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大きく呼吸をするのと同時に目が覚めた。眠りながら泣いていたのか目の前がボヤケている。目をゴシゴシと擦ると木造の天井が見えた。ベッドは僅かに体を包み込んでいて布団の重みが心地よかった。こんな寝具を使って眠ったことなど今までの人生で一度もなかった。
心地はいいはずなのに、寝起きの気分は最悪だった。どうして最悪なのかは考えるまでもなかった。こんなに気持ちよく眠れるのだとベルノルトに体験させてやりたかった。この世界にはいろんなものがあるのだと教えてやりたかった。悔しく、切なく、無念さがこみ上げてくる。こんな環境で眠ったのがなぜ自分なのかと気が滅入った。
ズキンと、少し強めの頭痛が右から左へと抜け、思わず頭を押さえた。
「起きましたか」
右へと顔を向けるとヘルムートが座っていた。膝の上で分厚い本を広げて熱心に読んでいた。最初に喋ったときは闇夜で気づかなかったが、髪の毛は綺麗なプラチナブロンド、瞳は翡翠の色をしていた。
ドアの横には茶色い短髪の大柄な男が立っていた。ヘルムートに比べると少し若く見え、軍服と腰に携えた剣から兵士かなにかだというのは、知識がないイルザでもなんとなくわかった。
「彼が気になりますか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「すいません、王宮直属の護衛騎士なので私の近くにいるのが仕事なんです。ちなみに名前はドミニク=ベッケラートと言います」
ドミニクはイルザに向かって一礼するが、それは相手を敬うようなものではなく、言われたから仕方なくという雑な一礼だった。
「で、ここはどこだ」
イルザがそう言うとヘルムートは本をサイドテーブルの上に乗せて向き直る。
「シン・アルサ・イーズですよ」
「言われてもわかるわけないだろ。自分の町から出たことないし」
「貴女がいたのはシン・ルアン・レッセですね。王都を中心として、西の、遠くにある、中規模の町という意味です。古代語ですね」
「で、ここは?」
「西の、少し離れている、小規模の町です」
「あっそ」
知識をひけらかしているようでイヤな言い方だなと呆れてしまった。
「どれくらい寝てた?」
「その前に少しだけ待っていてもらえますか」
ヘルムートはそう言い残して部屋の外に出て行った。同時にドアの前にいた男もついていく。五分ほどで二人は部屋に戻り、ヘルムートは何事もなかったかのように話を続けようとする。人の話を遮っておいて良い身分だ、とは思ったがため息を吐くだけにとどめた。なにを言っても軽く流されるような気がしたからだ。
「貴女が眠って一日と半分くらいだと思います」
「そのせいで頭が痛いんだな」
「眠りすぎたのかもしれませんね。体調が優れないようでしたら薬でも持ってきますか?」
「そのうちよくなるからいい。それより、これから私をどうするつもりだ?」
「このまま王都カルセイナに向かいます。そこでアカデミーに入学、同時に寮生活を始めてもらいます」
「イヤだって言ったら?」
「断ってもらっても構いません。ですが貴女の望みが叶うことは絶対にないでしょう」
その物言いに腹が立った。ヘルムートは蘇生の魔法使いであり、イルザは蘇生の称号を欲している。イルザに断るという選択肢がないことを知っているから言えるのだ。
「でも蘇生魔法は王族に使われるんだろ」
「ええ、しかし魔力が異常なほどに高ければ一生に二度、蘇生魔法を使える可能性はあります。そういう前例もありますからね。記録によれば、二回使うまでに十年以上かかったという話ですが」
「その間はずっと魔法使いだったのか?」
「隠し通したようですね。その魔法使いは死ぬ間際に言い残したようですから詳細はわかってはいません」
「私にもそうなれる可能性があると思うか?」
「そうですね、可能性は誰にでもあります。特に貴女の魔力は魔法使いから見ても異常なほど高い」
優しく微笑んではいるが、だからこそなにを考えているのかまったくわからなかった。
「蘇生の魔法使いであるアンタがなんであんなところにいたんだ? 魔法使いは王都の周辺に住む決まりだろ」
「それは知っているんですね。王都というか王宮の敷地内に蘇生の魔法使い専用の屋敷があります。そこで妻と娘と住んでいます。貴女の町にいた理由ですが、休暇をとって様々な町を回っていたんですよ。魔法使いはアカデミーに入る生徒を見つけて国に申請すると特別賞与が入るんですよ。だから自分で生徒を連れてくる魔法使いは多い。生徒は生徒で魔法使いの推薦があるとアカデミーに入りやすくなりますからね。お互いにいいことしかない」
「なんだよそれ。高い金もらってるくせにそんなこともやってんのか。それでアカデミーに生徒たちを集めて飼い殺しにするんだな。汚い世界だよ、ホント」
ヘルムートは少し考えてから、なにかを思いついたかのように手を叩いた。
「わかりました。貴女は私たちを「別の世界の人間」だとでも思っているんじゃないですか?」
「どういう意味だよ」
「私たちも生きているということです。確かに魔法使いは世間からはそのように見られるかもしれません。でもそれは生活に制限があり、国からの仕事が入れば断れず休むこともできないからです。あと基本的に年を取れば魔力の減衰が始まり、そうなれば魔法使いとしてはやっていかれません。魔法が使えなくなれば魔法使いの任を解かれて職を失う。そうなる前に貯蓄を増やしておこう、というのが魔法使いなのです。その考えが悪だと思いますか? 仕事をたくさんして富を得ることはいけないことでしょうか?」
そう言われてたじろいだ。魔法使いは国から多額の金をもらって優雅な生活を送っている、そんな偏見を持っていた。辛いことも苦しいこともなく、才能があったから魔法使いになり、その才能をひけらかして金をもらっているのだ、と。
「別に、そこまで言ってないけど」
ヘルムートは首を横に振った。
「いえ、言ったのと一緒なんですよ」
「仕方ないだろ、知らなかったんだから」
イルザは十八歳で、本来であれば高等部を卒業する年齢だ。しかし高等部どころか初等部、中等部さえも通えなかった。勉強をすることもなく、商店の店頭で売られているような広報誌を読むだけの知識もない。読めるのはせいぜい絵本くらいなもので、書くこととなればなおさらできない。つまるところ世の中のことをほとんど知らずに生きてきた。得られるのはゲスな男どもの会話や捨てられた広報誌の内容のみで、それも断片的にしか情報を得ることはできなかった。学校に行くこともなくこの歳まで生きてきた者が魔法使いについて知っていることなど、誰かが話していた世間話程度の知識でしかない。魔法使いという存在が、そこからくる勝手な想像で塗り固められていてもおかしくはなかった。
「そうですね、知らなかった。仕方ないとも思います。でも知らなかったからと何でもして良いのか、なんでも言って良いのか。それは違います。わかりますよね」
「それは、わかってる」
わかってはいるがどうしても腑に落ちなかった。好きでこんな生き方を選んだわけではないと叫んでやりたかった。
しかし、口から出たのはため息だけだった。
「ではなぜ違うかはわかりますか?」
「そこまではわからないけど、無知だからってなんでもしていいわけじゃないことくらいはわかる」
「子どもたちに平等を与えない国は確かに問題かもしれません。ですが、もしも犯罪を犯しても無知だからといって許されるわけではない。教育を施されないのは個人の問題ですが、犯罪に関しては法律の問題になってしまうから。不平不満は誰にでもありますが、問題点がどこにあるのかを考えなければ話は進まず、なにも解決しないのですよ」
ヘルムートが柔和に微笑んだ。「知らねえよ」と突っぱねることもできた。黙って睨みつけることもできた。
「悪かった」
それでもイルザが選んだのは謝罪の言葉だった。
「大丈夫です。なんとなくでも理解できていたならば貴女は賢い。であればこれから知識をつければいいだけの話です。そのためにもアカデミーへと入学し、知識をつけるべきなのです。貴女の魔力があれば、もしかすると二回蘇生魔法を使えるようになるかもしれない。ただし選ばれるかどうかは成績次第です。アカデミーに入ったから終わりではない。それは始まりに過ぎず、それからは貴女の努力がなによりも重要になるからです」
「どうしてそこまでするんだ? 金がもらえるからか?」
「生徒紹介金もありますが、貴女ほどの魔力を持っている人を放っておくのは国にとって、世界にとって損だと思ったからです。それに魔法使いになれば貴女の生活も潤い、もしかしたら貴女の願いだって叶うかもしれないではありませんか」
その笑顔は柔らかく、疑うのがいかがわしいことであるかのように感じてしまう。奴隷のように扱われたり窃盗をして生きてきたイルザでさえ、疑うことや罵倒することに罪の意識を抱いてしまうほどに清い笑顔だった。




