破滅ノ剣 (5)
夜の色宮道場。
そこへ急に訪れたにも関わらず、紅葉と楓に対するその応対はひどく敏速だった。
「来たか……思った以上に早かったね」
門前でいつものように英樹が出迎える。
ただ、
言葉の意味は楓には少しばかり計りかねた。
しかしそれもすぐに謎が解ける。
「門人たちはもう残っていない。あとは君のお仲間たちだけだよ」
「……お気遣い、痛み入ります」
「奥で全員待っているよ。まあ、まさか昨日の今日で来るとはみんな思っていないだろうけどね」
少し苦笑を交えた英樹の言葉に、楓は察した。
ああ、(張られていたのは自分だった)のだと。
紅葉を待ち伏せていたつもりが、実は待ち伏せられていたのは自分のほうだった。
これには楓も先を取られたと知って、ふっと自嘲の笑いを漏らす。
そして、
三人は揃って廊下を奥へと進んでゆく。
「……ハナからうちが接触してくるんを予想してたいうことか。紅葉さん?」
「まあな。お前さんの性質を想像するに、近日中で私に接触するとは踏んでいた。ただ、まさかここまで早いとは正直、思っていなかったが、それでも仲間たちを待機させているタイミングで来てくれたのはこちらとしては計算内だ」
「ふふっ、お仲間連れか。で、どないするつもりや。うちをあのレリアたらいうのの仇討に、全員で袋にでもする気ぃか?」
「……それを秋城が望んでいるなら喜んでそうするが、どうもそういうわけではないことははっきりしてるんでな。仲間は単なる見聞役だ」
「……何の見聞や?」
「私と……貴様の決闘のだ」
そう言い、廊下を進みながら背後の楓を睨んだ紅葉の目は完全に斬人のそれだった。
私怨が無いと言ったらウソになる。
紅葉もまた、レリアを仲間であり、友人であると考えている。
それへ重傷を負わせた楓に対し、恨みが無いはずはない。
だが、自分のすべきことは心得ているつもりだ。
ただ……、
「ところで……」
疑問はある。
「貴様は何故、レリアを刺した?」
このことだけは確認したいと思っていた。
すると、
「理由は簡単や。うちが内密にて言うた話を、どうしても隠すわけにいかんと言い張るもんで、脅しの意味も含めて口封じに右胸差してもうたんや」
「……レリアが手に持っていたという、辻斬りの件を内密にという紙だけでは足りなかったとでも?」
「あれはあれ。用件が違う。もうひとつの、絶対に口外されたないことのほうをどうしても黙っとれん言うて、あの紙書いてよこしてな。『この件については確約するからそれで手を打て』言うんで、もう刺すほかなかったんよ」
「それほど、隠さねばならんことなのか……?」
「人にはな、どうしても知られとうないこともある。譲れん一線に触れられてもうたら、それこそあとは命のやり取りにもなりかねん。そういうことや」
楓の答えはそんなものだった。
対して、紅葉もそうした流れをある程度予測はしていたようで、その後は道場に着くまで無言を通した。
そして、
「着きましたよ。おふたりとも」
先頭を行っていた英樹が言い、ひとつの戸の前で足を止める。
次いで、戸を開けて英樹は道場内に入っていった。
「どうぞ、おふたりとも入ってください」
先行する英樹に倣い、紅葉と楓も道場へと足を踏み入れる。
広い。
色宮の数ある稽古場、道場の中でも特にこの一室は広い。
ふと見渡しただけでも、軽く三十畳はある。
見れば、脇にはひとかたまりに人が座っている。
東真、撫子、純花、草樹。
紅葉としても楓としても、別段気にかかるような人物はいない。
ここまでは。
しかし、
「……なっ……!」
見て、楓が吃驚の声を上げる人物もある。
一団の中にひとり、
久世葵がそこに同席していたのだ。
「なんで、あんたがここに……?」
怒りと困惑が綯い交ぜになった視線を楓が向けると、葵はただ伏して、申し訳なさそうな顔をするしかない。
言葉を発せる立場に無いともいえる。
厳密な分け方は難しいが、簡易な分け方をするなら敵味方の間柄の、敵側に座っている。
そこから察せられることもまた簡単。
葵が口を割ったと考えていい。
それだけに楓の全身から発散される怒気は相当なものだった。
が、
「久世を責めるなよ大場。もし久世が口を割ることがなかったとしても、意識を取り戻したレリアが事情は話していた。少し考えれば分かることだろうに、それほど目が曇っていたか。くだらん脅しでレリアほどのものの口など塞げんことを」
「……まったく……それなら、レリアいうのに何も言わんかったら良かったゆうことか」
「それもまたまずいことになっていたろうよ。そうなると自然、話は久世のみから漏れることになる。それはお前たちには好ましくない状況を生んだと思うが、どうだ?」
「……どちらにせよ、飼い犬に手を噛まれた事実に変わりはあらへんやろ」
「好ましくない状況に……変わりは無しというわけか……」
紅葉との会話の中で、徐々に楓の怒気は治まっていった。
それが諦念からのものだったことはわずかながらに懸念の材料ではあったが、少なくともこの場での楓がわずかながらでも落ち着いたのは良いことだろう。
「さて、もはや公然の事実と化した貴様の秘密とやら。隠し立てはもはや無意味だということは理解してもらえたか?」
「……言うに及ばずやな」
「そうか。なら、こちらも質問がしやすい」
そう言い、紅葉はふと背後を振り返ると、楓の目を見つめながら、問うた。
「……お前のその目……」
ここまで言っただけで、楓の表情が曇るのがはっきり分かり、露の間、紅葉は次の言葉を出すのに手間を喰った。
分かっている質問とはいえ、問うのもつらい。
紅葉は、ふうっと、少し大きな息を吐くと、続け、
「お前のその目が見えるうちに、自分よりも腕の立つ者に負けたい。それがお前の望みだと考えていいんだな?」
そう言った。
「言うまでも無く。それが出来る事なら、あんたであるのがうちの最大の望みや」
細めた目に愁いを湛え、楓が答える。
その場で知れず、葵の体がわずかに震えていた。




