不穏ノ剣 (6)
日の長い夏の太陽もようやく西に沈んだ深夜の央田川。
桜木橋をゆっくりと渡る人影がひとつ。
何の用事かは知らないが、女のひとり身でこの夜中に橋を歩いている。
辻斬りへの危機感はあるようで、腰には帯刀しているが、さりとて女性ひとり。
危機管理の観点からはとても感心できない。
そこへ、
「おーい」
若い、女性の声が橋の上に響く。
すると橋を渡っていた人影がピタリと足を止め、
「……その呼び声は、もしかして私に対してか?」
そう言うや、
「そうそう。あんたにだよ、お姉さん」
先ほどと同じ、女子の声が返ってきた。
「こんな夜中に危ないねぇ。知らないのかもしれないけど、この辺りには最近、辻斬りが出るってもっぱらの評判なんだよ?」
「そうだな……そんな噂を随分と聞くな」
「へえ、知ってて来たんだ。てことは、それってもしかして……」
「……試合うてみるか?」
言って、刀の柄をポンと叩く。
この人影の主こそ、実はおとり役として橋に来た東真である。
響いてきた声の方向へ目を向けると、どうやら自分とさして変わらぬ出で立ちの少女が、橋の欄干に座っている。
面相の分からぬほどの長い前髪と、鼻から口元を隠す布。
間違い無く、一連の辻斬り事件の犯人像そのものの姿で。
「うれしいねぇ。ハナからそんだけやる気で来てくれると、こっちもわくわくしてきちゃうよ。だけど、どうだろう。お姉さん、腕のほうは確かなの?」
「そいつは……」
そこまで言い、東真は素早く抜刀するや、宙を飛ぶような勢いで橋の欄干へ踏み込むと、横薙ぎに剣を一閃させ、
「試せば分かる!」
一喝するように言い放った。
東真の剣は、欄干に座る少女の目の先すれすれで空を切り、剣風が、ざっと少女の前髪をはためかせる。
途端、少女の瞳がギラリと喜びに輝いた。
「いい……いいよ、お姉さん。その太刀筋、かなり使うね。やっとだよ。どうにも物足りないのばかり相手してたけど、やっと本気でかかれる相手が出てきてくれたよ……」
歓喜に震える声を漏らし、辻斬りの少女は即座、欄干から下りると、すでに十分詰まった間合いで東真と相対する。
しかし、
構えない。
どうした理由かは分からないが、何故か間合いを詰めて相対したこの状態でも、辻斬りの少女は一切、構えらしきものをとらない。
だが、
そんなことに気を取られ、不覚をとるほど東真も甘くは無い。
いまだ構えも見せぬ相手に対し、一分の隙も無い構えで相手の出方をうかがう。
と、瞬間、
目の前にいたはずの少女が視界から消えた。
それとほぼ同時、
東真の背後で火花が散る。
ギィンッ、と、耳を裂くような金属音とともに。
見れば、いつの間にか東真の背後へ回っていた少女の剣が東真の延髄の辺りを狙って剣を振るったものを、東真がとっさに切り返した剣で受けたのである。
「この型にはまらない奇妙な剣……お前の剣は我流か……」
「ははっ、やっぱりやるね。この攻撃を防がれたのは久しぶりだよ」
「……死角に回り、一撃のもとに屠る。それがお前の剣の特徴らしいが、目の前から突然消えるということは死角に入られたということを自ら証明しているようなもの。つまり、自分の死角を認識していれば、攻撃を受け流すのもさほどのことではない」
「すごいよ……これは、今夜はたっぷりと楽しめそうだ……」
「さて……それはどうだかな……」
言いざま、東真は身をひるがえして体勢を戻すと、
「よし、みんなかかれ!」
大音声で指示を飛ばす。
即座、
橋の入り口の影に身を潜めていた撫子、紅葉、レリアが一斉に躍り出てきたかと思うと、東真と辻斬りの少女を三方から取り囲んだ。
これにはさすがに少女も驚いたようで、周囲を囲む三人へ目を向けると、相対した東真に問う。
「これは……一体、何のつもり……?」
「多対一というのは、どうにも好みではないが、辻斬りの犯人を捕らえるという目的では仕方なし、というわけだ。観念して私たちに捕まれ」
「それは……悪いけど御免だね!」
「あっ!」
言ったが早いか、少女はまたも東真の死角へ入り、姿を消した。
それと同時。
三方からの包囲のうち、紅葉の方向へ矢のように駆け込んでゆく。
この時、東真は頭の中で、
(しめた!)
と思った。
三人の中でも、特に逃亡困難な相手に突っ込んでくれた、と。
逃げるに事欠いて、斬人モードの紅葉へ特攻である。
もはや捕まえたのも同然と東真は高をくくった。
が、
予想外のことが起きた。
先ほどと同じく、向かった先の紅葉の死角へ入り込もうとした少女に、紅葉は躊躇無く剣を振るう。
無影。
まさしく一瞬の居合抜刀。
そして鍔鳴り。
それすなわち、相手の敗北を意味する。
はずだった。が……、
紅葉の口から舌打ちが漏れる。
仕損じた。
いや、正確には仕損じたとは言いきれない。
辻斬りの少女の持っていた剣は、見るも無残に両断され、しばし、宙を舞ってから橋へと落下した。
得物は捉えていたのだ。
ところが、
少女のほうはそれを狙っておこなったのかは分からないが、剣を犠牲にしている間に紅葉のはるか頭上を跳躍し、やすやすと包囲を抜けて逃走している。
「うはっ、きついわぁ。こりゃ勝てないよ」
なおも走りつつ、少女はそんなことを口にする余裕はまだあるようだ。
少女の影はさらに加速し、東真たちとは橋の反対方向へ走り去っていく。
その影が夜の闇に溶け込むには、それほど時間はかかりそうにない。




