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途中で盗賊を倒しながら、そのまま少しずつ、また少しずつ中央へと近づいていく。そして焚き火まで二十メートルというところまで近づいた。
静かな闇の中で呼吸と心臓の音をやけにうるさいと感じていた。
盗賊の詳細は不明であるが、住民を一所に集めるくらいには本格的に強盗を働いている。今までに何度も町を襲ってきたのだろう。今は住民を集めているが、もしかしたら平気で人を殺すかもしれない。そうなれば全面的に騎士に任せるべきだ。しかし譲らなかった。自分が前に出ることが最も被害を抑えるのだと信じているからだ。
鼓動が速いせいかここにきて呼吸が荒くなってきた。それでも、自分の選択は正しかったと信じたい。
「手を出せ」
そう言いながらイルザが両手を差し出した。二人は怪訝そうな顔をしていたが、とりあえずといった感じで手を握ってきた。
握った手にやや力を込めて、二人の体に魔法をかけていく。筋力の強化と体力の増加、ついでに視力も上げた。
「よし、これでお前らはいつもより少し強くなってるはずだ」
「これがもう一つの魔法ですか。いつもの私ではないような、そんな感覚があります」
ユリアーナは何度も拳を握っては開き、握っては開き繰り返していた。
「身体能力を強化する魔法だ。でもお前らにかけた魔法は短時間で魔力を使い切るようになってる。長くて十分だが、世界が変わるくらい体が軽いはずだ」
「確かにすごい、なんていうか、すごいですね、これ」
「テオは黙ってろ」
「はい」
少しばかり可哀想だとは思ったが構っている暇はない。
「私は飛び出して焚き火に突っ込む。町の外でも言ったが、お前らは住民を守りながら戦え。わかったな」
「「わかりました」」
「よし、いくぞ」
自分の胸に手を当てて身体能力を強化した。大きく息を吸い込み、呼吸を止める。
「放て!」
大声で空に叫ぶ。次の瞬間、町の外から矢が放たれた。矢はイルザたちを追い越して、地面に突き刺さるものもあれば盗賊に当たるものもあった。
「なんだ!?」
盗賊たちは気がついて武器を構える。だが、矢が四方八方から飛んでくるせいでこちらの存在を特定できずにいる。騎士を散らして矢を撃たせたのはこれが狙いだった。こちらの人数を悟られたくなかったのと、こちらが踏み込むときのキッカケにしたかったのだ。
一歩踏み出し、それから一瞬で加速していった。焚き火にいる盗賊に一直線に駆けていく。
「こいつ!」
丸坊主の男が気がついた。けれどもう遅い。
懐に飛び込んで鳩尾に掌底を打ち込むと、丸坊主の男が数メートル吹き飛んだ。
「こいつ!」
小柄な男が剣で襲いかかって来るが、その剣をこちらの剣で叩き切る。
「ちょっ……」
「残念だったな」
腹に蹴りを入れてこちらも吹き飛ばす。
ユリアーナたちに視線を向けると、きちんと住民たちを守りながら戦えているようだった。
「心配いらなかったな」
三人の男が襲いかかってきた。武器での攻撃を剣でいなし、一人は顔を殴って失神させ、一人は踏みつけて膝を砕き、一人は顔面を地面に叩きつけた。
浅く息を吐き出して次の敵を探そうとした。
刹那、背後からの強烈な殺気に心臓を鷲掴みにされる。弾かれるようにして振り返ると頭目の男が迫っていた。
振り下ろされる長めの剣。炎の光が反射して剣が揺らめいているようにも見えた。
「くそっ」
右側へと飛び退いて、着地と同時に地面を転がりながら体勢を整えた。片膝をついた状態で顔を上げると、頭目の男がニヤリと笑っていた。
「すげえなお前、部下にしてえくらいだぜ」
低く、腹によく響く声色だった。
「盗賊になんかになるつもりはない」
立ち上がって剣を構えると、頭目の男も剣を構え直した。
全身の肌が泡立つ。この男が危険だと本能が訴えかけているのだ。味方がやられているというのに、この男はずっと傍観し続けていた。それは味方を囮にしてイルザの実力を値踏みしていたのと同義である。
そんなとき、目端に映った光景に意識がいってしまった。
「こっちを見ろよ!」
男が突進してくる。剣をぶつけ合うふりをして、男の脇をすり抜けた。そしてテオフィルの元へと走ろうとした。彼が集団に襲われているのを見てしまったのだ。
遠目だがテオフィルは全身に切り傷を負っている。それだけじゃなく、腹部からは著しい出血が見られる。怪我の程度はわからないが今すぐに治療しなければ危ない可能性だってある。
しかし頭目の男はテオフィルに駆け寄ることを許してはくれなかった。
「よそ見たあいい度胸じゃねえかよ!」
容赦ない剣撃が打ち下ろされた。強く激しく、それでいて速く隙がない。けれどがむしゃらな素人の剣でないことはひと目でわかる。
「なんなんだよ!」
一度や二度ではない斬撃。イルザは苛烈さを増す攻撃の前にして身動きが取れなくなっていた。こちらは身体能力を強化したというのに、生身であるはずのこの男にこうも翻弄されている。それが歯がゆく、自分の能力の低さを痛感してしまう。
「体つきの割に剣が使えるんだな」
攻撃を避けたり防御すること自体は難しくない。問題は攻勢に転じることができないことだった。剣の振りが速いのもそうだが、なによりも剣を振り切ったあとの戻りが異様なほどに早かった。そのため攻撃と攻撃の間のつなぎ目がほとんどないのだ。
この攻撃方法を知っている。攻撃は最大の防御で、防御であるがゆえに隙間を空けるなという戦い方。
一度テオフィルのことを忘れて目の前の敵に集中する。そこでようやくバックステップで距離を取ることに成功した。
「お前、もしかして騎士だったのか?」
男の顔から笑みが消えた。剣をおろして切っ先を地面につける。
「なんでそう思う」
「私に剣を教えてくれたヤツがお前と同じような戦い方をするからだ。答えろ、お前は騎士だったのか」
俯いたかと思うと大きな体が小刻みに震える。そして顔を上げると、悲しそうに笑っていた。
「騎士にはなれなかったよ。成績優秀な俺を妬んだ貴族のせいで騎士学校を退学させられたからな! やってもない試験の不正と校内暴力で一発退学だ!」
口は笑っているが目は笑っていなかった。全身から憎悪が放たれて、空気が歪んでさえ見えてきた。
「それで盗賊か」
「こっちは平民出身なんだよ。不正と暴力で退学させられたなんて噂が流れたらまともに生きていかれねえんだよ。申し訳なくて田舎の実家にも帰れやしねえ」
「家族なら迎え入れてくれるんじゃないか?」
「有り金叩いて送り出してくれたんだよ! 情けなくて、申し訳なくて、手ぶらでなんて帰れるかよ! 無理矢理にでも金を作らない限りはな!」
「それで満足か?」
冷静だった。男の話を馬鹿にしているわけでもなければ見下しているわけでもない。理解できるかどうかはともかく、少なくとも共感し同情する気持ちはあった。でも肯定してはいけないと断言できる。
「金があればいいのか? それでお前の家族は幸せか? 偽りの姿で誇れるのか?」
「んなことどうだっていいんだよ!」
駆けてくる。ものすごい勢いで突進し、素早く斬撃を打ち込んできた。
それを躱して左側へと逃げる。投げナイフへと手が伸びるが、その手を止めた。それでは駄目なのではないか。真っ向からこの男を剣で負かすことに意味があるんじゃないか。そうやって一度心を折らねば、きっとこの男は過ちを繰り返してしまうのではないかと考えた。
「お前の気持ちはわかるよ」
自分ではどうしようもない事象の中でもがき苦しんでいた。世間の荒波に揉まれて、それでもなんとかしようと手足を動かし続けた。もしもベルノルトがいければ、もしもヘルムートと出会わなければ、もしも魔法使いにならなければ、自分もまたこうなっていたのかもしれない。
男がこちらに体を向けた。それを確認して一足飛びで懐に飛び込んだ。
「だからこそ、精算しなきゃいけないんだ」
腹と胸に一発ずつ、左拳を打ち込んだ。
「きかねえよ!」
バックステップで剣撃から逃げるが、着地と同時に再度前へ。
「だろうと思ったぜ!」
予想していたのか、目の前で銀閃が瞬いた。
一つ避け、二つ避け、けれど三つ目の斬撃は避けられそうにない。下段から斬り上げられ、その先にはイルザの左腕がある。
「とった!」
剣の動きがゆっくりに見えた。刃が服に当たり、薄皮を裂き、肉を切って、骨に到達した。刃の勢いは止まることなく骨を断ち、さらに肉を切り、刃が空中に抜けていった。




