元から絞り出される。

「ほとんどは無傷で帰れないし深夜だろうと早朝だろうとお構いなしの不規則さだし、消えるはずじゃなかった命が消えてくのを何回も見なきゃいけない。どうして俺なんだ、って思うしやらなくていいならこんなの絶対やってない。でも、たった5人しかいない。誰かが辞めたら成り立たなくなる」

 友人が泣くところはあまり見たくないと思っていた。俺は事情を知らないから、見ているだけで何もすることができない。悲しいから泣く、涙が出る。だから悲しいことがなくなればいいと思っていた。俺の前で赤崎は泣かなかった。悲しいことがなくなったんじゃなくてきっと涸れてしまったんだ。

「やらなきゃ、やられるんだよ。俺以外の誰かがさ」

 だけど今はそうじゃない。

 涙にはストレス物質が含まれているといつか聞いたことがある。泣くことでストレス発散になると。だからちゃんと泣けばいいのにと思っている。自分の悲しいことまで抱え込む必要はないのに。誰だって悲しいときは泣く。涙に老若男女は関係ない。正義も悪も関係ない。

「赤崎」

 俺は平和な大学生で、シナリオのある平和な雇われヒーローだ。スーツを着て動くことはできても、他人の命は背負わない。

「割り切らなくていいんじゃないか」

「……」

「お前は人間だ。正義の味方である以前に人間だ。何でもかんでも割り切れると思ったらそれは間違いだよ。つか自分の命の価値自体把握してないのに他人の命の重みなんて分かるわけがない。二十歳そこそこなんてまだ子供なんだしさ。俺が言えることじゃないけど割り切る必要はないと思う」

「…はは」

「何だよ」

「そっか、人間か」

 笑いの混じった声で赤崎が呟く。

「変な肩書きがついてからすっかり忘れてた。そうだな、俺だってただの人間か」

 何か世紀の大発見をしたみたいな顔をして肩を震わせて笑う。ちょっといいことを言ってやった、みたいな顔をしていた自分が恥ずかしくなるくらいに笑っている。一体どんな顔をすればいいか分からなくなって、気が付いたら俺まで笑っていた。こんな夜中に、馬鹿みたいに。

「こんな馬鹿みたいに当たり前なこと忘れてたなんて、俺やっぱ馬鹿だわ」

「いいじゃん、馬鹿で!」

 こんな思い上がりが若気の至りなんて言い訳で許されるなんて今しかない。本当に大人なんてものになってしまったら遠巻きに指をさされるだけで誰も何も言ってくれなくなる。子供のうちは鬱陶しくても誰かが指摘してくれる。大人になると自由は増えるけど、責任という荷物がのしかかる。

「悪の組織も人間なんなら、お前らだって人間なんだぜって教えてやらなきゃいけないな」

 日常会話に『悪の組織』が出てくるなんてちょっと痛いよな、とか言いながら赤崎が再び缶ビールに手を伸ばした。

 突然無機質に響く電子音。

 どこにいても聞こえるように、甲高い音でけたたましく鳴るそれ。

 さっきまで同年代の顔で笑っていた赤崎が急に大人びて見えた。あとよろしく、とだけ告げて立ち上がる。

 帰ってくるか分からない後ろ姿がドアの向こうに消えていくのを見送った。君が生きる外の世界では、誰が人間か分からない。



割と昔の課題を加筆修正したもの。

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