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陰陽少女4

作者: 水原 順

     (うつ)()


 暗い県道(けんどう)に、チャチャは今夜も、(あかね)の姿で立っていた。小学六年生の、女の子だ。

 あまり、多くの車が走っている道ではない。片道一車線の、細い道路だ。お目当ての青い車は、今夜はまだ一台も通って来ない。

 住宅街の真ん中を、東から西に(つらぬ)く様に、道は通っていた。

西の端には、御神楽(みかぐら)(えき)があり、この時間でも結構人は通っているが、今茜が立っている東の端は、夜はほとんど人が通らない。

 夜中の一時を回った頃、一台の車が西から走って来た。青い車。茜は、少し眼を細め、(かす)かに笑った。


 男の名前は、どうでもいい。二十歳の、大学生だ。

 御神楽駅前の、ファミリーレストランでアルバイトを終え、車で(となり)(まち)まで帰る途中だった。

 今までは、隣町から電車でアルバイトに通っていたが、念願の車をやっと手に入れた。中古の、小さな車。色は、青だ。今夜は、愛車で初めての通勤だった。

 車は、県道を快適に走っていたが、住宅街を通り抜けようとした辺りで、急にエンジンの調子が悪くなってきた。アクセルを()んでいるのに、スピードが段々落ちてきた。

「おいおい、頼むぜ。こんな時間に、こんな場所で」

 男は、(なげ)きながら、懸命(けんめい)にアクセルを踏んだ。しかし、車は男の意に反して、プスンプスンと、情けない音をたてて、ついに止まってしまった。

「ちぇっ。やっぱり、中古は駄目なのかなぁ」

 男は、車から降りようともせず、ハンドルに頭を乗せて、()()してしまった。自分でエンジンルームなど見ても、分かるはずも無い。

「ねえ。私を、覚えてない?」

「うわ!」

 急に声を掛けられ、男は大声を上げて、助手席を見た。いつの間に入ったのか、小学生くらいの女の子が座って、男を見ている。

「ななな、何だよお前!」

 男は、反射的にドアを開けようとした。開かない。今まで、走っていたのだ。当然、ロックされている。と、するとこの子は、どうやって車内に入ってきたのか。

 夜中。県道。幽霊。

 そんな言葉が、男の頭に一瞬(いっしゅん)にして浮かんだ。凍りつき、ガチガチと歯を鳴らす男に、少女が、もう一度聞いた。

「私を、覚えてない?」

 男は、声を出す事が出来ず、首を小刻みに左右に振り、知らない事を伝えようとした。とたんに、少女の眼が大きく開き、黒目がギュッと細くなった。同時に、口がカッと開き、鼻の下が割れて、三ツ口となった。真っ赤な口の中に、白い牙が二本、のぞいて見えた。妖怪。

「本当に、知らないか?」

 妖怪の言葉を、男は聞いていなかった。髪の毛を逆立(さかだ)て、白目をむいて気絶している。

 妖怪は、少し(かな)しそうな眼をして、チャチャの姿に戻り、そして車内から消えた。


 愛子が教室に入ると、教室の隅で開かれていた井戸(いど)(ばた)会議(かいぎ)から、小西あんずが抜け出して、愛子のそばへ来た。

「おはよう、愛子。ねえ、知ってる?また出たんだってさ、例の妖怪」

「おはよう、あんず。知ってるわ。朝、一番に町内会長が家へ来たから」

 ランドセルの中身を、机の中へ移しながら、うんざりしたように愛子が言った。

「退治してくれって?」

 あんずの眼が、期待に輝いている。

「何とかしてくれってさ。まあ、アネキに泣き付いて来たんだけどね」

「お姉ちゃんに?じゃあ、どうしてあんたが、そんな仏頂面(ぶっちょうづら)してるのよ?」

「聞いてよ、あんず。あの、馬鹿アネキったら、自分が面倒くさいもんだから、町内会長に、『その件でしたら、丁度うちの愛子が、今夜から調べようとしていたところなんです。この子にお任せくだされば、なんの問題もありません』なんて、すました顔して言うのよ。どう思う?」

 愛子が、ランドセルの(ふた)を乱暴に閉じながら、言った。

「ちょっと。ランドセルに、当たらないの。でも、嫌なら断れば良かったじゃない」

「だって、いきなり言われて、一瞬固まっちゃった隙に、町内会長に両手を握られて『本当ですか?助かります。さすがは、我が町内に、八神(やつがみ)神社(じんじゃ)有りと言われる神社の、娘さんだ。町内を代表して、感謝します』なーんて、ウルウルした眼で見つめられて、あんただったら断れる?」

 愛子は、一息に言ってタメ息を吐いた。

「まぁ、無理ね。でも、出るのは夜なんでしょ?そんな時間に、大丈夫?」

「出るかどうかも、分からないしね」

「何何、八神?お前が退治しに行くのか?」

 二人の話を聞きつけて、お調子者の甲斐(かい)俊介(しゅんすけ)が、嬉々(きき)とした表情で近寄ってきた。その声を聞いて、他のクラスメイトたちも、愛子の周りに集まってきた。

「そうよ。これって、愛ちゃんの出番なんじゃない?」

 明るいスポーツウーマン・(とり)(たに)つぐみが、愛子の肩に両手を置いて、言った。

「ちょ、ちょっと待ってよ。本当に、妖怪が出たのかどうか、まだ分からないじゃない」

 愛子が、つぐみの両手を押しのけながら、言った。

「何言ってんのよ。もう、四件目よ」

「そうだよ。本当に、決まってるじゃん」

 みんなが、口々に言った。

「よし!それじゃあ、みんなで確かめに行ってみようぜ!」

 クラス一のワンパク坊主・島田(しまだ)健太郎(けんたろう)が、いかにもワンパク坊主らしい、提案を出した。

「おう、それナイス!なあ、八神。妖怪退治するところ、見せろよ」

「あのねえ、甲斐。愛子は、遊びでやってんじゃないのよ」

 あんずが、甲斐と愛子の間に、割って入った。

「なんだよ、小西。お前、八神のマネージャーかよ」

「バーカ。大体、本物の妖怪が、どれだけ恐ろしいか、知らないでしょ?あんたなんか、オシッコ漏らして泣いちゃうわよ、きっと。愛子の、足手まといにしかならないわ」

「なにを!じゃあ、八神抜きで行ってやるよ。おい、みんな行こうぜ」

「おう、俺も行くぜ」

 島田が、甲斐に加勢した。

「じゃあ、あたしも行ってみようかな」

 長身のつぐみは、そう言って少し身をかがめ、チラリと舌を出した。

「へへ。じゃあ、あたしも」

 後ろで聞いていた、委員長・上小牧(かみこまき)美穂(みほ)も、参加を表明した。

 委員長・美穂の参加をかわきりに、俺も私もと、クラスの半数以上が声を上げた。

「やめた方が、いいよ」

 その一言は、それほど大きな声でもないのに、なぜか皆が騒ぐのを止めて、注目した。佐藤(さとう)()()。ぽっちゃりとした、大柄の女の子だ。クラスで一番の秀才だが、おっとりしていて、おとなしい。

「なんだよ、佐藤。お前、ビビッてんのか?別に、無理について来いなんて、言ってねえよ」

 甲斐が、言いながら手をシッシッと、犬でも追い払う様に振った。

「それ、妖怪じゃないよ。水島(みずしま)(あかね)さんなんだって」

 ぼそり、と言った理穂の言葉に、その場の全員が、凍りついた。


 水島茜。去年、五年一組の生徒だった。勉強も、良く出来る女の子で、春休みも塾に通っていた。六年生の、新学期に備えて。

 春休みの、最後の日。夜の十時に塾を終えた茜は、塾の送迎(そうげい)バスで、家の前まで送られてきた。

 バスの中の友達に手を振って見送り、道路を横切ろうとした茜を、反対車線を走ってきた車が、()ねた。

 家の前で聞こえた急ブレーキの音に、茜の両親が、慌てて飛び出した。

赤い手さげを放り出して、茜が倒れていた。散らばった教材が、なぜかはっきりと茜の死を告げているように見えた。

父は、茜を抱いて家へ飛び込み、救急車を呼んだ。茜に取り付き、泣き叫ぶ母。小学三年生の妹・()()も、必死に姉の名を呼んだ。

門の前に、一匹の黒猫が座っている。黒猫は、たった今起こった事件を、目の前で見ていた。茜が可愛がっていた、チャチャだ。

チャチャは、茜がいつも帰ってくる時間を知っていた。その時間になると、いつもサッシをカリカリと引っ掻いて、外へ出してもらい、門の前で茜を待つのが習慣だった。

塾のバスから、大好きな茜が降りてきて、そして目の前で車に撥ねられた。青い車だった。

チャチャは、車が走り去った方向を、いつまでも見ていたが、やがて開けっ放しになっていた玄関から家へ入り、茜のそばへやって来た。

美希が、茜にすがり付いて、泣いている。チャチャは、茜の頬を一度だけ舐めた。

遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。

 新学期早々、悲しいニュースが、朝礼で発表された。

よく晴れた、始業式日和の空に、新六年生のすすり泣く声が、一層悲しく聞こえた。

住宅街で起きた事件だが、その時間は人通りもなく、目撃者が居なかった。チャチャを、除いては。

水島家の前の、歩道と車道の境目に、小さな花束とお菓子が置かれた。そして、その花束が無くなった頃、事件は迷宮入(めいきゅうい)りとなってしまった。

「三件目の被害者、あたしの友達のお父さんなんだ。友達っていっても、六年生なんだけど。五年の時、水島さんと同じクラスだった山村ひとみちゃん。水島さんと、仲が良かったらしいよ」

 理穂の話は、淡々(たんたん)と続いた。内容は、こうだ。

 山村ひとみの父が、仕事の帰り道に例の県道を、車で通りかかった。時間は、夜の十時過ぎだった。車の色は、青だ。

 住宅街を通り抜ける辺りで、急にエンジンの調子がおかしくなり、ついには止まってしまった。

「どうなってるんだ?全く」

 ひとみの父は、ぶつぶつ言いながら、携帯電話を取り出し、自宅へかけた。すぐに、妻が出た。

「もしもし。ああ、俺だ。車が、急に止まっちまったんだよ。ガソリン?」

 燃料計に眼をやったが、半分以上入っている。

「十分残ってるよ。エンジンの、トラブルだろう。明日、修理屋に見てもらうよ。とにかく、ちょっと引っ張りにきてくれないか。場所は…」

 ひとみの家には、車が二台有る。母も、買い物などに、よく使うからだ。電話で、現在地を伝えたひとみの父は電話を切り、タバコを取り出して火を点けた。ふう、と一息ついた時、隣にふと気配を感じた。

「うわっ!なんだ、君は?」

 小学生の、女の子。悲しそうな顔をしていた。

「私を、覚えてない?」

「ん?」

 言われてみれば、どこかで見た顔である。思い出した。何度か、家に来たことがある。

「ああ、水島さんか。ひとみの友達の…」

 そこまで言って、背筋が、凍った。二ヶ月前に、死んでいるはずだ。ひとみが、一週間泣いていた。

「うわぁー!」

 ひとみの父は、叫びながら車のドアを開けようとした。開かない。ロックされている。ロックを外そうとする指が、かじかんだ様に(ふる)えて、上手くいかなかった。

「ひとみちゃんの、お父さん…」

 茜はそうつぶやくと、ひとみの父の目の前で、スウッと消えてしまった。

「で、ひとみちゃんのお母さんが来た時には、お父さんは運転席にうずくまって、震えていたんだって。その日から原因不明の熱が出て、今も寝込んでるらしいよ。まあ、あたしはひとみちゃんに、聞いたんだけど」

 理穂の、おっとりとした声が、怖さをよけいに際立(きわだ)たせた。

「な、何言ってんだよ。もし、幽霊だったとしたって、どうして見ただけで熱が出るんだよ?」

 理穂に突っかかって行った甲斐だったが、その声は上ずっていた。

「ほらほら、甲斐。声が裏返ってるわよ。強がってんじゃないよ」

「うるせえ、小西。だったら、本当に幽霊かどうか、確かめてみようぜ。なあ、みんな」

 あんずの指摘は、図星だったらしい。甲斐は、ムキになってみんなに呼びかけた。

「や、やっぱ、あたしパスかな…」

 つぐみが、ブルッと身震いして言った。スポーツは得意でも、幽霊は苦手らしい。

「俺も、パス。よく考えたら、今日は見たいテレビが有るんだった」

 島田も、見え見えの言い訳を理由に、抜けた。ワンパク坊主も、やはり幽霊は苦手なようだ。

 『妖怪』が出ると言われると、現実味が無く、お化け屋敷か肝試(きもだめ)しのような気分になるらしいが、『幽霊』となり、ましてそれが実際に死んでしまった、身近な人間の幽霊となると、とたんに現実味を帯びていわゆる『気味が悪い』となるようだ。

 肝試しのお祭りの雰囲気は、理穂の話で吹き飛んでしまった。バラバラと、参加者が散っていく。

「なんでぇ!臆病者共め!」

「じゃああんた、一人で確かめに行くの?」

 みんなを(ののし)る甲斐に、あんずがイジワルな笑顔を見せて言った。

「う、うるせえ!一人で行っても、面白くねえだろ!(しら)けちまったよ」

 甲斐は、プイとソッポを向いて、教室を出ていってしまった。

「あははは。甲斐の奴、今の声も裏返ってやんの。ん、愛子どうしたの?」

 愛子は、今のやり取りを聞いていなかったらしい。深刻な顔で、考え事をしている。

「ねえ、愛子ってば」

「はっ。ああ、ごめん」

「はっ、じゃないわよ。コワイ顔しちゃって。ねえ、どうしたのよ」

「うん。さっきの話なんだけど、たぶん幽霊じゃないよ」

「幽霊じゃない?じゃあ、なによ?」

「鬼」

「鬼?」

 あんずが、眼を丸くして聞いた。

 愛子は、黙って(うなず)いた。


 山村ひとみの家を出たのは、夕方の五時だった。放課後、すぐに六年一組の教室へ、理穂と一緒に行ったのだ。もちろん、あんずも付いて来たのだが。

「ひとみちゃん、お父さん治るよ。この子が、治してくれるの」

 理穂は、そう言って愛子を紹介した。ひとみは、少し困った顔をして見せたが、勢いに押されて、三人を連れて家へ帰った。

 母は留守だった。買い物に出かけているらしい。四人は、父が寝ている部屋へ入った。

「やあ、ひとみ。お友達かい?ごめんね、こんな格好で…」

 和室に敷いた布団に寝たまま、ひとみの父は弱々しく笑った。

 寝込んでいるひとみの父を見て、愛子の顔つきが変った。幼さが消え、巫女の顔になっている。

「お父さん。お父さんの熱、病気じゃないんだって。この子小さいけど、八神神社の巫女さんなんだ。お(はら)いしてくれるっていうから、来てもらったの。迷惑だった?」

 父は、一瞬(いっしゅん)(おどろ)いた顔を見せたが、娘の気持ちが嬉しくて、すぐに微笑んで首を振った。

「ありがとう。もう、大分(だいぶ)良くなってきたんだけど。じゃあ、お願いしようかな、小さな巫女さん」

 愛子は、ひとみの父に一礼すると、ランドセルを下ろして、ひとみの方へ振り返った。

「やっぱり。ひとみさんのお父さん、瘴気(しょうき)に当てられてる。ひとみさん、お湯を()かしてくれる?それから、なんでもいいから白い器に、塩を入れて持ってきて」

 部屋の窓を開け放ちながら、愛子が言った。

 いつもと違う、愛子の顔つきや口調に、理穂は驚いた。ひとみもその雰囲気に、下級生という事も忘れて、頼り始めていた。この子、本当に治してくれるかもしれない。

 あんずが、白いドンブリに入った塩を持って、部屋へ飛び込んで来た。ひとみは、台所で、お湯を沸かしている。

 愛子は、ひとみの父の右側に座った。枕元だ。ポケットから出した麻紐で、髪を後ろでひとくくりに(しば)った。

 ヒザに、塩の入ったドンブリを載せ、左手で持って、右手の人指し指と中指の二本を立て、中の塩に突き立てた。

「オン コロコロセンダリ マトゲイニ ソワカ」

 ゆっくりと呪文を唱えながら、突き立てた二本の指で、塩をかき混ぜ始めた。ひとみの父は、眼を閉じてじっと寝ている。

 理穂とあんずが、息を殺して見守っている。

「オン コロコロセンダリ マトゲイニ ソワカ・オン コロコロセンダリ マトゲイニ ソワカ」

 愛子は、塩をひとしきり混ぜると、今度は指先に付けた塩を、ひとみの父に塗り始めた。呪文は、まだ唱え続けている。

 (ひたい)目蓋(まぶた)(ほお)(はな)(あたま)(みみ)

 塗ったそばから、塩が溶けていく。愛子は、呪文を唱えながら、何度も塩を塗っていった。

「あっ!」

 理穂は、思わず声を上げた。ひとみの父の顔全体から、湯気のようなものが出てきたからだ。湯気は、開け放した窓から、どんどん外へ流れていった。

 理穂が、となりのあんずに眼をやると、あんずは小さく首を振った。黙って見ていろ、と言うことらしい。

 愛子の呪文がようやく終わった時、ひとみがお湯の入ったヤカンを持って、部屋へ入って来た。

「ここへ、お湯を入れて」

 愛子が、まだ塩が残っているドンブリを差し出した。ひとみが、そこへお湯を注ぐ。

「おじさん。起きて、これ飲んで下さい」

 ひとみの父は起き上がり、愛子が差し出したドンブリを受け取って、中の塩湯(しおゆ)をゆっくりと飲んだ。

「やっぱりあんた、すごいわねぇ。アレで治しちゃうんだもん」

「本当。愛ちゃんって、本物の霊能力者だったんだ。ひとみちゃんに紹介するの、本当は少し不安だったんだ」

 夕暮れの帰り道で、理穂とあんずは興奮(こうふん)気味(ぎみ)(しゃべ)っていた。

「ねえ。ところで、瘴気って何?」

 ふと思い出したように、あんずが聞いた。

「あぁ、ソレね。鬼や妖怪が、身体から出すオーラって言うか、ニオイって言うか、まあ身にまとっている空気みたいなモノよ。それを浴びると、普通の人は体調が悪くなっちゃうの。吐いたり、熱が出たり。下手したら、死んじゃうこともあるのよ」

 あんずと理穂は、思わず顔を見合わせた。

「幽霊を見ちゃって、血圧があがって熱が出ることがあっても、何日も寝込むなんておかしいでしょ?ひとみちゃんのおじさんも、病院へ行っても、原因が分からないって言ってたじゃない。それで、瘴気に当てられたんじゃないかって、思ったのよ」

「なるほどね。それで、鬼か。で、どうするの?」

 あんずが、立ち止まって聞いた。

「もちろん、行くわ」

 愛子も、立ち止まって答えた。理穂は、映画でも観るような眼で、二人を見ていた。


 巫女(みこ)装束(しょうぞく)に身を包んだ愛子が、住宅街の外れの県道沿いに現れたのは、九時三十分だった。

背中には卒塔婆(そとば)を、いや、それに似た木製の霊剣を背負っている。剣の形をした(ひのき)の板に、(そん)(しょう)真言(しんごん)が書いてある。

 駅の方には、まだ人通りが多いが、住宅街には、家々の明かりは点いているものの、人通りはほとんど無かった。

 愛子は、道沿いにあった月極(つきぎめ)の駐車場に、目を付けた。車が、十台位止まっている。

 入り口から一番近い車の陰に、愛子はうずくまった。県道沿いに立っているところを誰かに見られたら、自分がその妖怪に間違われてしまうかも知れない。

 車の陰で、しばらく待った。

一人で待つのは、退屈だった。愛子は、夜空を見上げた。月も星も、見えない。雨でも降りそうな雰囲気だった。

三十分ほど経った頃、愛子は車の陰から立ち上がった。腰が痛くなってきたのだ。

「う…。結構、キツイなあ」

 背伸びをしながら、愛子がつぶやいた。その時…。

 愛子の位置からは見えないが、はっきりとした妖気が近づいてきた。住宅街の方からだ。

 愛子は、ゆっくりと駐車場を歩み出た。

 無表情の女の子。これが、茜か。そう言えば、学校で見かけた事がある。

 愛子を見て、茜が止まった。夜の県道で、二人は向かい合った。距離は、五メートル。

茜の、頭の良さそうな顔が、ニィッと笑った。ゾクッとするような、笑顔だ。

「あたしを、祓いに来たってわけね」

「手荒な真似は、したくないんだけど」

 茜は、フッとため息をついた。

「あたしも、手荒な真似はしたくないわ。黙って引き上げてくれない?」

「そうもいかないの。ところであなた、茜さんじゃないんでしょ?良かったら、事情を話してよ」

「へえ、お見通しなんだ。チャチャって言うの。よろしくね。でも、あたしの邪魔はさせないよ。人間なんかに相談したって、無駄なのは分かってるんだ」

 茜の髪が、ザワッと動いた。身体から発する気配が、急に濃くなった。

 愛子が身構える。茜の口が、カッと開いて、真っ赤な口の中が見えた。眼も大きく開かれ、黒目がギュッと細くなる。化け猫。

「猫?」

「そうさ。茜は、あたしを可愛がってくれた。茜は、大切な友達だったのさ」

ソレは、すでに茜の姿をしてはいなかった。額から、ねじれた角が二本出ている。口は三口に裂け、牙が(のぞ)いていた。

「バラキヤソワカ・バラキヤソワカ」

 愛子は、左手の人指し指と中指を唇に当てて呪文を唱えながら、霊剣の()に右手を掛けた。霊剣と、それを背負う為の紐を(つな)いでいる(きん)()が、キンと音をたてて外れた。

 チャチャは、顔の前で両手を構えた。ナイフの様に大きな爪が、ゾロリと並んで光っている。はぁっと口から瘴気を吐き、愛子に飛び掛るために、グッと身体を縮めた。

 手ごわいのは、霊気の強さで分かる。愛子は、霊剣を握り締めた。

「シャッ」

 飛んできた右手の爪を、愛子は霊剣で受けた。瘴気が弾けて、ジュッと音がした。

 真っ赤に焼けた鉄にでも触ったように、ギャンッという悲鳴を上げて、チャチャは慌てて手を引いた。

 愛子は、霊剣を構え直し、ジリッと前に出た。瘴気を切り続けて、チャチャの霊力をそぎ落としていけば、普通の猫に戻るはずだ。

 チャチャは、右手をペロリと舐め、両手の爪を引っ込めた。両手を招き猫のように丸めて構える。

 愛子が、もう一歩踏み込んだ。チャチャが、手をクルリと回すと、愛子の身体もクルリと回って、地面に転がった。

「キャッ」

 愛子は、小さく悲鳴を上げた。地面を転がり、片膝立ちになって、顔の前で霊剣を構えた。

 チャチャが、またクルリと手を回す。愛子は、キャッと悲鳴を上げて、今度は前方にでんぐり返しをさせられた。

 体勢を立て直そうとする愛子に対し、チャチャは空中に有る、見えないボールを転がすように、両手を動かした。

「きゃー」

 愛子が、地面をグルグル、コロコロと転がり廻る。自分で、身体の制御(せいぎょ)が出来なかった。段々、眼が回ってきた。

 頃合いと見たのか、チャチャは左手だけクルクルと回し続けたまま、右手に再び大きな爪をゾロリと出して構えた。愛子を地面に転がしながら、ゆっくりと近づいていく。

身体の自由が、まるで利かない愛子は、回った眼でチャチャを見た。獲物を見るような眼ではなかった。悲しい眼だ。

本当は、関係ない者を殺したりしたくは無いのだ。ただ、復讐(ふくしゅう)を果たすまでは、邪魔者には容赦(ようしゃ)しないつもりだろう。

愛子も、このまま殺される訳にはいかない。愛子は、覚悟を決めた。チャチャを、傷つける覚悟だ。

チャチャは、愛子を地面に押し付けるように、左手をグッと地面に向けて下げた。愛子が、地面に釘付けになって止まった。

チャチャが、愛子に右手の爪を振り下ろそうとした時、愛子の髪の毛がふわりと逆立った。

ピシャッと音がして、稲妻がチャチャを打った。

「ギェッ」

 チャチャは、全身の毛を逆立てて、ピンと身体を伸ばし、そのままの姿勢で地面に転がった。

 愛子の身体が、ようやく自由になった。愛子は立ち上がり、倒れているチャチャに近づいていった。

 愛子の耳に、女の子の声がかすかに聞こえた。遠い声だ。

 右手の人指し指と、薬指の二本を唇に当てて、瘴気を祓う呪文を唱えようとした愛子を、チャチャが悲しそうな眼で、(にら)んだ。(しび)れて、動けないようだ。

「ごめんよう、茜。仇を取れなくなっちまったよ。茜…茜…」

 チャチャは、嗚咽(おえつ)をあげて涙を流した。瘴気を祓えば、普通の猫に戻り、妖怪としての記憶も無くしてしまうだろう。愛子は、唇から指を離した。

 また、声が聞こえた。やはり、遠い。

「ねえ、チャチャ。あたしに、一週間くれない?その一週間で、あたしが必ず犯人を捕まえてみせるわ」

 チャチャは、愛子の言葉が理解出来なかった。自分を祓うのを、やめるつもりなのか?

「どう言うつもりだい?犯人を見つけたら、あたしは絶対に許さないよ。止めたきゃ、今ここであたしを殺すなり、封じるなりするんだね」

 愛子は、チャチャのそばにしゃがみ込んだ。

「茜さんだって、あなたに犯人を殺して欲しいなんて、思ってないよ。逆に、悲しむと思うんだけど」

「どうして、あんたに分かるのさ?」

 チャチャは、カッと眼を見開いて言った。瞳に、青白い炎が燃えている。

「茜は、もう戻って来ないんだ。あたしの、この悲しみは、どうしてくれるのさ!」

 そう言って、チャチャは牙をむき出した。瘴気が、再び発散し始める。

「美希ちゃんが、居るじゃない」

 茜の、妹。それを聞いて、チャチャの瞳にフッと悲しみの色がよぎった。

「茜さん、きっとあなたと美希ちゃんの事が、心配だと思うな。ほら、聞こえない?さっきから、あなたを呼んでいるよ」

 また、聞こえた。チャチャ、帰っておいで。女の子の声。今度は、チャチャにも聞こえたようだ。

 住宅街の方からだ。家の窓から、外に向かって、美希が叫んでいる。親に(とが)められたのか、すぐに聞こえなくなった。

「あたしは…」

 チャチャの額から、角が消えた。

「一週間よ、チャチャ。茜さんの本心も、あなたに聞かせてあげるわ」

 チャチャは、愛子を上目遣いに見ると、ゆっくりと四つんばいになった。身体が、縮んでゆく。やがて、小さな黒猫の姿に戻った。本来の、チャチャの姿だ。

 チャチャは、一度振り返って愛子を見た。それから、ゆっくりと住宅街の方へ歩いて行った。


「愛ちゃん、マジ?」

「うん。大マジ」

 護符(ごふ)駅前(えきまえ)の高級マンション、スカイピアの(あおい)の部屋。テーブルに、葵が出してくれたコーラとポテトチップが()っている。

「お姉ちゃんって、一般の人には有名ってわけじゃないもん。自分の娘が死んじゃった人に、中学生と小学生が『ひき逃げの犯人を、茜さんの霊に聞いてみる』なんて言っても、怒られるだけだと思うのよ」

 愛子が、ポテトチップをバリバリとほおばりながら言った。

「ま、そりゃそうね。(しお)()聖子(せいこ)だったら、位牌(いはい)に触らせてもらえるかもね。あたしがマジ?って言ってるのは、そのアイディアの事じゃなくて、マジで『(うつ)()』をやるのかって事よ」

 移し身。死者の魂を、自分の魂と入れ替える術で、そのまま身体を乗っ取られる事もある、危険な術だ。

「チャチャに約束したんだもん。茜さんの本心を聞かせるって」

「そんなことして、何になるのよ?化け猫になっちゃったんだから、瘴気を祓って普通の猫にしちゃえば、いいじゃない」

 テーブルに(ほお)(づえ)をついて、あきれたように葵が言った。

「茜さんも、チャチャと話がしたいと思うの。もし、茜さんが妹をよろしくってチャチャに頼めば、チャチャも恨みが晴れて、普通の猫に戻れるだろうし」

「あらあら、お優しいことで」

 キリッとした顔で言い切った愛子の口の周りに、ポテトチップの食べカスが付いているのを見て、葵が笑って言った。

 愛子は、後悔することになるかも知れない。

 死んだ者が、この世に帰ってきたら、もう冥界(めいかい)へ戻るのが嫌になるかもしれない。家族も、姿が変ってもいいから、このままこの世に(とど)まって欲しくなるだろう。

葵はそれを、口には出さなかった。愛子が、身を持って知ればいい事だ。


 潮海聖子が水島家を訪れたのは、その日の夜だった。

突然訪ねて来た有名人に、茜の両親は(おどろ)いていたが、前触れ無しにやってきて『茜の霊を呼び出したいから、協力して欲しい』と言われて、部屋へ通してもらえるのは、やはり日本一の霊能者と言う、ネームバリューのおかげだろう。

 勿論本物ではなく、葵が術によって、自分を聖子に見せているだけなのだが。

 リビングの横の和室に、小さな仏壇が置かれていた。花や、お菓子が真新しく供えてある。二ヶ月で、何気ない毎日に戻れるほど、軽い悲しみではないのだろう。

「始めます」

 葵はそう言って、愛子が腰に巻いていた袋から、いくつかの物を取り出した。

 白い小鉢。水の入った、瓢箪(ひょうたん)。人形。

 人形は、桃と柳の枝を短く切ったものを、(さら)しで包んで、着物を着せた様に見せた物で、顔は無い。

 小鉢に瓢箪の水を入れ、中に人形を立て掛けて、供える。仏壇の両端に、百目(ひゃくめ)ロウソクを(とも)して、用意が整った。

 仏壇の前に、巫女装束姿の愛子が、正座した。その後ろに、葵が立つ。その様子を、茜の両親と妹の美希は、和室に入らずリビングからじっと見守っていた。

 葵が、霊気を感じてリビングの方をチラリと見た。いつの間にか、黒い猫が和室とリビングの境に座り、こちらを見ていた。チャチャ。

 愛子が、茜の位牌を手に取り、両手で自分の胸に包む様に押し当てた。眼を閉じ、口の中で、小さく呪文を唱え始める。

「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」

 地蔵(じぞう)菩薩(ぼさつ)真言(しんごん)

 葵は、(ぎん)(かく)を右手に持ち、畳をトンと付くような仕草で、上下に振った。銀の輪の束が、サランと鳴った。

 ロウソクの火が、ゆらりと動いた。

 サラン。

 葵が、一定の時間を置いて、規則正しく銀角を上下に振る。

 サラン。

 ロウソクの火が、ボウッと大きくなった。近い。部屋の空気が、重くなった。

 サラン。

 小鉢に立て掛けた人形が、重くなった部屋の空気を吸って、青白い光を帯びた。

 サラン。

「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ・オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」

 愛子の呪文が、続く。青白い光は、人形から位牌、位牌からやがて愛子に入り込み、愛子の身体から入れ替わりに、何かが位牌に入り込んだ。

 サラン。

 位牌が、一瞬赤く光を帯び、同時に愛子の身体が、青白く光を帯びた。

 葵が、銀角の動きを止めた。愛子は、位牌を手から落とし、その場にうつ伏せに倒れた。

「お姉ちゃん…」

 美希が、つぶやいた。

愛子の身体が、美希の声に反応したように、ビクンと動いた。

ムクリと起き上がり、辺りを見回す。やがて、リビングからこちらを(うかが)っている水島家の家族に眼を止めた。

「美希…。お母さん、お父さん…」

 唇からこぼれてきた声は、愛子のものではなかった。

「茜…。本当に、茜なの?」

 茜の母が、恐る恐るといった感じで尋ねた。

「うん。ごめんね、お母さん。あたし、先に死んじゃって」

愛子の眼から、涙が溢れた。

「茜!」

母が、愛子を抱きしめる。その母ごと、父が抱きしめ、それに美希も加わった。全員で、しばらく泣きじゃくる。

 チャチャはその輪に入らず、挑むような眼を葵に向けてきた。

「ふうん、なるほど。あんただったら、茜ちゃんも安心して美希ちゃんを任せられそうね」

 葵は、チャチャを見て笑って言った。

「さあ、悪いけど時間が無いの。茜さん、あなたを()いた犯人の家を、教えてくれる?」

 葵は、わざと無感情な物言いをした。家族が、愛子から離れた。

「車に轢かれて死んだ人の霊は、その車にしばらく憑いちゃうのよね。近くの人?それとも、遠くの人?」

 愛子は、悲しそうな眼で葵を見つめ、やがて小さく首を振った。

「どう言う事?」

「あたし、わかりません。もう、いいんです。それより、もう少しだけお話させて下さい」

 葵は、肩をすくめた。時間が経つほど、身体に魂がなじんでくる。この世への執着(しゅうちゃく)(しん)も、強くなってくる。

「分かったわ」

 もとより、覚悟の上だ。葵は、笑って頷いた。

「チャチャ、おいで」

 愛子が膝をついて呼ぶと、チャチャがその上に乗った。

頭をなでる。チャチャは、幸せそうに、眼を閉じた。身体から、瘴気が抜けてきた。

「ごめんね、あたしの為に。でも、もうやめて。あたし、チャチャが人殺しになっちゃったら、悲しいよ」

 チャチャは、眼を開けて愛子の顔を見上げた。わずかに残っていた瘴気が、完全に消えた。

「美希を、お願い。チャチャ、今までありがとう」

 愛子の眼からこぼれた涙がいくつか、チャチャの顔に落ちた。チャチャは、愛子の頬を一度舐めると、膝から降りた。

「美希」

「お姉ちゃん!」

 美希が、泣きながら愛子に抱きついた。

「もう、行っちゃ嫌だよ!」

「美希、しっかりしてよ。いつも、見てるからね。あたしの分まで、親孝行してね」

「お姉ちゃん。この前、ケンカした時、大嫌いっていったの、嘘よ。本当は、お姉ちゃん大好き」

「分かってるわよ、そんな事。いつも、あんたのこと、見てるからね」

 二人はしばらく抱き合い、やがて離れて涙顔で笑いあった。

「お父さん、お母さん」

「茜!」

 三人で、抱き合った。

「茜、このまま一緒に…」

 言いかけた父の口を、愛子が人指し指で塞いだ。

「駄目よ、パパ。そしたら、こうやって身体をかしてくれた子が死んじゃう。この子の、パパやママも同じように悲しむわ」

「茜。ママ、幸せだった。短すぎたけど、あなたと暮らした十一年が、ママの宝よ」

「ありがとう、ママ。ごめんね、突然死んじゃって。あたし、パパとママの子供に生まれて、幸せだったよ。出来れば、もっと生きたかったけど」

父も母も、言葉が出なかった。ただ、涙が止まらない。

「パパ、ママ。犯人を恨むのは、もうやめてね。誰かを恨んで暮らすなんて、悲し過ぎるもんね。約束してくれる?」

「分かった、約束する」

 父が、震える声でようやく言った。母も頷いた。

「よかった。ママ、産んでくれて、ありがとう。パパ、ママ。今まで可愛がってくれて、ありがとう」

 三人は、固く抱き合って、泣いた。愛子が、コクリと、うなだれた。葵は、そっと眼を閉じた。

 動かなくなった愛子に気付いた両親が、娘の臨終(りんじゅう)に立ち会った時のように泣き(くず)れる声を、葵は眼を閉じたまま聞いた。


 黒い、漆塗りの門の前で、愛子は茜を待っていた。

周りは闇だが、何故かその門も、そこから(はる)か向こうへ伸びている道も、はっきりと見える。その道を、こちらへ向かって茜が歩いてくるのが、見えた。

「お待たせ、愛ちゃん」

 茜が、笑って言った。

「早かったね。もう、いいの?」

「うん。まあ、生き返れる訳じゃないしね。家族に何にも言えずに死んじゃった事だけが、心残りだったから。ありがとう、愛ちゃん」

 茜が、漆塗(うるしぬ)りの門に手を掛けた。

「じゃあ、行くね」

「うん」

 茜が、門に力を込めた。闇に、亀裂(きれつ)が走ったように、(まぶ)しい光が縦に走った。

その光に茜が吸い込まれると、ビシッと重い音がして、門が閉じた。辺りは、再び闇に包まれた。

愛子は、門に背を向けて、道を歩き始めた。


「あたし、愛ちゃんに教えられちゃったわ」

 コンビ二で買ったアイスクリームを()めながら、葵が言った。

「何が?」

 愛子も、同じアイスクリームを舐めている。

「あの家族、茜ちゃんが死んで、すごく悲しい思いをしたはずでしょ?なのにもう一回、同じ思いをさせる事になったじゃない?」

「まあね」

「でも、突然死んじゃったら、何か言い残したくても、どうしようも無いもんね。すごく泣いてたけど、茜さんもみんなも、あれで良かったのかもね」

「うん」

「冥界の門の前で、茜さんと話したんでしょ?」

「ありがとうって、言われたよ」

 食べ終わったアイスクリームの棒を舐めながら、愛子が言った。

「ひき逃げの犯人、聞いたの?」

「もちろん」

 愛子の表情が、変った。葵は、それに気付いていないように、のんびりとした口調で言った。

「ねえ、愛ちゃん。その犯人、あたしに任せてくれないかなあ?」

「え?」

 愛子は、しばらく葵の顔を見つめ、小さくタメ息をついた。

「お願い、葵ちゃん。あたし、手加減(てかげん)できないかも知れない」

「オッケイ、決まり。まあ、あたしがしっかり改心させてやるわよ」

 葵が、自分の胸をトンと叩いて言った。

 半狂乱(はんきょうらん)になった犯人が、駆け込むように警察に自首して来るのは、それから五日後の事だった。


(完)



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