二十五年後の景色
六月十七日。
容疑者が任意同行に応じてから、一夜が明けていた。
そして、今は午後三時過ぎ。
俺はまさか、イチと再会したことで、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
それはきっと、この取調室にいる男もそうだろう。
マジックミラー越しに見える取調室には、金子先生が座っている。
彼はこれまで、黙秘を続けていた。
取調室のドアが開き、同僚が書類を持って入室する。
中断していた取り調べが、再開されるのだ。
昨日、金子先生の自宅に捜索が入った。それによって、押収された物品の一部から、犯行の動機に繋がるものが見つかった。
入室した同僚の手には、それらの資料がある。
俺は、関係者に近いということで捜査から外されていたが、ここにいることを上司も周囲も咎めなかった。
スマートフォンが、振動する。
『トウマ、よろしく頼む』
キノからだ。
『トウマ、黙って行動してごめん』
イチからだった。
それにしても、こいつはよくここまでのことを……こんな短時間で……二十五年前のことを調べ上げたと感心する。
俺たちのやりとりは、グループ全員が読んでいた。
『話せる範囲は、あとで共有するから』
返信して、取調室のやりとりに意識を転じる。
「金子さん、ご自宅の、あなたの部屋を捜索した結果、上田ヒカルの他、容姿が近い少年たちを盗撮したと思われる画像が……ハードディスクから大量に、見つかっています」
「……」
「あなたは、教師という立場を利用し、子供たちに不適切な行為をしていた」
「ちがう」
「ようやく、話してくれましたね? 何が、違うんですか?」
「私は、手を出したりなんかしていない」
「では、どうしていたんです?」
「……」
「金子さん、嘘はいけません。あなたはヒカル君に何かをしようとした。けれど拒まれた。逃げられそうになった。それで殺した。違いますか? 捜査が進めばどうせわかることなんです。ご自分の口から話すことで、反省を示したほうがいいと思いますが?」
金子先生は、うなだれている。
「こんなことになるなら、田中一郎の参加を認めるんじゃなかった」
「……上田ヒカル君の発見者ですね?」
「……うまくできると思っていたのに」
「金子さん、あなたはずっと、子供たちをコントロールしてきたんだ。当時も、ヒカル君をコントロールして、それが不適切なことだと、ヒカル君に気づかせないようにしていた。違いますか?」
金子先生は、同僚刑事を睨んだ。
「お前に! ヒカルのすばらしさがわかるものか! あの子は特別だったんだ! そういうのとは違う!」
俺は、イチから聞いた祠の件を思い出す。
金子先生は、自分がヒカルを埋めた場所だから祠の世話をし、ばれていないことを確認していたと言った。
だが、俺はこうも思う。
金子先生は、そうしながら、本当に祈っていたんだ。
狂った愛情を向ける相手が、眠っている場所だから、金子先生は、そうしていたんだと感じた。
「では、どうしてそんなに大切な上田ヒカル君を殺したんですか?」
「私は悪くない! 裏切られたんだ! ヒカルが私を裏切ったんだ!」
裏切り?
「あの子は、私がとても大切にしていたのに、後から来たあんな男に懐いた! 私がどれだけ大切にしているかわかっていたのに、私よりもあの男を選んだんだ!」
あの男?
おそらく、山田先生のことだろう。
取調室の金子先生は、椅子から立ち上がって叫んでいた。
「裏切られたんだ! 私は! 私は二人が祠のところで抱き合っているのを見た! 嫉妬で狂いそうだったよ! あれはひどい裏切りだ!」
「座りなさい、金子さん」
興奮した金子先生を、同僚刑事は冷静に諭す。
肩を上下に揺らす先生は、ドスンと椅子に座り、頭を抱えた。
「それで、上田ヒカル君を殺したんですか?」
「私は悪くない……あの子が悪いんだ。私を裏切ったから!」
俺は、吐き気を覚えて部屋を出る。
同僚や上司たちが、何事だと俺を見たが、無視してトイレへと走った。
駆け込んだ個室で、便器にもたれかかるように倒れこむ。
そして、胃の中のものを吐き出した。
苦しさで、涙がこぼれる。
悔しさで、涙が止まらなかった。
顔を洗い、呼吸を整えて戻る。
再び、取り調べの様子を見守った。
「金子さん、ではあなたは殺すつもりではなかったと?」
「私がそんなことをするわけがない……私は、二人が別れた後、ヒカルを呼び止めた。そして、二人が話をしていた場所に戻り、何を話していたのかと確かめたんです」
金子先生……もう先生はいらないだろう。
金子は、あの時のことを、まるで昨日の出来事のように話し始めた。
「教えてくれなかった。どんなに尋ねても。だから、あの男とは離れるようにと説得した。私がどれだけヒカルを大事に想っているかも伝えたんです。しかし、あの子は私に、気持ち悪いと言った……ショックでしたよ。とても、ショックだった」
金子はそこで、涙を流した。
「去ろうとするヒカルを、後ろから……拾った石で殴った。そんなつもりはなかったんです。カッとなって……でも、ヒカルは気絶しただけでした。駆け寄って抱きかかえると、呼吸をしていた。あの子は、まだ生きていたんです。」
「では、あなたはまだ生きていた教え子に、さらに手を加えた?」
「ちがう! ちがいます……私は介抱しようと……私は彼を車に乗せ、家の近くに……」
「近くに?」
「……ヒカルを誰にも見られたくなかった。美しい寝顔で……とても美しかった……私は、家族が寝静まるのを待って、裏口から自室へ運び、介抱したんです。しかし、翌日の早朝には、もう息をしていませんでした」
俺はイチから、捜索が終わった場所に隠した結果、祠の裏に埋まっていても見つけることができなかったという推理を聞いた時、それまでどこに隠していたのだろうと尋ねた。
イチも、そこはわからないと言っていたが、事実は小説よりも奇なりだ……。
後から聞けば、そうだったのかと思える。
金子の家は、駐車場から裏口、そして金子の部屋まで、人目につきにくい造りだった。家族が寝静まっていたなら、怪しまれずに運び込めたのだろう。
ヒカルは生きていた。
それを、この男は病院に運ばず、自宅に連れ帰った。目覚めた時、口止めをしなければならないと思っていたに違いない。
ヒカルは……助かっていたかもしれないのに、治療を受けることができなかった。
「それから私は……朝になって……ヒカルを車に乗せました。学校に……連れていこうと思ったんです。あそこなら、あの子も落ち着くと思ったから」
「あそこ? あそことはどこです?」
「図工準備室の、教材倉庫です。そこにいてもらうことにしました」
「なるほど。では、裏山山頂から東側の森にかけて、捜索範囲が移動するまで、そこに隠していたのですね?」
「……」
「遺体発見現場から、ブルーシートも見つかっています。あなたは、彼をそれで包んだんですね?」
「……」
黙り込んだ金子を前に、同僚が写真を広げる。
白骨と、ブルーシート、キーホルダーなどが一枚の写真に写されていた。
金子が、激しく首を左右に振る。
「違うんです、刑事さん。そんなつもりはなかったんです。私は、介抱したんですよ!」
俺は、それ以上は耐えられず、その部屋を後にした。
六月二十七日。
金曜日。
恵比寿ガーデンプレイスに近い焼鳥屋のテーブルで、ミノリと向かい合っていた。
俺が彼女に黙って、独断専行したことを彼女は怒らなかったし、責めもしなかった。
ただ、俺が無事でよかったと、喜んでくれた。
「でも、イチ君、すごいね! 探偵になれるよ」
「……これから転職する勇気はないよ」
彼女は少し微笑み、もも串に七味をかけて、串を手にぐいっと豪快に食べる。
俺も、砂肝を食べた。
ここで、右耳につけているワイヤレスイヤホンが、その動画の音を届けてくる。
左耳につけるワイヤレスイヤホンは、ミノリがつけていた。
俺たちは、同じ動画を視聴しようとしていた。
その動画の、予約公開が始まったのだ。
元記者が運営するユーチューブチャンネルの動画で、話題となった事件を独自の視点から語ることで人気を得ていた。
女性が、尾道駅のロータリーを背に立っている映像から、そのドキュメンタリー動画は始まる。
『二十五年前、行方不明になった子供を見つけたのは、当時の同級生たちでした』
彼女は、ゆっくりと歩きながら、真面目な顔で話し始める。
『警察も、学校も、当時の大人たちの多くが、子供たちの声、想い、願いを無視した結果、上田ヒカル君は、二十五年もひとりぼっちだったのです』
ビールを口にしていたミノリの両目から、涙がこぼれた。彼女は、ハンカチで両目を覆い、グラスを置いた。
『上田ヒカル君のことを、忘れないでいた当時の同級生たちが、集まり、当時のことを話し合い、彼を探しました。今日の特集は、忘れられなかった二十五年前の事件です』
俺は、鼻をすする。
ミノリが、ポケットティッシュを差し出してくれた。
受け取り、止まらない涙をぬぐう。
「イチ君、ヒカル君を見つけてくれて、ありがとう」
彼女の言葉に、俺は泣きながら笑う。
「いや、手伝ってくれてありがとう。あの時、俺を無視しないでくれて、ありがとうな」
俺たちは、周囲の視線を感じて誤魔化すように笑う。
焼き鳥屋のテーブルで、大の大人が泣いているのは、かなり浮いているだろう。
「この動画を見るのに、このお店を選ぶかな?」
ミノリの抗議に、反論できない。
「美味かったからさ、前に使った時」
ティッシュで目をふき、ビールを飲んだ。
「俺、八月の休みに、尾道に帰るよ」
「また?」
「うん……裏山に登ろうと思って」
「……わたしも帰る。チケット、自分でとるからいいよ」
俺たちは、再び動画へと意識を向けた。
八月十日。
九時少し前。
朝だというのに、すでに日差しは強く、汗が止まらない。
それでも、ようやく山頂に到着した。
汗をハンカチで拭き、水を飲んだ展望台を見上げる。
「暑いねぇ……」
隣のミノリが、白いリボンハットを脱ぎ、それでパタパタと顔を仰いだ。
「でも、風があるからここはまだいいね」
俺が言い、彼女は頷くとハットをかぶる。
海から、絶え間なく風が届いていた。
裏山の展望台にあがると、先に来ていたキノとトウマが、俺たちに笑みを向ける。
「おつかれ、お帰り」
トウマに声をかけられ、俺は笑みを返す。そして、彼に右手を差し出すと、強く握り返してくれた。
俺はそれから、キノとも硬い握手を交わす。
「おかえり。手、すっかり治ったな?」
まめがつぶれてぐちゃぐちゃになった俺の手を、キノは知っていたからそう言って笑っていた。
ミノリが俺たちの輪に加わり、二人の背中をポンポンと叩く。
「あー、おつかれぇ!」
展望台へと上がって来たカホとマナミが、明るい声を上げた。
「下に、皆も来たよ」
マナミはそう言って、下のほうへと声を出す。
「イチ君とミノリ、もう来てるよ」
リョウタ、ナオ、エリ、アカネ……ユウもチヒロも、集まっていた。
「記念写真、撮ろう」
マナミはそう言い、一枚の写真を俺に差し出す。
「これ、残ってたヒカル君の写真」
いつのものかわからないけど、おそらく遠足で撮影したものだとわかった。
お母さんが作ってくれたと思われる、お弁当を広げてヒカルが笑っている。
ごはんは、そぼろや炒り卵、海苔で、三毛猫が書かれていた。
写真のヒカルは、楽しそうに笑っている。
俺は、見ていられなくなって、背をそむけた。そして、泣きそうな顔を皆に見られたくなくて、離れるように展望台の柵へと近づく。
「イチ君?」
ミノリが、心配した顔で覗き込んできた。
俺は、誤魔化そうと顔をあげた。
視界に、青い世界が広がっている。
尾道の景色が、広がっていた。
ヒカルが好きだった、ここからの眺め。
碧い海と空が広がり、点在する島々は、青々と輝いている。
「そうか……瑠璃山」
呟いていた。
どうして、この山は瑠璃山というのだろうと、ずっと不思議に思っていた。
「キレイだな」
「なぁ」
「ほんと、子供の頃はどうでもよかったのにねぇ」
皆が口々に言い、俺の横に並ぶと、同じ方向を眺めた。
海からの風が、心地いい。
ミノリが、そっと俺の手を握る。
俺は、やさしく握り返した。
瑠璃色の世界が、俺たちの前に広がっている。
ヒカルの色だと、俺には思えたんだ。




