不穏ノ剣 (7)
「いやはや、参ったね。辻斬りが辻斬り狩りに狙われるなんて……」
桜木橋を駆けながら、辻斬りの少女がつぶやく。
「でも……もったいないなぁ。あれだけの手練れが揃ってるのに、逃げるだけかぁ……」
少女が口惜しそうにそう言ったところで、もう橋も終わりが見えてきた。
あとひと走り。
それで切り抜けられる。
そう思った時、
それは突然目の前に現れた。
「……え?」
辻斬りの少女も我が目を疑って、驚きの声を上げる。
橋のたもとの暗がりに混ざり、最初はよく見えなかったが、闇に潜んだ人影が確かに立ちはだかっている。
だが、ただ待ち伏せの人間が姿を見せただけでは少女も驚きの声を上げたりはしない。
声まで漏らした原因は別にある。
その、潜んでいた人影。
それがあまりにも大きかったのだ。
見た目だけで考えても、その身の丈は軽く180センチを超えている。
下手をすれば、190あるかもしれない。
そんな巨体に立ちふさがられ、さしもの少女も足を止めた。
そして一言、
「……べ、弁慶……?」
第一印象を口にする。
すると、
巨体が凄まじい勢いで少女に突進してきた。
橋の影を抜け、照明に照らし出されると、それは体躯こそ異常に大きかったが、姿は普通の少女だった。
肩より少し上辺りの黒いショートヘアに、童顔という表現が恐らくもっとも正しいだろう幼さの残る顔立ち。
それが180センチ超の巨体の上に乗っている。
形容詞が相殺し合うことになるが、この姿を一言で表すなら、
(巨大少女)
こういう表現になるだろう。
と、背後でレリアが叫ぶ。
「今ですレティシア、不届きな辻斬りに天誅を!」
それを聞いてか、巨大少女はこっくりとうなずくと、腰のレイピアを抜き、辻斬りの少女へ挑みかかる。
そう、この少女こそ、鈴ヶ丘の校門前で東真らを絶句させたレリアの妹、レティシア。
フランス人の母と日本人の父を持つ秋城姉妹は、姉のレリアは髪の色や容貌に母の特徴が遺伝したようだが、妹のレティシアは高身長という特徴のみ母方から遺伝したらしい。
とはいえ、
その大柄な体躯にもかかわらず、レティシアのスピードは姉のレリアと比べても遜色無いほど突出していた。
大きさと速度が重なった時、それは恐ろしいまでの威圧感を生む。
簡単な想像の例を上げよう。
巨大な熊が、超高速で突進してきたら……。
もしくは、
この場合は、巨大なサイの突進と表現すべきだろうか。
レイピアの切っ先を真っ直ぐ突き立て、猛スピードで突撃してくるそのさまは、どちらかといえばこの表現が近いかもしれない。
対し、慌てて辻斬りの少女はレティシアの突進をぎりぎりでかわす。
が、それでは済まない。
レティシアは即座に足を止めると、今度は間合いを詰めた状態での攻撃に転じた。
これもまた、姉のレリアと遜色の無い鋭い突きの連続。
受け流そうにも、剣を失っている辻斬りの少女は必死で身を反らし、次々と繰り出される突きを回避するのがやっとで、もはや勝負あったと見えた。
しかし、
辻斬り少女もあきらめない。
間断無く身に降りかかってくる突きの一瞬の隙を縫い、さっと横へ飛び退ると、そこから橋の欄干に飛び乗り、そこを疾走する。
これならもうレティシアも、欄干に沿って追いかけつつ、横向きの不自然な姿勢で突きを入れてくるのがせいぜい。
改めて形勢逆転と見て、少女は笑い混じりに、
「橋の上で弁慶と牛若丸が戦ったって、勝つのがどっちかなんて決まってんのよー♪」
高らかに言って、橋の欄干を走り抜けてゆく。
だが、
少女はひとつ大きな読み違いをしていた。
レティシアの身体能力。
それを巨大な体躯の印象のみで考えてしまった。
その計算違い。
それが、目の前に現実として立ちはだかる。
一気に欄干の上を駆け抜けられると思ったその刹那、
ドシンッ、と、小さく橋の揺れるほどの衝撃があったと思った途端、
橋の欄干の上を走っている自分の目の前に立っている。
レティシアが。
巨体からは想像もつかない身の軽さとバランス感覚でもって、レティシアもまた橋の欄干に飛び乗り、辻斬り少女の行く手に立ちふさがる。
これには完全に少女も泡を喰ったが、そんなことにはお構いなしにレティシアの連続突きがまたも炸裂する。
不安定な足場でもこの運動性。
辻斬り少女の計算違いはまさに致命的だった。
よもや、この足場でも問題無く鋭い連続突きを放ってくるとは……。
レティシアのその勢いに押され、辻斬り少女は一歩、また一歩と欄干を後ろへじりじりと下がってゆくしかない。
そして、下がってゆけば、後方には東真、撫子、紅葉、レリアの四人が待ち構えている。
これにて進退窮まった。
少女もそう思ったであろうし、東真たちも同じくそう思っていた。
ところが、
もはやどこにも退路は無くなったと思ったそんな時、
それが逆に最後の後押しとなってしまった。
「あーーーーーっ、もうっ!」
苛立ち紛れな叫びを上げたかと思った次の瞬間、
辻斬り少女は、くるりと転身すると、勢いよく欄干を蹴り、そのまま橋から央田川へと身を躍らせた。
「ああっ!」
東真が声を上げるのも空しく、夜の闇の中、少女の体が真っ黒な川面に吸い込まれた。
ドボン、と、鈍い水音をともなって。
「あらららら……」
微かに波紋を伝える川面を覗き込みながら、撫子が言う。
「こりゃ残念ながら、あちらさんに軍配だね。この暗闇の中じゃあ、川を探索するなんてさすがに無理だし、今回はこっちの負けだわ」
「……くそっ!」
言いなだめられつつ、撫子に肩をポンポンと叩かれた東真は、それでも悔しげにしばらくの間、川面に視線を這わせ続ける。
生温く、湿った風が、ふわりと橋の上に揃った全員の身を撫ぜた。




