胎動ノ剣 (6)
知らせを受けて東真たちが病院へ駆けつけたのは、すでに夜の八時過ぎ。
だがレリアの緊急手術はその時刻でもまだ終わっていなかった。
手術の待合の時間。
耐え難く長く感じる時間。
その間、東真らはただ待つのみだったが、レリアの妹、レティシアは駆けつけていた警察からいろいろと質問されているのが見えた。
ただ、質問のどれひとつに対しても、レティシアは答えているようには見えなかった。
無言でうつむき、床を見つめ続けている。
その様子は、警察が立ち去った後にも変わることは無かった。
騒ぎが落ち着き、レティシアがひとりになると、離れたベンチに座っていた東真、撫子、純花、紅葉の四人はレティシアを囲むように座ると、それぞれにどう声をかけたものやら迷ったが、口火はまず東真が切った。
「一体……何があった?」
単純明快な質問。
しかし、
これにもレティシアは黙して語らない。
二の句を次ぐ勇気は東真には無かったし、他の三人も、新たな質問をできるような空気でないことを察し、口をつぐむ。
そんな息苦しい時間が約一時間。
九時を回った頃、ようやく手術室の扉が開いた。
皆、一斉に立ち上がった。
東真も、撫子も、純花も、紅葉も、レディシアも。
駆け寄るようにベッドへ寝かされたレリアへ近づく。
点滴のチューブをつけ、酸素マスクをつけられ、目を閉じたまま運ばれてゆくレリアに、声をかけそうになるのをぐっとこらえる。
今は何にせよ安静が大事。
それぐらいの思慮はその場の全員が持っていた。
代わりに、撫子が手術室を出てきた医者を捕まえ、問う。
「せ、先生、レリア……あの子、大丈夫なんですか?」
「ああ、手術は無事に終わったよ。傷も綺麗だったし、出血こそ多かったけど、肺もそれほど損傷はひどくなかったしね。しばらくは呼吸器のリハビリが必要だろうけど、後遺症も特に心配することは無いだろうし、まして命に別状があるようなことはないから安心していいよ」
この答えに、撫子はひときわ大きく息を吐き、がっくりと倒れ込むようにしてベンチに腰を落とした。
動きの大小に差こそあれ、東真も純花も、紅葉もレティシアも、安堵の溜め息を漏らしたのは共通の反応だった。
「ひとまず……安心していいんだよね、これ……」
べったりと壁とベンチの背もたれに張り付き、下した腰も据わらない状態で撫子が言う。
「医者は職業柄、憶測でものは言わん。医者が大丈夫というなら大丈夫なんだろう」
「なら、いいけど……」
「ササキ、心配なのは誰も一緒だ。が、一番心配してるのは秋城の妹だろ。もう少し身内に気を遣え」
言って、東真はその場で立ち尽くしたままのレティシアへ声をかける。
「……おい、平気か?」
が、やはりレティシアから返事は返ってこない。
精神的ショックの大きさはよく分かる。
なにせ実の姉がこんなことになったのだから。
とはいえ、何がどうなってこんなことになったのかを知りたいのも確かだ。
そこで、東真は根気強くレティシアが口を開くのを待った。
どのみち、レリアはしばらく眠り続けることになる。
とすれば、一体レリアと一緒に帰路へついていたレティシアが何を見たのか、何事に遭遇したのか、そこを聞くことしか東真たちには出来ない。
うつむいたままのレティシアの顔を覗き込み、我慢強く彼女の長い沈黙に耐える。
と、
「……これ……」
ようやく、レティシアが声を出す。
そして、何やら手に握った紙きれを東真に差し出した。
ところどころが、レリアのものと思しき血に染まっている。
「……これは?」
「……」
再びの沈黙。
仕方なく、東真は差し出された紙きれを手に取ると、それを広げてみる。
広げて気づいたことだが、紙は二枚だった。
レティシアがあまり強く握りしめていたため、重なり合って折れ合い、ほぐすまでそんなことすら分からなかった。
一枚は、レリアの書いたものとすぐに分かった。
『東真さん。辻斬りの件、しばしの間、内密にお願いいたします』
この内容からして、書いたのがレリアであるのは明白である。
問題はもう一枚。
こちらは名が記されていたため、書いた人間はすぐに知れた。
『近日中に挨拶へ出向きます。松若の斬人に会えるのが今から楽しみです 大場楓』
この物証と、レリアの実力から察するに、恐らくレリアとレティシアは帰路の途中に楓と出会ったのだと分かる。
葵の腕前では、レリアとレティシアのふたりを相手に、レリアの胸を貫くなどという芸当は出来るとは思えないからだ。
となると、これをしてのけたのは楓と考えるのが自然である。
に、しても……、
レリアのものと思われるメモの意味がいまいち理解できない。
辻斬りの件をしばらく秘密にしておけとはどういうことなのか。
楓に脅されて書かされたか?
いや、それはレリアの性格上、有り得ない。
狂犬のような性質だが、根は一本筋の通ったところがある。
脅されてこのようなものを書くような軟弱な精神の人間ではない。
だとすると、レリアの真意は何なのか。
ますます謎が深まってしまう。
特に今、本人から事情を聞けない以上、より情報不足で東真たちの混乱は増す。
そんな煩雑な考えに頭を痛め、無意識に東真が頭を掻いていると、急に、
「……お姉ちゃん……」
レティシアが話し出した。
ゆっくりだが、静かに、少しずつ。
「……お姉ちゃん……大場ってやつに……刺されて……」
「……大場に……?」
「私は……近くにいたのに……見た時には、もう、お姉ちゃん……あいつに……」
「……」
かける言葉は見つからない。
いや、元からそんなものは無いのかもしれない。
東真はただ、黙ってレティシアの言葉を聞く。
「あいつ……お姉ちゃんと話……するって、離れて……だけど、刺され……」
そこまで言って、レティシアの息が詰まるのが聞こえた。
しかし、嗚咽に紛れてなお言葉を紡ぐ。
「……なんで……お姉ちゃんが……なんで……」
繰り返し、そう言ってレティシアは身を震わせ、泣いた。
うつむいた顔を覗き込む無粋はしない。
涙だけが零れ落ちる。
かけるべき言葉を持たない東真は、ただ、レティシアの大きな肩を、そっと抱くことしかできなかった。




