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訓練のあとなので最初に髪の毛や体を洗い、イルザが湯船に足を入れた。
「なんで待ってるんだよ。さっさと入れよ」
「イルザ様が入ってからでないと入れませんから」
ため息をつきながら一気に肩まで入る。
「もう入ったから入れよ、気を使うな」
ユリアーナは頭を押さえ「わかりました」と、そこでようやく湯船に脚を入れた。そのまま肩までお湯に浸かると「ううっ」と唸っていた。
「なんだよそれ」
「声、出ませんか?」
「出ないぞ」
「そうですか……」
少しだけ悲しそうな顔をしながら口元まで湯船に浸かった。
「でもなんで急にお風呂なんですか?」
「誰かと風呂に入りたかったんだ。風呂だけじゃないけどな」
「食事ですか?」
「まあそうだな。アカデミーだと相部屋だったし、風呂も食事も眠るのも授業も一緒だった。だからかな、急に、少しだけ寂しいとか思っちまったんだよ」
水面を見つめて、数ヶ月前のことを思い出していた。
「髪の毛を洗い合ったり、おかずを半分に分けたり、刺繍を教えてもらったり、勉強をみてもらったり。そういえば私からなにかをしてやったことってなかったんだなって。もう二度と会うことはないだろうから忘れたいんだけどな」
「忘れたいと思っているのに、それでも寂しいんですか」
「ずっと一人きりってのは、やっぱりキツイ。というかつまらない」
お湯をすくい上げて何度か顔に叩きつけた。過去の思い出を洗い流すかのようでもある。
「そうですね。私もそう思うことは何度かありました」
「意外だな。お前はそういうの大丈夫だと思ってた」
「私は貴族の出身なんです。なので騎士学校に入って、騎士になって、独り立ちするのは苦労しましたよ。ある程度の年齢までお嬢様として育てられ、身の回りのことは使用人がやってくれたわけですから」
「貴族のご令嬢がどうしてまた騎士なんかに? 勝手な想像だが騎士なんてキツいだろうに」
「想像通りに苦労しましたよ。でも幼少の頃から騎士に憧れはあったので」
「きっかけでもあったのか?」
「父様の弟、つまり叔父が騎士だったのです。若くして騎士となって王宮を守っていたんですが、その姿がすごく格好良く見えたんですよ。決して清く正しい人ではありませんでしたが、情に厚くて、私たち兄弟にもよくしてくれました」
「兄弟がいるのか?」
「兄が二人ですね。貴族の女は基本的に当主になることはありません。親交を深めたり結託するために他の貴族に嫁ぐのが普通です。それが嫌ならば、自分で事業を立ち上げるか、騎士になるかといったところでしょうか」
「あとは魔法使いになるとかだろ?」
「そういうことです。望むのであればなにかしら自分で動き、渦中に飛び込まないといけないのです。あとはそうですね、教師や修道女という手もありますね。ですが修道女は家門が嫌がり、教師は仕事をしながら結婚すればいいと言われることも多いみたいですよ」
「貴族ってのも難しいんだな」
「世の中、そう簡単じゃありませんよ」
そう言ったあとでユリアーナが勢いよく立ち上がった。
「申し訳ありません、正直、そろそろ限界です」
「実は私もだ」
イルザも立ち上がり、二人揃って風呂場を後にした。
それからユリアーナは寄宿舎へ、イルザは食堂へと向かった。いつもどおり、食堂には誰もいなかった。ユリアーナとおしゃべりをしたあとだからなのか、酷く物悲しい気持ちにさせられた。食事も誘ったが「食事は訓練の前に済ませてしまいました」断られてしまった。
食事のあとで、コーヒーをポットに淹れてもらって外に出た。診療所のベンチに腰掛け、ノームの頃に吹く涼しさと肌寒さの間にある風を感じていた。
カップにコーヒーを注いで一口飲んだ。空を見上げると満点の星空が広がっていた。
こういった空を何度も見てきた。ベルノルトが眠るまで、二人で星を見上げたものだ。
「おや、イルザ様ではありませんか」
そう言って現れたのはランドルフだった。
「今日は夜回りか?」
「そうですね。軽く森の中を見回ったら、今度は警護係と交代です」
腰に手を当てて「がははっ」と豪快に笑って見せた。
そんなランドルフの姿を見ていて疑問に思うことがあった。訊いていいものかどうかわからなかったが、彼ならば話してくれそうな気がした。
「お前、こんなところで警備ばっかりして辛くならないか?」
「こんなところ、とは?」
ランドルフはこともなげに言い返してきた。
「騎士なんだから、こう、魔獣だの悪党だのを倒すっていう騎士らしいことがしたいだろ?」
「そうですね、戦争が始まれば招集されるでしょうし、強力な魔獣が出現すれば派兵されることもあるでしょう。ですが、今は三国とも関係は良好ですし、強力な魔獣が押し寄せるような兆候もありません」
「それはそうだけど、王都から離れて小娘の護衛なんてして、正直馬鹿らしいことしてるなとか思わないか?」
「思いませんな」
大きな声で言い放った。その潔さに驚きを隠せない。
「イルザ様がそう思うのも無理はありません。ですが私は非常に良い仕事だと思っていますよ。イルザ様のような方の護衛でしたら大いに歓迎ですからな」
大きな声で豪快に笑った。体も大きければ声も大きく、そしてなによりも器が大きい。彼が団長だというのも頷ける。
「イヤじゃ、ないのか?」
「なにを心配しているのかはわかりませんが、私は満足していますよ。それにちゃんと家には帰れますからな」
「エル・アルサ・イーズに嫁さんと子供がいるんだっけか」
「はい。妻の実家がパン屋なので、そこの手伝いをしています」
「護衛騎士じゃなくて駐屯兵なら家族との時間も長くとれるんじゃないか? 護衛騎士は休憩時間や休暇あるけど基本的に私の周りにいなきゃならない。となると家にいる時間は短くなる」
「大丈夫ですよ、妻はちゃんと理解していますから。息子は寂しがっていますが、年を取ればわかってくれるでしょう。ボクのパパはとんでもなくすごい仕事をしているんだぞ、と」
「子供はいくつになるんだ?」
「今年で六歳になります」
そう言われて、胸がチクリと痛んだ。
「そりゃ、可愛い時期だよな」
「ええ、帰ると抱っこして抱っこしてとうるさいですが、そこも含めて可愛いですね」
暗くてわからないが、きっと少しばかり頬が紅潮しているだろう。そう思いながらイルザは薄く笑った。




