「地味で無能」と追放された裏方令嬢、実は国を支える大天才でした〜片手間で維持した絶対防壁が崩壊し国が滅亡危機? 新しい職場で公爵様に溺愛中なのでお断りです〜
王城の中心に位置する最も広大な大広間、「白百合の間」。
数多の希少な魔力石を惜しげもなく埋め込んだ豪奢なシャンデリアが、真昼のように室内を明るく照らし出していた。
色とりどりのドレスや煌びやかな宝飾品を身に纏った貴族たちが集う華やかな夜会の中心で、今まさに、あまりにも冷酷で滑稽な断罪劇が繰り広げられようとしていた。
「アリア・フォン・レイフォード! 貴様のように地味で、国益に一切貢献しない無能な女とは今日限りで婚約を破棄する!」
第一王子ルイスの甲高く響き渡る声が、音楽すら止んだ静まり返った夜会の場に木霊した。
彼の腕の中には、派手な真紅のドレスに身を包み、豊かな金髪を揺らす男爵令嬢、ミリアがこれ見よがしにすがりついていた。
彼女は自身の持つ「炎属性の攻撃魔法」の派手さを買われ、最近になって宮廷内で『聖女』と持て囃されている女だ。
ミリアはルイスの広い胸に顔を埋めながらも、チラリと視線を動かし、正面に立つアリアに向けて勝ち誇ったような、ねっとりとした優越感に浸る嘲笑の視線を向けていた。
周囲を遠巻きに取り囲む貴族たちは、広げた扇の陰でヒソヒソと囁き合っている。
「ついにあのお荷物令嬢が捨てられたわね」
「当然でしょう。ルイス殿下の隣には、強力な攻撃魔法を扱える美しきミリア様こそがふさわしい」
「いつも目の下に酷い隈を作って、ドレスの流行すら追おうとしない地味で陰気な女など、王家の恥辱ですからね。それに引き換え、ミリア様のあの輝くような魔力ときたら……」
彼らの心無い嘲笑と侮蔑の視線を全身に浴びながら、アリアはただ静かに目を伏せていた。
――決して悲しかったからではない。絶望したからでもない。
彼女はただ、喉の奥から込み上げてくる歓喜の笑いを堪えるのに必死だったのだ。
(ああっ……! ついに、ついにこの時が来たわ! これでやっと、あの地獄のような日々から解放される……!)
アリアは没落寸前のレイフォード伯爵家の令嬢として、幼い頃から王宮の奥深くに縛り付けられてきた。
彼女が持つ特異な魔力――国家全体をすっぽりと覆う不可視の『神聖魔力防壁』を展開し、維持し続けるという規格外の力。
それこそが、王国を外部の凶悪な魔物の脅威から守る唯一の命綱であった。
しかし、歴代の王族はその事実を一切公にせず、恩を仇で返すかのようにアリアを「名ばかりの王子婚約者」として王宮の塔に幽閉し、無給で、しかも昼夜を問わず防壁の修復作業を強要してきたのだ。
防壁の魔力回路は非常に複雑かつ繊細であり、広大な国土を覆う結界は常にどこかが劣化し、魔物の攻撃によって微小な亀裂を生じさせている。
少しでも気を抜けばその綻びから魔物が侵入してしまうため、絶え間ない魔力供給と回路の編み直しが必要だった。
アリアにとってそれ自体は「ほつれた布地を縫うような、ちょっとした裁縫感覚」の作業ではあったが、それでも国家規模の防壁を一人で管理するのは物理的な時間を極端に奪われる。
結果として、毎日の睡眠時間は三時間にも満たず、肌は荒れ、目の下には消えない隈が刻まれていた。
誰もその苦労を知らない。
婚約者であるはずのルイスに至っては、アリアが国のために何をしているのかすら全く理解しておらず、ただ「部屋に引きこもってばかりの暗い女」としか認識していなかったのである。
「真の聖女であるこのミリアこそが、次期王妃にふさわしい! 無能なお前はこの場から直ちに立ち去り、二度と王都の土を踏むな! 永久追放を申し渡す!」
ルイスがこれ以上ないほどの大音声で高らかに宣言する。
アリアはゆっくりと伏せていた顔を上げ、背筋をピンと伸ばして、完璧で優雅な淑女のカーテシーをして見せた。
その顔には、一切の未練も、悲哀も、絶望の色も浮かんでいない。
ただひたすらに、憑き物が落ちたような晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「そうですか、承知いたしました。ではお幸せに」
「なっ……」
泣き喚いてすがりついてくる、あるいは必死に弁明すると予想していたルイスとミリアは、アリアのあまりにもあっさりとした態度に目を丸くして硬直した。
嘲笑していた周囲の貴族たちも、完全に毒気を抜かれたように押し黙る。
「では、私はこれにて失礼いたします。ルイス殿下も、これからはご自身の足でしっかりとこの国を支えてくださいませ」
言い残すと同時に、アリアは一切の迷いなく踵を返した。
(やった、やったわ! これで今日から、ふかふかのベッドで朝までたっぷりと眠れる! 擦り切れるような魔力回路の修復に追われることもない、私だけの自由な生活が始まるのね!)
心の中で軽やかなスキップを踏みながら、アリアは颯爽とした足取りで夜会の会場を後にした。
重苦しい王城の扉を背にした彼女の足取りは、まるで背中に羽が生えたように軽かった。
◆◆◆
王都を追放されたアリアは、夜明けと共に国境の森を歩いていた。
持ち出せた荷物は小さな鞄一つだけだったが、心はこれ以上ないほど満たされていた。
森の澄んだ冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、木漏れ日を浴びながら土を踏みしめて歩くことなど、これまでの幽閉生活の中で一度としてなかったからだ。
「なんて素晴らしい朝なのかしら。足元の名も知らないお花も綺麗だし、風も心地いいわ。ああ、自由って最高ね」
のんびりとピクニックのような気分で歩を進めていたアリアだったが、突如として前方の開けた場所から、鼓膜を激しく揺るがすような怒号と、金属がぶつかり合う凄惨な音、そして耳をつんざく獣の咆哮が聞こえてきた。
「陣形を崩すな! 盾兵、前へ出ろ! 押し切られるぞ!」
「公爵閣下! 駄目です、数が多すぎます! まさか『暴喰の魔群』がこんな国境付近に突如として出現するなんて……!」
木々の隙間からそっと覗き見ると、漆黒の軍服に身を包んだ屈強な騎士たちが、見上げるほど巨大な魔物たち――伝説級と謳われる三メートル超えの『オーガ・ロード』や、素早い動きで死角から襲い掛かる『シャドウ・ウルフ』の大群と死闘を繰り広げていた。
その凄惨な戦場の先頭に立ち、身の丈ほどもある大剣を軽々と振るって次々と魔物を両断しているのは、月の光を思わせる銀色の髪と、氷のように鋭く冷たい青い瞳を持つ類まれな美丈夫だった。
隣国の軍務卿であり、戦場では冷酷無慈悲な『死神』として敵国から恐れられる竜騎士公爵、レオンハルト・フォン・クライスである。
彼は一騎当千の規格外の強者であったが、今回はあくまで少人数の視察団としての軽装であり、何より守るべき部下たちをかばいながらの戦闘を強いられていた。
いかに彼が強くとも、波のように押し寄せる高ランク魔物の物量には次第に劣勢に立たされ、防衛線は今にも崩壊寸前であった。
「このままでは全滅だ……私が殿を務める! お前たちは直ちに後退し、国境警備隊に急報を走らせろ!」
レオンハルトが血を吐くような悲痛な声で命じた、その時だった。
(あら、あの方々、とてもお困りのようね。……ちょっと危ないから、軽い壁でも作っておこうかしら)
アリアは茂みの中から躊躇うことなく一歩踏み出し、まるで衣服についた埃を払うかのような何気ない動作で、無詠唱のまま軽く右手首を振った。
――ピシッ、という澄んだガラスのような音が響き、直後、世界が真っ白に染まった。
次の瞬間、レオンハルトたちと魔物の群れとの間に、天高くそびえ立つ純白の光の壁が立ち現れた。
それは単なる光の壁ではない。
壁の表面には、常人では目で追うことすら不可能なほど複雑で緻密な『魔力回路』が、万華鏡のように幾重にも編み込まれていた。
その超高密度の結界に触れた瞬間、振り下ろされようとしていたオーガ・ロードの巨大な棍棒も、牙を剥いていたシャドウ・ウルフの群れも、凄まじいエラーを起こしたように光の粒子となって塵一つ残さず消滅してしまったのだ。
「……なっ!? ば、馬鹿な……これほど複雑な術式を、一瞬で、しかも無詠唱で編み上げたというのか……!?」
百戦錬磨のレオンハルトでさえ、己の常識を覆すシステム構築の速度と精度に絶句し、大剣を取り落としそうになった。
絶対的な死の危機が一瞬にして消え去った森に、再び風の音と小鳥のさえずりが戻る。
ポカンと口を開けて立ち尽くす騎士たちの前に、アリアが「勝手なことをしてしまってすみません」と言わんばかりに、申し訳なさそうな顔で小走りに駆け寄ってきた。
「あの、お取り込み中のところ勝手にお邪魔してしまってごめんなさい。皆様、お怪我はありませんか?」
レオンハルトは驚愕の色を隠せない眼差しで、目の前に立つ、地味なドレスを着た小柄な少女を見下ろした。
「今のは……君がやったのか? これほどの純度と強度を誇る絶対防壁を息をするように張り、かつ緻密な術式を瞬時に展開するとは……君はいったい何者だ?」
「何者と言われましても、ただの追放された令嬢ですわ。先ほどまでは、隣の王国で毎日、王都全体を覆う防壁のほつれをお掃除感覚で直しておりましたけれど。今は無職の身の上です」
「……王都全体を覆う防壁だと……?」
レオンハルトは隣国の内情にそれなりに通じていた。
あの王国が長年、魔物の大規模な侵攻を全く受けないのは、初代国王が遺した『古代のアーティファクト』の恩恵だと対外的には公表されていたはずだ。
「アーティファクト? いいえ、あれは私が三歳の頃から、毎日自分の魔力を注いで回路を編み直していたんです。でもルイス殿下には『無能は不要だ』と言われてしまい、今朝がた婚約を破棄されましたの。ですから、今日からはもう私の仕事ではありませんわ」
淡々と、まるで今日の天気を語るかのように語られるアリアの不遇な身の上。
国の要とも言える防壁を一人で担い、睡眠時間を削って国を守り続けてきた事実。
そしてそれを無給で搾取し続けた挙句、あろうことか「無能」と切り捨てて追放した王国の、正気を疑うほどの信じ難い愚かさ。
それを聞いたレオンハルトの氷のような青い瞳に、ゴウッと激しい怒りの炎が灯った。
彼はアリアの規格外の能力に驚嘆すると同時に、これほどの才と、それに全く驕ることのない底抜けに謙虚で働き者な性格を持つ少女が、泥のように扱われてきたことに激しい憤りを覚えたのだ。
レオンハルトは静かに剣を鞘に収めると、アリアの前に片膝をつき、恭しく彼女の小さな手を取った。
「国家という巨大なシステムを、たった一人で支え続けてきた君のその誇り高い魂に、私は心からの敬意を表する。無能な愚物どもの国など捨てて、私の元へ来い。君の本当の価値と幸福は、この私が一生かけて証明しよう」
冷酷と恐れられる死神の、あまりにも優しく、そして確かな熱を帯びた声。
突然のプロポーズにも似た真摯な言葉に、アリアはパチパチと目を瞬かせたが、彼の手から真っ直ぐに伝わる嘘偽りのない誠実さに、ふわりと温かな微笑みを浮かべてこくりと頷いた。
「美味しいごはんと、ふかふかのベッドはありますか?」
「ああ。君が望むものすべてを与えよう。私の持てるすべての権力と財を懸けて、君を必ず幸せにする」
こうして、裏方として虐げられてきた令嬢アリアは、最強の庇護者の逞しい腕に抱かれ、絶対的な歓迎のもと隣国へと迎え入れられたのである。
◆◆◆
一方その頃、アリアが王国を去ってからちょうど一週間が経過した王都では、ルイス王子と「聖女」ミリアの新たな婚約を祝う盛大なパレードが開催されようとしていた。
「素晴らしい日だ。あの陰気なアリアが視界から消えただけで、王都の空まで明るく晴れ渡って見える」
王城のバルコニーから熱狂する民衆を見下ろし、ルイスは最高級のワイングラスを片手に満足げに笑っていた。
ミリアもその腕にねっとりと絡みつき、「すべては殿下の英断のおかげですわ。あんな無能な女、さっさと追い出して正解でしたのよ」と甘ったるい声を出す。
しかし、その「明るい空」に、突如として絶望的な異変が起きた。
――ピシィィィィィィッ!!!
大気を切り裂くような、巨大なガラスが連鎖的に割れる凄まじい轟音が王都全体に響き渡った。
ルイスが驚いて空を見上げると、王都全体を覆うように存在していた「目に見えない巨大な魔力ドーム」が、限界荷重を超えた構造物のように無数の亀裂を走らせる。
次の瞬間、幾重にも編み込まれていた術式の結界が完全に砕け散り、光の破片となって空から降り注いだ。
「な、なんだ!? 今の音は! 空が光って……!」
騒然となるパレードの最中、玉座の間へと宮廷魔術師長が顔面を死人のように蒼白にし、転がるようにして飛び込んできた。
「へ、陛下! 大変でございます! 王都を護っていた絶対防壁が……完全に崩壊いたしました!」
「なに!? 馬鹿なことを言うな、あれは古代のアーティファクトが自動で維持しているのではなかったのか!」
国王が玉座から立ち上がり、信じられない報告に怒鳴りつける。
「違います! アーティファクトなどとうの昔にブラックボックス化し、内部の魔力伝導回路は完全に焼き切れておりました! 王都の防壁は……アリア様が毎日、お一人で己の身を削り、魔力回路のチューニングと修復を行っていたのです!」
「なっ……なんだと……?」
国王の顔から血の気が完全に引いた。
バルコニーから駆けつけたルイスもその場に立ち尽くし、ワイングラスを取り落としてガシャンと音を立てた。
「我々も崩壊を食い止めようと、残された回路の解析を試みました。しかし……駄目です! あれは常軌を逸しています!」
「数万に及ぶ魔力術式が、まるで複雑な歯車のように寸分の狂いもなく噛み合って構成されていたのです。我々宮廷魔術師百人がかりで魔力を注いでも、魔力の出力制御が全く追いつかず、逆に回路が反発してショートする始末……!」
「アリア様の異常なまでの演算能力と精密な操作能力がなければ、維持はおろか触れることすら不可能な代物だったのです!」
そこへ今度は全身血まみれになった伝令兵が、息も絶え絶えに飛び込んできた。
「王都周辺の森から、 数万の魔物が王都に雪崩れ込んできております! 外壁はすでに突破されました、市街地はすでに火の海です!」
「ひぃぃぃっ!」
恐ろしい報告に、ミリアが悲鳴を上げて床にへたり込む。
「おいミリア! お前は聖女だろう! 今すぐあの強力な炎魔法で迫り来る魔物をすべて焼き尽くせ!」
ルイスがすがりつくように叫ぶが、ミリアはガチガチと歯の根を鳴らし、首を横に振って泣き叫ぶだけだった。
「む、無理です! わたしの魔法は、一瞬だけ派手に火花を散らすだけで……何万もの魔物を倒すための継続的な魔力も、広域をカバーするような精密な制御網もありません!」
彼女の魔法は単なる「見栄えが良いだけの弱い攻撃魔法」であった。
瞬間的な出力が高いだけで、冷却機能も持久力も持たない暴走機関のようなものだったのだ。ルイスは聖女の力というものを完全に過信し、見誤っていた。
真実をすべて理解した国王は、般若のような恐ろしい形相でルイスを睨みつけた。
「なんという取り返しのつかない愚行を……! 貴様は、この国という巨大な機構をたった一人で支えていた『要の柱』を、自らの手でドブに捨てたのだぞ!」
「今すぐアリア嬢の元へ行き、地に額を擦りつけてでも連れ戻してこい! 彼女がいなければ、我が国は三日で地図から消滅する!!」
怒号を浴びせられ、ルイスの頭に鈍器で殴られたような衝撃が走った。
絶望と強烈な後悔に、顔が醜く歪む。
(アリアが……あの地味で無能だと見下していたアリアが、王国の最高頭脳を集めても到底及ばない超常の専門技術で、この国のシステムを稼働させ続けていた真の天才だったというのか!?)
己の浅はかな見栄と、表面的な派手さしか見えない愚かな目のせいで、全てを壊してしまった。
「アリア……アリアァァァッ!!」
ルイスは豪華な衣装のまま、無我夢中で王城を飛び出した。
魔物が溢れ返り、機能不全を起こして火の手が上がる王都を抜け、泥水に塗れながら走る。
己の傲慢さが招いた完全な崩壊を呪い、ただひたすらに、ただ一人この国を再起動できる少女を探して隣国へと走るしかなかった。
◆◆◆
その頃、隣国にあるレオンハルト公爵の広大な領城。
その最上階にある、美しい庭園を見下ろす日当たりの良いテラスで、アリアは最高級のダージリンティーの芳醇な香りを楽しみながら、優雅なティータイムを満喫していた。
「アリア、今日の王都の職人に焼かせた菓子はどうだ? 君の口に合うと良いのだが」
向かいの席に座るレオンハルトが、戦場での冷酷な『死神』の異名からは到底想像もつかないほど甘く、蕩けるような声音で問いかける。
アリアは「特級国家防壁技師」という異例の厚遇で正式に公爵家に迎え入れられていた。
しかし、隣国の防壁の構築や調整などアリアにとっては数秒で終わる簡単な作業であり、残りの時間はすべて、レオンハルトによって徹底的に甘やかされるだけの日々だった。
「とっても美味しいです、レオン様。毎日ふかふかのベッドで朝まで眠れて、美味しいご飯が食べられて……私、今が人生で一番幸せです」
アリアが花が綻ぶような笑顔を見せると、レオンハルトは心底満足そうに目を細め、彼女の小さな手を愛おしそうに撫でた。
その温かく平和な時間を引き裂くように、城の正門の方から見苦しい絶叫が響いてきた。
「アリア! アリアァァァッ!! 頼む、私だ! ルイスだ!!」
テラスから下を見下ろすと、そこには信じられないほど薄汚れた男の姿があった。
服は魔物に引き裂かれてボロボロになり、顔は泥と涙と鼻水で汚れ、かつての王族としての威厳など微塵も残っていないルイス王子が、門番の屈強な騎士たちにすがりついて泣き叫んでいた。
「アリア、私がすべて間違っていた! 君が無能だなんて嘘だ、君こそが真の聖女だった! 君がいないと国が滅びてしまうんだ、どうか、どうか戻ってきてくれぇっ!」
惨めな声で泣きながら懇願する元婚約者を見下ろし、アリアの瞳には何の感情も湧かなかった。
怒りすらなく、ただ路傍に転がる石を見るような極めて冷ややかな眼差しで、彼女は静かに口を開いた。
「私は国益に貢献しないただの無能な女です。今さら戻ってくれと言われても困ります」
「そ、そんな……! 頼む、この通りだ! 私が馬鹿だった、お前が正妃だ! だからあの防壁をもう一度張ってくれ!」
土下座をして地面に額を擦りつけるルイス。
しかし、アリアの心は一ミリたりとも揺るがなかった。
「それに、今の私には、心から尽くしたいと思える大切な方がいますから。二度と私の前に姿を見せないでください」
アリアの毅然とした完全なる拒絶の言葉に、ルイスが絶望の声を上げようとした瞬間――。
テラスから、大気を物理的に震わせるほどの圧倒的な殺気と、濃密な『竜気』が放たれた。
「ヒッ……!?」
ルイスはカエルが蛇に睨まれたように息が止まり、その場にへたり込んだ。
見下ろすレオンハルトの瞳は、絶対零度の氷のように冷酷にルイスを射抜いていた。
「私の愛しい婚約者に、気安く話しかけるな。二度と彼女の視界に入ることは許さん。失せろ、愚物」
その静かで絶対的な一言で、公爵家の近衛兵たちが容赦なくルイスを拘束し、引きずっていく。
ルイスは魔物の脅威に晒され、今まさに火の海となって崩壊していく自国へと強制送還されるのだ。
彼を待ち受けるのは、国を危機に陥れた大罪人としての、死ぬまで続く過酷な強制労働だけであった。
ルイスの惨めな泣き声が遠ざかり、再びテラスに静寂が戻る。
「……不快な思いをさせてすまなかったね、アリア」
レオンハルトは先ほどの圧倒的な殺気を嘘のように綺麗に消し去り、アリアの背後に回ると、彼女の華奢な体を後ろから大切に優しく抱きしめた。
「いいえ。むしろ、私の中にあったかもしれない小さな未練の欠片すら、完全に消え去りました。私はもう、前しか見ていませんから」
アリアがレオンハルトの大きな腕に安心しきって身を委ねると、彼は彼女の首筋に顔を埋め、熱い吐息と共に甘く囁いた。
「ならば、これからは私のことだけを見ていてくれ。君を虐げていた過去の分まで……私が一生、致死量に至るまで君を甘やかそう」
「ふふっ、致死量だなんて。でも、レオン様の甘やかしなら、喜んで溺れさせていただきますわ」
澄み渡る青空の下、世界最強の竜騎士公爵に深く愛されながら、かつて無能と蔑まれた裏方令嬢は、これ以上ないほど幸福な微笑みを浮かべていた。
彼女の新しい、そして永遠に続く穏やかな人生は、まだ始まったばかりである。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
「アリアには幸せになってほしい!」「ルイスのざまぁ展開がスカッとした!」「防壁のシステム的な設定が面白い!」と少しでも楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。
ご評価、リアクション頂けますと執筆の何よりの原動力になります。
どうぞよろしくお願いします。




