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プロローグ (1)

関井道場での死闘から約一カ月。


松若にも夏休みが訪れ、東真や撫子、純花に紅葉といった面々も、それぞれに真夏の余暇を満喫していた。


……と、言いたいところだが、


お察しの良い読者の皆様はお気づきだろうが、東真はその気性ゆえ、余暇を楽しむという発想そのものが無い。


ゆえに、うだるように暑い最中にあってもなお、剣の道ひとすじに……と言えば聞こえはいいが、つまりは剣以外にやることが思いつかないために、今日も色宮道場へ、朝も早くから訪れていた。


「御免下さいませ」

狭い間口の色宮道場の門前に、東真の声が響く。


夏休みに入って以来、もはや朝の恒例である。


「ああ、紅さん。今朝も早いね」

来る頃合いを見計らって待機していた英樹が今日も一番で出迎える。


「早いなんてもんじゃないですよ英樹さん。お願いだからこのバカにもう少し休みの意味ってもんを教えてやってくれませんか?」

出迎えの英樹に頭を下げる東真の背後から、撫子が腫れぼったい目をこすりつつ言う。


「悪態をつくぐらいなら無理について来んでもいいだろう。大体、私はお前を誘った覚えは無いぞ」

「何言ってんのよ。稽古するにも相手がいなくちゃ始まんないじゃない。人が気を利かせて一緒に来てあげてんだから、礼のひとつも聞きたいぐらいだわ」

振り返り、応ずる東真に重ねて撫子が噛み付く。


そんな様子を見て、英樹は苦笑しながらふたりを奥へと導いた。


「さ、まだ早いといっても暑いからね。早く奥へ入ってください。当節、士道を志していても、エアコン無しの夏はとても耐えられたものじゃないよ」

言って、勧められる道場の中からは言葉通り、外とはまるで違う冷風が漏れてくる。


「では、失礼をしてお邪魔を……」

「いいからさっさと入んなさいよベニアズマ。あんたは焼き芋になるだけだからいいだろうけど、あたしは水も滴るいい女ならぬ、汗も滴るいい女なんて、なりたくもないものになんのはごめんだっての」

寝起きの不機嫌さに、不快な夏の暑さが重なってか、撫子がさらに悪態をつく。


すると、これにはカチンときた東真だったが、自分も早く冷気漂う道場内に入りたい衝動を抑えていたもので、そこをぐっとこらえて、言われるまま、さっさと英樹の後ろについて道場の奥へと入っていった。


「それにしても、毎日毎日大変だね。ふたりとも、夏休みに入ってからずっとうちへ通いづめじゃないかい?」

長い廊下を進みつつ、英樹は感心して言う。


「あ、もしかしてお邪魔になっていましたでしょうか。それなら……」

「いやいや、そんなことはまったく無いよ。こちらこそ、夏休みは門人も多く来るから、あまり手を回せず申し訳ないと思っているくらいさ」

「いえ、場所をお借りできるだけでも大いに有り難いと思っています。そこまでお気遣いされては、かえって心苦しく感じますので……」

「ははっ、ほんとに相変わらずだね紅さんは」

笑って返す英樹の言葉に、東真も少しく心が軽くなる。


生来、変に堅苦しいのが東真の特徴だが、自身でもそれがどうにも行き過ぎているという自覚はある。


ただあまりに長くその性格で生きてきたため、どの程度がちょうどいいのかが、いまいち自分でも調整できないのである。


それだけに、こうした英樹の何気無い気遣いを、東真は実際有り難いと感じていた。


気遣いをさせまいとする自然な気遣い。


そうしたことがごく自然にできるところが、英樹の人徳なのだろう。


「しかし、これは変な意味ではないから気を遣わず聞いてほしいんだけど、何故君たちは学校の部活動などには参加しないんだい。それこそ、そのほうが私なんかに気を遣わずに済んで気楽だろうとも思うんだけど……」

「それがねぇ英樹さん。このバカアズマときたら、『部活の剣道はルール上の問題で流派の特性を出せない、ごく形式的な剣術だ』つって嫌ってて、それでわざわざこちらに厄介になってるってことなんですよ」

「ははぁ……なるほど」

「ま、私も部活じゃ居合が使えませんからね。人のことはそんなに言えませんけど」

英樹の疑問に答える撫子も、つまりは同じ穴のムジナというわけである。


ふたりの剣術は一般的な剣道とはどう転んでも相容れない、独特な剣術。


そこが剣術狂いでありながらも、学校内に居場所を確保できないもどかしさとなり、なんともふたりを悩ませていた。


そこへ、

「でしたら、うちの道場で練習されてはいかがです?」

こんな甘い誘いを純花がしてきたのは、もう随分前のことになる。


今回の夏休みの件より以前から、ふたりはなにかにつけて色宮の道場を借りてきた。


それは剣を志して入学した一年生の時のふたり。


想像したよりも堅苦しい学校の剣道部のルールに馴染めず、半ば心が折れていた時、ふと声をかけてきたのが純花だった。


思えばそれが純花との付き合いの始まり。


そして純花にへばりつくように連れ添っていた紅葉を加え、四人の学校生活は始まった。


もうそんな付き合いも一年半近くも経過する。


歳月の経つのはまことに早いものである。


「さ、着いたよ。今日はここを使ってくれるかな。ここしばらく使っていた稽古場よりもかなり狭いが、堪忍しておくれ」

「心配無いですよ英樹さん。たかがふたりで練習するだけですからね。逆にいつもの広いにもほどのある道場使ってると、たまに酔いますもん」

そう言い、わざとらしく口を手で押さえたジェスチャーをしてみせる撫子に、英樹はまたクスリと笑う。


「まあ、おふたりとも。やっぱりもう来てたんですね」

急に廊下の後ろから聞こえてきた声に東真も撫子も振り向く、と、


そこには至極当然のように純花が立っていた。


「ほんとにおふたりともご熱心ですね。今日は予報によると今年一番の猛暑日になるらしいですのに」

「剣を志す者が、多少の暑さで音を上げていては他の者に笑われるというものだろう。要は気の持ちようだ」

「まぁた、格好つけちゃって。悪いけどあたしは外で練習なんてんだったらさすがに付き合わないわよ。涼しい道場の中だからこそやる気も出るってもんよ。あんただってそんなこと言ってても、マジでこの炎天下に剣振り回そうとは思わないでしょ?」

純花に多少、強がった返事をした東真だったが、この撫子の突っ込みは見事に己が本心を突かれていただけに、とっさの言い訳が頭に浮かばず、無言で聞き流すしかなかった。


「それはそうですね。士道に身を投じるのは結構ですけど、それも過ぎてはよろしくないと思いますよ。覚悟と忍耐だけでは体はついてきませんもの」

「妹の言う通り。何事もちょうど良い加減というのがなにより大事。締めるべきところを締め、緩めるべきところは緩めるのが肝要だよ」

援護射撃のような純花と英樹の言葉に気を良くし、撫子がにやけ顔で何事か言いたそうな素振りをしつつ、東真の顔を覗き込む。


ここでもまた軽く腹の立った東真も、どうにも自分に分の悪い雲行きを察してか、撫子については、わざと無視して英樹の意向のみ汲んだ形を取ることで、ぎりぎり自分の立場を保つことにした。


「……確かに、御説ごもっとも。過ぎたるはなお及ばざるが如し、ですね」

言って、英樹に頭を下げる。


「よし、じゃあ後のことは純花に申し付けてください。私もそろそろ門人が来ますので、これにて失礼を」

言い残し、東真と撫子に軽く一礼して英樹は去った。


と、言われた通りに純花が稽古場の戸を開け、

「さ、おふたりとも。外に比べれば涼しいですが、廊下も蒸します。早く中へお入りくださいな」

そう言い、冷気の吹き出る戸口から入るよういざなう。


「おう、やっぱようく冷えた道場は最高だね。これでこそ練習にも身が入るってもんよ」

「調子に乗って油断するなよ。私は締め過ぎの感があるのは認めるが、お前はどこもかしこも緩め過ぎだ」

「言ってくれるじゃん。じゃ、本日一発目の試合でその答えとしましょうか?」

「望むところだ」

「こっちこそ」

ふたりの関係を知らなければ、まるで売り言葉に買い言葉の喧嘩沙汰にでも見える光景。


しかし、ふたりは笑っている。


信頼感が伴うからこその悪態。


飾り立てた言葉は東真と撫子には必要無い。


そうして、

「まったく……おふたりして朝から忙しいんですから」

それを知っている純花もまた、そんな様子を苦笑して見つめていた。


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