「ゆーた大好き愛してる♡」と言ってはいけない部屋
しいなここみさん『この部屋で○○してはいけない企画』参加作品です♡
「言うかボケ!」
私は激怒した。
目を覚ますと、なんか真っ白な部屋にいた。そこは静かでちょっと肌寒い。そして壁にはデカデカと、クソ気持ち悪い文言が――
この部屋には誰もいない。当然、あの頭にくるクソ旦那の悠太もいない。
昨日寝る前に悠太のバカみたいな寝顔を見ながら、『こいつがいない世界に行きたい!』と何度も願ったからか? 今流行りの異世界転生? いや、ちょっと違うかな……。
まあいずれにせよ、あの狭い安アパートで、あいつのイラつく寝息を聴かなくていいだけでも、最高の気分だ。
悠太は本当にクソな旦那だ。
洗濯物はいつも裏返しだし、出した物は元の場所に返さないし、排水口に溜まったゴミはそのままだし、トイレはいつも汚すし、食器は割るし、畳んどいた洗濯物はほったらかしだし、ホント最悪。
極めつきは昨日の夜だ。昨日は私の誕生日だから、随分前からお祝いしようって言ってたのに、なにが『急な商談が入って』だよふざけんな。せっかく作ったご馳走もケーキも、全部私がたいらげてやったぜ。家庭よりも仕事をとりやがって!
ばーかばーか!
そんな状況だから、この状態はむしろ願ったりだ。今日の寝起きにあいつの間抜けな寝顔なんて見た日にゃ、怒りで血管が爆発しただろう。
あいつも私がいなくなったことで、自分の過ちを省みて、更生してほしい。
さて、と。
この何もない部屋で、このキモい言葉を言っちゃいけないのはわかった。てゆーか、お金積まれたって言いたくねーよ。
でも、一生ここから出れないのも困りものだ。
そんな事を考えながら視線を動かすと、部屋の隅に小さなテーブルと、その上にこれみよがしに置かれた大学ノート。
怪しい――
他にすることもないので、ノートを開いてみる。この部屋の説明が書かれてるかもしれないし。
『今日は私の誕生日なのに、悠太は仕事を優先しやがった。絶対に許せない』
ん?
これは……?
ページを捲る。
『悠太がゴミ出しを忘れた。生ゴミが臭ってきたらどうすんだよ!』
むむむ?
更にページを捲る。
『パートのお局さんに嫌がらせされた事を話したかったのに、悠太はスマホばっかり見て聞いていない。人の話を聞け!』
あ――
私は理解する。
これは私の悠太への気持ちだ。
何故かわからないけど、私の心の声がノートに書き連ねられている。
ページを捲るごとに、どんどん過去に遡っていくらしい。読み進めると、なかなか懐かしくて面白い。思い出のアルバムを眺めているような気分。まあ、どこまで遡っても変わらず悠太はムカつくわけだけど。
半分ほど読み終えて、床に寝転がる。
硬いんだか柔らかいんだかわからない、冷蔵庫に突っ込んだ低反発マットみたいな寝心地だ。あの安アパートの綿が抜けた敷布団と大差ない。
寝転がりながら、私はノートを読み進める。
いつから、私はこんなに悠太のことを嫌いになってしまったのだろう。
付き合ったばかりは、もっと愛情を持っていたはずだった。この部屋の壁にデカデカと書かれた『ゆーた大好き愛してる』の言葉だって、付き合いたての頃は、それこそ挨拶みたいに交わし合ってたはずだ。
それが今じゃ、みる影もない。
悠太は変わってしまった。どんどん雑になっていったし、どんどん私のことなんかどーでもよくなっていった。
だから私は、悠太のことを『嫌い』になるしいかなかったんだ。好きな人に、どーでもいいって思われたら、それこそサイテーな気分だから。
ちくしょうめ。
ページを捲る手が止まらない。
あいかわらず私は、悠太のことをボロクソになじっていて――
ふと手が止まる。
『ホワイトデーのお返し、悠太は忘れていた。私は一生懸命ガトーショコラを作ったのに、ひどい』
あー、そうだ。
こっから私は、悠太に対していろんなことを諦めてしまったんだ。
今思えば生まれたての子猫ちゃんみたいにかわいらしい不満だ。でもあの頃の私にとっては、心を切り裂く猛虎の爪みたいに、もの凄くショックな出来事だったんだよなぁ。
ページを捲る。
さらにページを捲る。
でも過去に遡るにつれて、季節が巡るように少しずつゆっくりと、温かな言葉が蕾みたいに膨らみ始めた。
『大丈夫?』
『心配だよ……』
『頑張って!』
寒々しい冬色だったノートが、少しずつ春色に染まっていく。
『悠太、私の話を聞いてくれない。ぼーっとしてるし、疲れてるのかな?』
『またゴミ出し忘れてる。でも、昨日遅くまで仕事してたし、寝坊しちゃうのは仕方ないか』
懐かしい。
たしかに、昔の私はそんなふうに考えていた。
私も悠太のために頑張っているけど、悠太だって、私のために頑張ってくれてるんだって、何の疑いもなく信じていた。
ページをめくれば捲るほど、桜のような言葉が花開いていく。
真っ白く冷ややかな冬の世界が、どんどん春へと色づいていく。
『今日は私の誕生日。悠太は仕事で帰りが遅くなったけど、コンビニでかわいいケーキを買ってきてくれた。いつもお仕事お疲れ様。悠太、大好き』
あぁ――
なんとなく理解した。
理解なんてしたくなかったのに、理解してしまった。
たしかに悠太は変わってしまったのかもしれない。
でも私だって、同じくらい変わってしまった。
悠太の出来てない事ばかりを気にして、苛立って……悠太のことが大嫌いっていう、愛も情もない『真っ白な場所』に閉じこもってしまった。
この孤独で、肌寒い場所に。
そんな事を考えてたら、急に寂しくなってきた。
不覚にも悠太の顔が浮かんでくる。
センチメンタルに流されやがって、私の嘘つきで軟弱で寂しがり屋な自立心め。
でもさ、そんな気持ちを持つのは恥ずかしい事じゃないよね。だって私達は、夫婦なんだから。病める時も、健やかなる時も、共に歩むことを誓ったわけなんだから。
さっきまで絶対言いたくなかった、あのキモい言葉が口をついてこぼれそうになる。
この部屋で言ってはいけない、言ってしまったら、今まで塗り固めてきた自分を壊しかねない、危険な言葉。
でも、それを『言っちゃダメ』って決めたのは、きっと私自身なんだよね。
だから言おう。
言いたいんだ。
「ゆーた、大好き、愛してる……」
* * *
目を覚ました。
私は見慣れた安アパートの、綿が抜けてぺったんこな布団に寝転がっていた。
何の変哲もない土曜の朝。
隣では悠太が壮大なイビキをかいている。日向のアスファルトに寝転がるバカ猫みたいな顔で。
その顔が歪み、ゆっくりと瞼を開ける。
私は目を逸らさずに、その顔をじーっと見つめる。
「……な、なんだよ?」
警戒の表情だ。
喧嘩の翌日なんだから、そりゃ当然か。
遥か昔に交わし合ってた『あの言葉』を、今また口に出す勇気は流石にない。でも、目の前のバカ猫に対してだって、少しだけ優しくなれそう……そんな微睡の朝だった。
「もうちょっと、寝てよっか」私はあくびみたいにホワホワな声で言う「それと、昨日は遅くまで仕事、お疲れ様……♡」
私のぬくもり発言に、目を見開いて驚く悠太。
先制攻撃がクリーンヒットって感じ?
やってやったぜ!
やわらかな布団に顔を埋めて、私は笑った。
しいなさんの企画は皆勤賞を目指しているので、急な企画でもなんとか書き上げるのです(`・ω・´)
ヤバイ取引先への対応みたいなこの頑張りが、少しでも上達に繋がれば……