不穏ノ剣 (1)
「お聞きになりましたか。また例の辻斬りが、しかも昨日現れたそうですよ」
一夜明けての色宮道場。
今日もまた稽古に訪れた東真と撫子へ、純花が急くように告げたのは先日話題にしていた辻斬りの話であった。
「まあたその話?」
道場に通され、腰に剣を帯びしつつ、撫子が少し呆れ気味に答える。
「色宮。近所の事件だけに気になるのは分かるが、あまり気にし過ぎるのも感心せんぞ。何事も常に冷静に受け止めねば、正しい判断や思慮は出来ん」
「おっしゃられていることはよく分かります。私も、色宮の末席に身を置く身ですので。ただ、どうしても引っかかってしまって……」
「照山の、ことか……」
「……はい」
「ふうむ……」
正直なところでは東真も撫子も、純花がこの辻斬り事件にやたらと関心をもっている本当の理由は理解していた。
まさかとは思うが、
そう、まさかとしか思えないが、もしや辻斬りの犯人が紅葉ではという心配である。
もちろん、そんなことは万一にも無いと思いたいが、漏れ聞く犯人の特徴がいちいち斬人の際の紅葉に酷似している。
と、言っても、それらを否定する要素も多々ある。
まず、紅葉が辻斬りをするメリットや目的がまったく思い当たらないこと。
これは正確には当人にしか分からない事情もあるので、憶測の域を出ないが、少なくとも東真たちの知る紅葉は、辻斬りなどする理由は見当たらない。
それに、これは変な話だが、続発している一連の辻斬り事件の被害者は皆、首元を打たれて昏倒したというものばかりで、いずれもちょっとしたアザや打ち身程度の軽傷。
対して、東真たちの知る紅葉はひとたび斬人となると、背筋が寒くなるほど残忍になる。
かつて、元場生徒の両耳を削ぎ、実の父親の両腕を切り落とした所業からも、その性質は明らかである。
そうした考えを総合すると、この辻斬りは紅葉にしてはあまりに(優しすぎる)のだ。
「ねぇ、そんなに気にかかるんだったら、純花が直接、紅葉に聞いてみたら?」
どうにも辻斬りの話題で盛り上がり、稽古に集中しない東真と純花を見かね、撫子がさも面倒そうに言う。
「それも……考えたんですが、一体、どう話してよいものか頭に浮かばなくて……」
悩ましそうな顔をして自分の携帯を片手に見つめつつ、純花が答えた。
溜め息ひとつも漏らしそうな悩ましい顔をすると、女の目から見ても変に純花は色っぽく見える。
(夏場の艶かぁ……剣では勝れても、女の魅力じゃ勝る自信が無いねぇ)
などと、撫子も引きずられて取り留めのない思考がぼんやりと頭を包んだが、すぐさま、はっと我に返って、いつもの機動力を取り戻して動く。
「んなもん、とにかく話してみればいいことよ。ほら、携帯貸しなって」
言って、強引に純花の手元から携帯を取り上げると、素早く登録番号の中から紅葉の番号を探り出すと、躊躇無くそのまま電話をかける。
そして呼び出し音の鳴る携帯を、すっと差し出して純花に、
「はい、話してみ」
「え、そ、そんなこと言われても……」
「直接話してみれば、嫌でも言葉は出てくるもんよ。さっさと取りなさいって」
「は……はあ……」
半ば無理やりに携帯を渡した。
かなり強引な手法ではあるものの、撫子のこうした行動も一理ある。
人間というのは、どうしても最初の一歩を踏み出せず、無駄にその場で足踏みしてしまうことが多い。
躊躇や逡巡も、思慮の深さからくるものは仕方ないものだが、だからといって思考に絡め取られて身動きが出来なくなるのはよろしくない。
結局は考えるより行動にこそ意味があるという事実。
どれほど考えても状況は変わらないが、行動は状況を必ず変える。
無論、良い形に変わるか悪い形に変わるかは、やってみて始めて分かることなのは仕方の無いことではあるが。
それでも、現状を打破するのは行動以外に無いことだけは確かである。
その点で撫子の行動もある意味で正しい。
まあ、単に思慮の浅い無鉄砲という見方もあるだろうが、こういう人間は仲間内にひとりくらいいると、なにかと尻込みする状況で鞭をいれてくれる貴重な存在となる。
改めて、返された携帯に純花が耳をあてると、ちょうど呼び出し音の途中に割り込むように、先方が電話に出た。
『……はい、照山ですが、色宮さん?』
当たり前ながら、電話からは紅葉の声が聞こえてくる。
「あ、そ、そうです、色宮です。すいません、こんな朝早くに」
『いえ、うちはいつも朝早いので、そうお気遣い無く……』
「それは……よかったです。ご迷惑かと思ってちょっと心配してたもので……」
『それで、なんでしょう。朝から急ぎのご用事ですか?』
「あ……や、そんな急ぎの用事というわけではないのですけど、あの、ちょっと……」
『……ちょっと?』
「ええ、ちょっと……その、聞きたいことというか、確認したいことがですね……」
『確認……ですか?』
「ああ、いえ、別にそんな大したことでは無いんです。ただ、少し確かめておきたいなと思うことがありまして……」
『はあ……』
純花の要領を得ない話に、電話口から紅葉の生返事が小さく響く。
同時に、
撫子が忍耐の限界を迎えた。
苛立つ態度をこれ見よがしに、純花が耳元へ当てていた携帯をひったくる。
「あ、ちょっと佐々さん!」
純花が止める間も無く、撫子はひったくった携帯に耳を当てると、開口一番、
「ちょっと紅葉。あんた辻斬りなんてやってんの?」
これである。
『は……え……?』
「だーから、あんた、辻斬りなんてやってんのかって聞いてんのよ!」
『……えっと、その声……佐々さん……ですか?』
「人が質問してるのに質問で返すんじゃないわよ。どっちなの。やってんの、やってないの。はっきりしなさいよ!」
『あ……の……おっしゃってることが、よく……分からないんですけど……』
「あーもうっ、めんどくさいわね!」
『え、え……?』
「いいわ。やっぱ電話なんかじゃ、らちがあかない。直接話に行くから、支度して待ってなさい」
『い、え、こ、これから……ですか?』
「ったりまえでしょ。すぐ行くからね。さっさと支度しとかないと承知しないわよ!」
『あ、そんな、ちょっと待っ……』
途端、ピッと通話を切る。
「はい、準備完了。ほら、東真も純花も支度しなよ。すぐ紅葉ん家に行くわよ」
そう言うと、用済みとなった携帯を純花へ投げ返す。
早業と言えば聞こえはいいが、突然乱暴に家庭訪問をゴリ押ししただけのことである。
そのあまりの押しの強さに、東真も純花も、しばらくは呆れて撫子を見つめていた。