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 身支度を済ませ、いつものように診療所に向かう。今日は農夫のトビアスが豚肉と野菜を持ってきた。年は五十を過ぎ頭も白髪交じりだ。腕や脚も細く少しばかり心配になりそうなくらい華奢であるが、はつらつとしていて見ているだけでこちらまで元気がもらえるようだった。


「イルザ様は今日もお美しい」


 なんて言いながらニカっと笑った。下の前歯が二本欠けているが、数年前に牛に蹴られたのだと言っていた。


「ありがとうな、そう言ってくれるのはお前だけだよ」

「そんなことはありませんよ。俺はイルザ様が美しいのを知っていますから」


 テオフィルが横から割り込んできた。これをため息をつきながら右手で押しのけた。

「悪いなトビアス。こういうやつなんだ」

「テオフィル殿がお調子者なのは知ってるから大丈夫ですよ。それじゃあ俺はこれで」

「ああ、気をつけてな」


 トビアスはまたニカっと笑ってから去っていった。


 エル・アルサ・イーズから来る人は性別や年齢はさまざまで、けれど共通している部分が一つある。それは「皆笑顔が眩しい」ということだった。きっとまともな両親の元に生まれ、幸せな家庭で育ち、これからもきっと笑顔で生きていくのだろう。


 半奴隷をしていた頃、幸せな家庭というのが羨ましかった。それは間違いない。けれどそんな家庭を見て憎いとは思わなかった。そして今も、笑顔で帰っていく人たちを見て「幸せでいてほしい」と思っている。傷ついてほしくないのだ。子供はそのまま育ち、老人は温かさの中で亡くなってほしい。それを叶えるためには間違いなく治癒の魔法使いの力が必要だった。


 今日もまた朝から治療をし続けた。一時間の昼休みはあるがそれ以外は基本的に休憩がない。そのため息苦しく思うこともある。


 診療時間終了まであと二時間というところまできた。指を組み、思い切り体を上へと伸ばした。思わず「んんー」とうめき声が出た。


 そのとき、テーブルになにかが置かれた。湯気が立ったコーヒーで、ミルクポットとシュガーポットも一緒に置かれている。


「お前がコーヒーを淹れてくれるなんて初めてだな」


 コーヒーを出したのはディルクだった。基本的にいい顔をせず、キツイ口調で仕事を強いるというのがイルザの評価だった。その評価は初日から変わっていない。


「随分とお疲れのようでしたので。まだ診療終了まで時間がありますし、そこまではやっていただかないと困りますからね」

「お前も休みながらやれよ。ずっと突っ立って疲れただろ」


 コーヒーにミルクと砂糖を入れているとディルクが大きくため息を吐いた。


「貴女が働いているのに私が休むわけにはいきません」

「適度にサボれよ。疲れるだろ、その生き方」


 そんなことを言いながらもコーヒーを一口すすった。


「お、美味いな」と思わず微笑んでしまった。コーヒーのいい香りが口いっぱいに広がり、鼻孔を抜ける際にはほのかな爽やかさがあった。


「お褒めに預かり光栄です」

「何度も言うけどもっと肩の力抜けよ。こっちまで疲れてくるんだよ」

「それは常に緊張しているからでしょう。背筋を伸ばして、キチンと前を向いているだけでも疲れます。それは当然のこと。ですが、そうすることで緊張感が生まれます。そして緊張感は失敗を退けて成功を引き寄せます。私が私らしくいることで緊張感が生まれるのなら、私はそれでいいと思いますよ」


 顔を見るだけでもそれが本音だということがわかる。生真面目で融通が利かないけれど、嘘を言うような男ではない。


 そこで次の患者が入ってきたため診察を再開した。


 すべての診察を終えて、いつもどおりに裏庭に向かった。そこで待っていたのはランドルフではなくユリアーナだった。


 この屋敷に来た次の日から、診療時間のあとで一人で稽古するようになった。それを見たランドルフが

「手が空いている者が相手をするのはどうだ」と提案してきた。ある日は剣、ある日は弓、ある日は体術、ある日は乗馬と人によって内容が違うため、新鮮で面白みがあった。つまり指南役は一人ではないのだ。


 ユリアーナは槍が得意であるため、彼女との稽古は基本的に槍術になる。槍を教わるだけでなく、槍を使った際の剣のさばき方や槍同士の騎馬戦などをすることもあった。


「今日はどうなさいますか? いつものように槍術の訓練ですか?」

「いつもとは違うことをしてみたいとは思うけど、なんか案ないか?」

「いつもと違うことですか。そうですね……」


 ユリアーナは顎に指を当てて黙り込んだ。そして数秒後、思いついたように口を開く。


「投擲訓練はどうでしょうか。騎士たちも訓練でやるんです」

「投擲っていうと石とかナイフとかか?」

「そうです。そのへんに転がっている石でも武器になりますから。もしも武器を失った際には必要な技術になりますよ」

「わかった、じゃあ今日は投擲訓練だ」

「森を入ってすぐのところに練習用の場所があるんです。砂利がたくさんありますのでそこに行きましょう」

「わかった」と、ユリアーナの後ろについて森の中に入っていった。


 彼女が言うように近いところに砂利が敷き詰められた場所があった。少し狭くはあるがこんな場所があることも知らないくらい、この森には入っていないということになる。


 ユリアーナは火をおこして十数本という松明に明かりを灯していった。訓練に使用している場所だけあって、丸太を輪切りにして的にしているようだった。弓矢の訓練の際に使われるものと同一のものだろう。そこに向けて石やナイフを投げるというわかりやすい訓練をすることになった。肘や肩に負担をかけない投げ方であったり、石やナイフをまっすぐ投げる方法などをユリアーナに教わった。思ったよりもずっと難しく、訓練内容も強度があるものだった。


 訓練が終わったあと、そのまま二人で風呂に向かった。この屋敷ではイルザが頂点であるため、騎士や侍従は食事も風呂も時間が重ならないようにしている。だがたまにはいいだろうということでイルザの方から誘ったのだ。腕を抱いて引っ張ってきたのだから、誘ったというよりは無理矢理連れてきたという方が正しい。

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