胎動ノ剣 (2)
「本当に申し訳ありません。わたくしの妹が至らぬばかりに賊を逃してしまい、お詫びの言葉もございません」
昨夜の辻斬り捕縛の失敗から一晩。
色宮道場に集った東真らの前で、まずはレリアが床に膝と両手をつき、深々と頭を下げてこう言ったものである。
「ほら、レティシア。あなたもきちんと頭をお下げなさい」
姉のレリアに促され、レティシアもその巨躯を縮めて膝を折り、手をついて頭を下げ、
「……まことに申し訳ございませんでした……」
ぼそりとつぶやくような口調で言う。
無表情な顔に、抑揚の無い声。
それらは普通に考えると、本来は自分に非の無いところを無理に謝罪させられている不満によるものとも見ることが出来たが、ことレティシアについてはそういう事情ではない。
元来、そうした性質なのだ。
姉のレリアに比べて極端に口数が少なく、感情の起伏も少ない。
(大人しい)という表現だと少々の語弊があるが、つまりは疑似コミュニケーション障害である。
「もうそれぐらいにしておけ秋城。別に今回の件はお前の妹に非があったわけじゃない。まさか夏とはいえ、川に飛び込むとは思いもしなかったし、土台、川へ飛び込まれるのだと決まっていたら、こちらは防ぎようが無かった」
「そうよ。あの場合は川に飛び込まれた時点でこっちの負け。誰に責任があるとか、そういう話じゃないってば」
東真のフォローに、重ねて撫子が付け加える。
実際、そこまでの覚悟をされてしまっては、取れる手だてなど限られる。
撫子の言う通り、この件は誰かの責任というものではない。
単に辻斬りの少女……葵の思い切りが想像以上だった。
それだけである。
「でも、ものも考えようですよ。川に飛び込むほど追いつめられる怖さを味わったわけですから、もうこれきりで辻斬りは身を潜めるんじゃないですか?」
「身を潜める、か……それだと、またいつ姿を現すか分からん不安が残るが……」
「大丈夫ですよ。みなさんに一斉に追われたのは多分、相当のトラウマになるでしょう。再犯する度胸なんて出るわけないですよ」
「ふむ……まあ、だといいんだがな」
純花の少し楽観的ともいえる意見に、それでも、これ以上の労苦は御免なのが本心の東真が半分程度の納得具合で返事をする。
「しかし……辻斬りはこれで済んだとしても、全体で見ればこれですべてが片付いたとはまだ言えないですね……」
「なんだ照山。まだ何か心配事でもあるっていうのか?」
「今回の辻斬り犯……取り逃がす取り逃がさないにかかわらず、問題は残ったままです」
「と、いうと?」
「……暗闇でしたが、辻斬りの正体はしっかりこの目で確認しました。読み通りです。顔全体こそ見えませんでしたが、久世葵に間違いありません。となると……首魁である大場楓が問題です」
「新しい、元場の斬人か……」
どうにも面倒ごとはまだ終わっていないようだと分かり、東真はうんざりとした顔で頭を掻く。
そんな東真の様子を見つつも、紅葉はさらに続けた。
「今回の辻斬り事件が大場による主導なのか、それとも久世ひとりの独断なのか……それは分かりません。ただ、どちらにせよ大場がこの先、動きを見せないということは無いと思います」
「それは、どういう理由でだ?」
「人間の性質というのは、そう簡単に変えられるものではありません。大場は私の調べた限り、根っからの剣術狂い……問題を起こさずに大人しくしていられるのはそれほど長くないはずです」
「三つ子の魂、百まで……」
「……おっしゃる通り」
東真の受け答えに満足したように、紅葉はこっくりとうなずく。
幼少から培ってきた人間の性質が、如何に容易には覆せないか。
紅葉は身をもってよく理解している。
そして、東真もまた理解しているだろうと察していた。
似たような境遇で幼いみぎりから剣ひとすじに生かされてきたその心痛は、実際にそれを味わった人間にしか分からない。
加え、それによって染み付いた剣の業もまた然り。
好き嫌いなどという観念では計れない。
剣が自分であり、自分が剣なのだ。
それほどまでに深い業の中に身を置いている。
だからこそ、
性質は違えど、人の業の深さは手に取るように分かる。
大場と久世は自分とは異なる性質とはいえ、根幹は同じ。
剣無しでは生きられない。
そんな人間が一体いつまで大人しくしていられるか。
紅葉の懸念を支える理由はすなわちそういった部分である。
「……今に、元場では納まらなくなるまずなんです。剣が、静かに生きることを許してはくれない。そういうものなんですよ。剣を持ったものの業というのは……」
「はあ……重っ苦しいわね。あんたらの話はいちいち」
鉛のような空気に嫌気が差したか、撫子が呆れた口調で口を挟んだ。
「あのね、問題なんてのはそれこそ起きる前に対処できること以外は気にするだけ無駄なのよ。悩んだり、考えたりは基本、問題が起きてから考えれば済むこと。それを起きる前からネチネチ思い悩んだって、気分が沈むだけでしょうに」
それまで積み重ねてきた東真と紅葉の生真面目な話を一蹴するように、撫子が言う。
だが、これもまた考え方の違いだけであって、正解ではある。
まだ起きてもいない事柄に気を揉むより、冷静にことの成り行きを見定める。
決して悪いことではない。
特に気にし過ぎるところの強い東真や紅葉の性格を考えると、それぐらいがちょうどよいと言って差し支えないだろう。
「なるほど……確かに、ササキの言いようも一理あり、だな」
ふっと笑いながら、東真は珍しく撫子の意見に賛同する。
底意は単純。
自分以上に、これ以上、紅葉へ無駄な心労をかけまいという気遣いである。
「あら、珍しいこともあるもんね。あんたがあたしの意見を素直に聞くなんて」
「正しい意見なら、誰の意見だろうと素直に聞くさ。今回は偶然それがお前からだったというだけだ」
「ふむ……なんか、微妙に引っかかる言い方だけど……まあ、いいわ。あたしが正しいってちゃんと認めたことは褒めたげるわよ」
「……お褒めに与かり、光栄だ」
「……やっぱりなんか引っかかるわね。なんなのかしら?」
「気にするな。それこそお前らしくないぞ」
「むう……」
これもまた、珍しく東真が言葉で撫子をうまく誤魔化す。
そしてそこをしつこく撫子は追求しようとはしない。
そうした性格も読んでのこのやり取り。
そんな言動の心理を悟ってか、紅葉はこのところで久しぶりに顔に笑顔を浮かべた。
それを見て、東真も笑う。
が、撫子は気持ち怪訝そうな表情。
それらの流れをすべて傍から見ていた純花は、申し合わせずとも変なところで息ぴったりなこの友人たちの言動に、クスクスと遠慮がちな笑いを漏らしていた。




