不穏ノ剣 (3)
「ご存じの通り……私は斬人ですので、学区内の手練者の情報はそれなりに知っていると以前にもお話したと思うんですが……」
そう言い、紅葉は台所の脇に置いてあったカバンの中から一冊の本を取り出すと、それを東真らの座るテーブルの上に置いた。
「……これは?」
「私が……斬人になった際に渡された手練者リストです。この学区に限らず……全国各地の手練れの詳細な情報が載っています……」
話しながら、紅葉はリストをパラパラとめくると、目当てのページを見つけたのか、そこを指差して続ける。
「……向原剣技学校。学区は違いますが、名前くらいは……皆さんご存知ではないですか?」
「向原って……あの、全国でも特に剣技に優れた人間のみしか入学できないので有名な、士道学校の中でもエリート中のエリート校だろう?」
「その通りです。さすがは東真さん……よく御存じで……」
会話に口を差し挟まなかったものの、向原のことは東真に限らず、撫子や純花も名前だけは知っていた。
それほどの有名校である。
「それで……その、向原にも当然、斬人がいるわけです。が、それがつい先月に向原から他校に転入したらしく……」
「転入?」
「はい……で、その転入先というのが、実は元場剣学校だそうで……」
「な、元場?」
この紅葉の発言には、にわかに東真も反応した。
「一体全体どういうことだ?今まで全国有数のエリート校にいた、それも斬人ともあろうものが、突然こんな下町の平凡な学校に転入してくるなんて……」
「……紅さんのおっしゃっていることはよく分かります。普通の判断なら……確かに奇妙としか言いようが無いですよね。でも、これはそれほど不思議なことではないんですよ」
「……と、いうと?」
「斬人は、裁定者として絶大な権限を与えられている一方で、それを悪用するようなことがあった場合、一定の罰則規定があるんです。例えば……私の知ってる話の中でも、斬人でありながら、いたずらに道場破りなどを繰り返した者が、過去に資格剥奪の処分を受けています」
「え……だが、それって……」
「私の一件はご心配無く。身内の問題を解決するため、結果として道場破りのような形になった……そういう判断で落ち着きましたので。ただ……さすがに厳重注意は受けましたけど……」
普段通りの伏し目がちな態度で話す紅葉が、妙に息苦しく見える。
思えば思慮が足りなかったかもしれない。
紅葉は斬人。
それは、力とともに責任を負う立場にあると、少し考えれば気づきそうなものであったのに、現実にはかなり強引に自分たちが意趣返しの形を整えた気もする。
紅葉は厳重注意のみで済んだというが、それがどれほどの罰則なのかも分からない。
こうなると、命懸けの死闘を制した喜びも、どうにも半減してしまう。
東真は無意識に苦い顔をして、頭を掻いていた。
すると、そんな東真の様子に気づいてか、紅葉はこれ以上に妙な心労を与えまいと、話を本題に戻す。
「それで……向原の斬人ですが、形式的には元場に転入ということになってますが、実際は向原を放校処分になったうえで、こんな下町のいち士道学校に飛ばされた……というのが正確なところです」
「放校処分……?」
「はい。聞いた話では、なんでも他校の斬人と決闘を繰り返し、斬人としての業務を滞らせたのが原因で処分されたそうで……」
「そりゃ、なんでまたそんなことを?」
「私は……当人ではないので事実までは分かりませんが、恐らくは腕試しの相手として、他校の斬人がちょうど良かったのかもしれません。斬人イコール、腕が立つというのは、間違い無く事実ですから。腕に自信のある者が腕試しに狙うにはある意味、いい目標なんですよ」
「剣術狂い……か……」
噛み締めるように東真が言う。
一般的な価値観からすれば、自分や撫子も十分に剣術狂いである。
が、一線を越えていない自覚はある。
剣を好みこそすれ、剣に魅入られるということは無い。
少なくとも今までは。
だからこそ、冷静に剣の道に邁進してきたつもりだし、己が剣の道を通すため、かかわりの無い人間にまで迷惑をかけるようなことはしてこなかったつもりだ。
しかし、
世の中にはそうした一線を何事も無く越えてしまう輩もある。
今、話に上っている向原の斬人も、思うにそうしたタイプの手合いなのだろう。
強引なまでに我を通してくる人間がどれほど厄介であるか。
紅葉の父である影正の所業からも察しがつく。
東真は始めて影正を見た時の、人間の業の深さが形になったものをその目にしたような、何とも言えぬ不快感を思い出して軽いめまいを催した。
「で……話は続きますが、向原の斬人は放校処分こそ受けましたが、斬人の資格剥奪まではされていません。となると自然、斬人不在の元場においては、そのまま斬人として在籍することになるでしょう。ここが、とにかく問題なんです」
「問題……確かに、そんな処分を受けた人間なら、なんらかトラブルの種になる可能性はあるだろうが、しかし、どうだろう。向原を追い出されるほどのペナルティを受けているわけだから、そこは少しくらい大人しくなっているんじゃないのか?」
「かも、しれませんね。でも……思うにそれは環境が許さないでしょう」
「……環境?」
「どう贔屓目にに考えても、この斬人が元場でトラブルを起こさないはずは無い。それが私の予想です」
「その、考えの根拠は……?」
東真からの質問に、紅葉は一瞬、目を逸らしてから、ふーっと大きく息を吐き、リストのページを一枚めくった。
今度のページは、何人もの斬人が写真付きで紹介されている。
それのひとつを指差し、言う。
「紅さん……向原の斬人とは、この人物です」
示された写真に目をやり、東真はすべてを理解した。
そして、
ありとあらゆる悪い予感が頭を駆け巡るのを感じた。
「これ、が、向原の斬人……」
「……そう……元場にあってはトラブルが起きないことのほうが逆におかしい人物……」
「……女の……斬人……」
思えば、男尊女卑の観念が特に強かったがために過去、衝突したこともある元場。
そこに女の斬人。
紅葉の言う通り、こんなものは火種を火薬庫に投げ込むようなものだ。
「今はまだ夏休み中です。それほどの問題は起きないでしょう。でも、始業すれば一体、何が起こるのか……私にも想像がつきません」
紅葉の声を聞きながら東真は写真の下の個人情報へ目を向ける。
無意識に、声を出して読んでいた。
「大場楓……」
「それがその斬人の名です。大場宗右衛門から連なる真元流の直系。関井心貫流と色宮流の元となった流派の、紛うことなき使い手。つくづく……因縁めいていますね……」
溜め息のような声でそう言い、紅葉はまたしばらくうつむいた。