破滅ノ剣 (6)
シャットダウン症候群。
不完全ないくつかの原因によってもたらされる神経系病変のひとつ。
国の難病指定にも入っている、決して罹患率の高い病気ではない。
何ら疾患の無いはずの人間が、ある日、突然に視力を完全に失う病。
発症原因も治療法もいまだ正確には解明されていないが、発症者となる人間の判断だけは特殊な検査法によって検出される異常なたんぱく質の有無で判断が可能である。
楓はそれに罹患している。
病名の宣告からすでに半年。
この疾病が確認されてから視力を失うまでの平均的期間は一年前後。
ただ、罹患の時期などが検査によっても判明しないため、かなり前後に誤差が生じる。
それでもやはり平均は一年。
何の指標も無く動くのは厳しいことを思えば、楓がこの一年という時間を念頭に行動していたのもうなずける。
そしてタイムリミットは近い。
前後差が悪いほうに転がったなら、今すぐにでも失明する可能性すらあるのだ。
焦らないほうが異常だとすら言える。
今、この瞬間にも光を失うかもしれない。
だからこそ、
切望した手練れとの決闘。
白羽の矢を立てられた紅葉からすれば単なる迷惑とも取れるが、楓の必死さはそれを補って余りある。
「さて、無駄話はこの辺にしようや。ここまでお膳立てしてくれたいうことは、つまりはあんたがうちとの決闘を了承したと考えてもええんやろ?」
「……まあな」
「なら、くだらん前置きは無し。さっさと始めようや」
言って、楓は腰の剣を指差した。
と、紅葉はそれに反応し、英樹へ目配せする。
「……よし。では、両者とも中央へ」
横に退きつつ、英樹がふたりを手で示し、道場中央に誘導する。
間合いや立ち位置は自然に決まった。
紅葉と楓。
どちらも数えきれないほどの戦いをくぐり抜けてきたゆえに。
厳格なルールに照らせばよろしくはないが、それでも実戦的な観点からは極めて理に適った間合いで両者は対峙する。
「紅葉っ、とっととそいつぶっ倒して、レリアに敵討ちの報告しに行くわよ!」
じっと座っていたかと思った撫子が、知らぬ間に立ち上がり、少々物騒な声援を送る。
それに気づいた東真は、慌てて撫子の手を掴むと、引きずるようにして無理くり床へと座らせた。
緊張の走っていた紅葉も、これにはわずかに苦笑が漏れる。
「ええなぁ。仲良しこよしの応援か。今やひとりぼっちのうちには目の毒、耳の毒やで」
「またくだらんことを……子供のだだでももう少しマシなことを言うぞ」
「……なんやて……?」
嫌味と、葵を失ったと感じている自分自身への自虐から発した言葉に噛み付かれ、にわかに楓も視線に殺気を走らす。
しかし、次いで言った紅葉の言葉がそれを打ち消した。
「自分より強い者に負けたいと願っている人間に、一体どんな言葉がかけられるって言うんだ。少しは久世の心中も察してみろ。お前だけがつらいだなどと思うな」
考えさせられる一言だった。
思えば、どこかで自身の不幸を免罪符のようにし、人の気持ちを理解しようとする努力を怠っていたように感じる。
これだけ長く一緒にいた葵に対してすら。
だから余計に腹も立つ。
ここまで来ると、怒りの矛先はまったく見えない。
自分に対してなのか。
葵に対してなのか。
それとも、自身の病に対してなのか。
何もかもが思い通りにいかない。
そう思う。
だから怒りが込み上げる。
自分より強い相手に負けて、剣を捨てるという考えにしても、自分の病に対する精神的な防御線のようなものだ。
本心ではそれで納得しようとしているだけで、その実、まったく納得などしていない。
それだけに余計、頭を掻き毟りたくなるような怒りが全身を満たす。
望みうる答えなど無い。
本心を言えば、絶望しかない。
そんな状況で、ある程度のところで自分の気持ちに折り合いをつけるために考えた答え。
それが、(自分より強い相手に負けて剣を捨てる)という選択だった。
自分より強い相手がいるなら、自分が剣を続けなくても良い。
自分の代わりに、その相手が剣の道を進んでくれるだろう。
そう無理やりに思い込む。
それぐらいしか、思考の逃げ場が無かった。
それほどに絶望的。
失明の恐怖。
極端を言えば、今この瞬間にも視力を失うことさえある。
そんなことを考えながら、冷静な判断を下すことなど人間に出来るものだろうか。
少なくとも、楓は出来なかった。
それゆえの暴走。
結果がこの決闘。
だが、それもこれから結果が出る。
結果が出れば、おのずと次を考えることになる。
納得のいく、いかないにかかわらず。
「さあて……ほな」
「始めるか……」
紅葉と楓。
揃ってそう言うと、ゆっくり間合いを詰め始める。
同時、
紅葉は腰の剣を鞘ごと引き抜き、いつもの奇妙な構えに入る。
鞘を持った左手。
柄を持った右手。
それを前に差し出す独特の構え。
すると、楓も構える。
これも独特の構え。
鞘を腰から中ほどまで引き出し、ちょうど左の腹から右胸にかけて剣を斜めに構え、頭の辺りになった柄へ右手を添えている。
転瞬、
放たれる。
無影。
紅葉が一瞬で勝負を決しようと放った必殺の剣。
その場にいたもので、その剣の動きを目にできたものはわずかにふたり。
ひとりは英樹。
ひとりは……、
同じタイミングで剣を繰り出し、紅葉の剣を弾いた人間。
楓。
彼女もまた、紅葉の無影を見切っていた。
両者ともに、鞘からいまだ完全に抜ききられていない刀身をぶつけ合い、目に焼き付くような火花を散らした。
高い金属音の響きとともに、周囲に焦げたような金臭い匂いが立ち込める。
「貴様……まさか無影を見切って……!」
「勉強足らずのようやから教えたるわ。関井心貫流の無影は元々、真元流にもある。ただし、真元流の無影はそこまで奇抜な構えはせえへんけどな」
「む……」
「さあ、勝負は始まったばかりやで。頼むからこんな程度で終わりやなんて、がっかりなことは言わんといてや」
間近で剣を重ね合いながら、楓は紅葉へ不敵な笑みを送った。




