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エピローグ (1)


それは楓が床に伏して泣き出してからどれほど経ってからだったか。


重苦しい空気は時間の経過を遅く感じさせることから考えても、実際には五分と経っていなかったろう。


突然、

「純花……黒手拭いを……」

沈黙を守っていた英樹が急にそう言った。


「え……あ、はい」

兄からの予想外の言葉に純花も一瞬戸惑ったが、すぐに横から黒い手拭いを取り出すと、英樹に渡す。


と、英樹はにわかに側に置いていた剣を手に取ると、ざっと立ち上がり、紅葉と楓の元へと歩いていった。


楓はまだ床に伏したままだったが、紅葉は近づく英樹をしっかり見ている。


「英樹……さん、一体何を……?」

不思議に思い問うた紅葉の言葉に、


「このままじゃ、この子が不憫だろう」

そう言って、純花から受け取ってきた黒手拭いを手ごろに畳むと、それを自分の目を覆うように締めこんだ。


見ていた純花も、紅葉も、当然、東真や撫子も不思議そうな顔を浮かべる。


一体、英樹は何をするつもりなのか。

それがさっぱり分からなかったからである。


が、疑問に首を傾げる暇も無く、

「照山さんは早く傷の手当と着替えをしなさい。どれも浅手とはいえ、傷が多すぎる」

言って、その場から紅葉を離す。


そうして残ったのは床の楓と、目隠しをして立ち尽くした英樹。


引き上げていった紅葉は純花に、

「……おい、お前の兄貴は一体これから何をするつもりだ?」

そう問うたが、

純花も困惑した顔で首を横に振るしかない。


すると、

「大場さん。顔をお上げなさい」

いつもの優しい口調で英樹が楓に呼びかける。


ほどなく、楓も少し落ち着いたのか、英樹に言われるまま、顔を上げた。


途端、ちょっとした驚きの表情を浮かべて、

「な……あんた……それ、何の真似や?」

心からの素直な感想である。


自分の前に立ちはだかるのは理解できるが、それが完全に目隠しをした状態でというのが頭を混乱させる。


「近く……君は視力を失うらしいね。だから、その一助にというわけでもないが、なおも断ちがたい君の業を断ち切る役に立とうと思ってね」

「……?」

「かかってきなさい。もうそれほど体力も残っていないだろうが、まだ限界にはほど遠いだろう?」

この言葉に、楓は疑問よりも怒りが先行した。


これから視力を失う自分に対し、まるで馬鹿にでもされている気分になったからである。


「……人が盲んなるのが、そないおもろいか……?」

「いいや」

「せやったら……なんで?」

「君はまだ終わっていないし、終わる必要も無いことを教えるためだよ。いいから、全力で私に向かってきなさい。遠慮など無用。本気で切り殺すつもりでなければ、逆に私が困る」

そう言い、英樹は剣を腰に差し入れると、またそのまま直立して動かない。


対して楓は、

「その言葉……後悔しなや!」

言い放ちざま、伏していた床から一気に立ち上がると、凄まじい勢いで下段から天までを切り裂くような一撃を放つ。


しかし、


当たらない。


それまでの紅葉との決闘で見せていた尋常ならざる剣速の一撃を、英樹はこれもまた一瞬で横についと身をかわし、完璧に避けていた。


これには露の間、楓も泡を喰ったが、すぐさま体勢を立て直すと、次は横薙ぎに鋭い一撃を繰り出し、次いで切り返した剣で英樹の足元を狙う。


だが、当たらない。

一撃目の横薙ぎを、身を低めてかいくぐるようにかわし、二撃目の足元への攻撃は、ひょいと飛び越えるようにして避けた。


まるですべてが見えているような動き。

いや、たとえ見えていたとしても、これだけの鋭い攻撃をいともたやすくかわす技量自体がすでに信じ難い。


「どうした。奥の手はまだひとつ残っているだろう?」

相変わらず、間合いから一切退く事無く、楓の前で直立している英樹がそう言うと、楓は即座に横へ飛び退り、さきほど床へ投げ捨てた鞘を拾い、腰に収めた。


同時に、剣も鞘に収め、あの構えを見せる。

無影の構え。


怒りからか、悔しさからか、

楓は血が滲むほど歯を噛み締めると、この一撃に全身全霊を込める。


「そうだ。本気を出しきらなければ終われないぞ」

「……知った風な口を……」

「残念だが、私には君の気持ちは理解出来んよ。私は私であって、君じゃない」

突き放すように言われた英樹の一言に、楓の中で何かが、ぷつりと切れた。


瞬間、

気合い声とともに放たれる。


無影。

間合いの中で放たれれば、もはや回避は不可能。


その身を切り裂かれるのみ。


の、はずだった。


それが、

空を切る。


間違い無く、一瞬前まで目の前にいたはずの英樹が、その一瞬のうちに掻き消えた。


刹那、

楓は自分の首筋に冷たいものを感じた。


鋼の刀身。


瞬きすら許されない無影が放たれたその時、すでに英樹は信じられぬほどの素早い身のこなしで楓の背後に回り込み、即座、抜刀した切っ先をその首筋に当てていたのである。


楓の顔が驚愕の一色に染まる。

汗は冷や汗に変わり、震える声で、ようやっと英樹へ問う。


「なん……でや……あんた、その状態じゃあ目だって見えてへんはず……なのに……」

驚きの眼差しを背後の英樹に向けようと首を後ろへ回す楓に向かい、英樹は一言、


「これが色宮流口伝奥義、非視之視ひしのし

静かにそう言った。


「色宮流の開祖、色宮宋雲は晩年に目を患ったらしい。そこで、目に頼らずとも剣を持ちうる技を編み出した。それが非視之視」

「そんな、作り話みたいなこと……目が見えんようになっても、心の目で見いとでも言うつもりかい……」

「心なんかでは何も見えないよ」

その目で見てすら、まだにわかに信じられない技を見せつけられ、悪態にも似た反論をした楓へ、英樹はこれまた優しく諭す。


「非視之視は、目で見えぬものは耳で、鼻で、口で、肌で(見る)技。耳で(聞く)んじゃない。耳で(見る)。鼻で(嗅ぐ)のではない。鼻で(見る)口で(味わう)のでもない。口で(見る)。肌で(感じる)のではなく、肌で(見る)。それゆえに色宮流ではもっとも難しい技として伝えられてきた」

「……じゃあ、それ……ほんまに、目が見えんでも……」

「見えるさ。目以外のもので見ればいい。ただそれだけのことだよ」

「……」

「だから、君も終わる必要は無い。剣を捨てる必要も無い。これは終わりじゃ無く、始まりなんだよ。分かるかい?」

「そ……れって、ほんなら、その技……うちに……?」

「学びたければ教えよう。もちろん、身に付けられるかどうかは君の努力次第だがね」

そう言い、英樹は笑った。

いつもの優しげな笑顔で。


次の瞬間、


またもや崩れるように床に膝をついた楓は、今度は泣き崩れるのではなく、すっと姿勢を正し、きちんと正座をすると、英樹のほうへ向きなおって首を深く垂れ、


「……なにとぞ、ご教授を……よろしう……よろしう、お願いいたします……」

涙声でそう言った。


それを聞き終えると、英樹は目隠ししていた手拭いを外すと、またひときわ優しげな顔で楓に微笑みかけた。


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