エピローグ (2)
色宮道場での紅葉と楓の決闘から二日。
今日も朝早くから東真と撫子は色宮道場へ足を運んでいた。
「あら、おはようございますおふたりとも」
「あれ、今日は純花がお出迎え?」
夏休み中、ずっと英樹の出迎えを受けてきたせいからの違和感に、撫子が問う。
「はい、今日からは楓さんが稽古に来てますので。あの方の稽古は英樹兄様にしかつけられませんものですから」
「口伝奥義……だもんねぇ。けど、そんな簡単に教えたりしていいもんなの?」
「ほんとは論外なんですけどね。でも困っている人を見ると、しきたりや伝統も顧みないのが英樹兄様のいいところでもありますから。私は兄様の思うようにすればいいと思っていますよ」
「まさしく鶴の一声だね。人徳の高い人はこういうとこが違うなぁ」
玄関を上がりながら、やたらと英樹を誉めそやす撫子に、純花も我が身のことではないものの、兄のことともあって、多少照れくささから苦笑を浮かべる。
「しかし、どうなんだろうな。学べるか学べないかもそうだが、色宮流の口伝奥義ほどのものを、そう簡単に習得できるものなのか?」
「英樹兄様は心配していないみたいですよ。人間、必要とあれば何事も成しえると。それに、楓さんも怖いくらいにやる気十分でしたからね」
廊下を道場まで案内しつつ、そんな話が三人の間でしばし続いた。
この二日間の流れはなんとも目まぐるしかった。
まず、辻斬りの一件については、襲われた人間が皆、相手が年端もいかぬ少女だったことから、逆に自分の力量不足が露呈するのを恐れて訴え出なかったため、久世葵は補導されるにとどまった。
次いで、レリアを刺した楓の件。
これはレリアが楓を訴えることを拒否したため、基本的にはお咎め無しで終わった。
ただし、
楓の斬人としての資格は剥奪された。
これはさすがに致し方ないだろう。
「そういや、レリアがぼやいてたね。なんで自分が目を覚ました時、最初に目に入ってきたのが東真じゃなくって妹のレティシアだったのかって」
「……仕方ないだろうに。レティシアがあれだけ親身になって看病しているところへ、こちらも揃って居座るのも居心地の良いものじゃあない」
「以前の借りがあるからねぇ。東真もなかなかしちめんどくさい立場で、同情するよ」
「……その顔で言われても、説得力がまるで無いがな」
「あら、バレた?」
にやけ顔で話していた撫子に対して、東真も少し不機嫌そうに反論する。
にしても、
当初の騒ぎから考えれば、最終的には随分と大人しくすべてがまとまってくれて有り難いと、東真は感じていた。
レリアの件を除けば、さほどに大きなこともなく落ち着いた。
そう言えば……、
以前に「無事これ名馬」という言葉で撫子を軽く立腹させたレリアが、退院したならまず撫子に嫌味のひとつも言われるだろうと想像して少し気の毒にも思える。
まったくもって、人生これ一寸先は闇である。
口の達者な撫子のことを考えて、自分も普段からの言動には気をつけようと東真は思う。
といっても東真の性格上、失言らしき失言や、あとから突っ込まれるような不用意な言葉はそうそう口にするわけは無いのだが……。
そうこう、いろいろと考えつつ、廊下を歩いていると、先を行っていた純花が突然、足を止め、ささやくように一言、
「おふたりとも……ここが今、楓さんと英樹兄様が稽古してらっしゃる稽古場ですけど、少し……覗いてみます?」
普段からは予想もしない、純花のいたずらっぽい仕草と口調に、東真も撫子も、始めこそきょとんとしたが、言われれば興味が無いわけがない。
勧められるまま、戸を音を立てぬように、うっすら開けると、中の様子を覗き見てみた。
見えたのは、
先だって英樹が着けていたものと同じ、黒い目隠しをし、英樹の指導に合わせて剣を振るう楓の姿。
合わせて、
その稽古場の脇には、葵も座っている。
紅葉との決闘以後も、ふたりの関係に大きな問題は残らなかったようで、東真は肩と胸が軽くなる感覚を味わった。
「なんだかんだで、元の鞘か……」
「仲良きことは美しきかな……だわね」
「ほんとに……お前はごくたまに的を得たことを言うな」
「ごくたまに、は余計でしょ」
「……ふふっ」
いつもと変わらぬ、撫子とのバカらしいやり取りにも自然に頬が緩む。
日常が戻った感覚。
ともすれば退屈にすら感じるが、平和で穏やかな日常。
結局のところ、剣術狂いではあっても、心の底で求めるものはひとつしかない。
仲間たちとの平和な日常。
望んで血の匂いを求めるほど、東真は剣に溺れていないというだけなのかもしれない。
しかし、どちらを求めているかの答えは事実。
今日もまた、仲間たちと無邪気に剣を振るう。
望むことはそれだけである。
「さて、もう夏休みもラストスパートだからね。こっから一気に連勝して、勝率タイにしてみせるわよ」
「ササキ、お前がここから勝率を互角にしようとしたら、残りの日数、すべて私に勝たんと釣り合わんぞ」
「……えっ、あたしそんなに負けてたっけ……?」
「まったく……勝敗の数くらいちゃんと頭に入れておけ」
声こそ平生のものだったが、東真の顔にはうっすらと笑みがこぼれる。
稽古場から漏れ聞こえてくる楓たちの声に加え、外ではセミの鳴き声が響く。
残りわずかな夏の風情を感じつつ、東真たちは今日も剣を振るう。




