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 目が覚めると、ここ一年で見慣れ始めた天井が見えた。今までなにがあったのかを思い出しながら、頭を押さえて起き上がった。布団に伸びる光はもう茜色に染まっていた。


「起きましたか」


 その声を聞いて顔を上げると無表情のエルネスタが窓際に立っていた。その瞬間、大講堂であった出来事を思い出した。


「お前、よくも……!」


 一瞬で怒りがこみ上げてきた。


「なにを怒っているんですか? もしかして私が蘇生の魔法使いになったことですか? それならば仕方ないじゃないですか。私の方が優秀で、私の希望が通っただけの話なんですから」

「お前は治癒の魔法使いに憧れたんじゃなかったのかよ」


 エルネスタは一度顔を伏せたがすぐに顔を上げた。先程と同じ、少し冷めた目をしていた。


「私はこれが誰にとっても最高の選択だと思っています。誰も彼もが幸せになれる選択だと信じています」

「私にとっちゃ最悪の選択だ。私の幸せはベルノルトの幸せだ。アイツのいない人生は、私にとっての幸せにはならない。生きてる価値がないんだよ……!」

「アナタはそう言うと思ってましたよ。気づいていたかわかりませんが、ベルノルトの話をしているときのアナタは儚げで、それでいて幸福感に満ち足りた顔をしてるんですよ。とても綺麗だけど、触れれば壊れてしまうような、シャボン玉みたいな印象を受けました」

「だからなんだよ」

「だからこそ必要だったんです。アナタを押しのけて蘇生の称号を手に入れることが、私にとってなによりも必要だった」

「ふっ」


 一気に頭に血が上った。


「ふざけんなよ!」


 勢いよくベッドを飛び出してエルネスタに拳を打ち込んだ。けれどその拳はエルネスタを捉えることはなかった。


 気がつけばエルネスタに組み敷かれる形で地面に伏せていた。


「はっきり言って、アナタが私に勝っているのは腕力と身長くらいです」


 けれど腕力と身長で劣る相手に負けた。なにもかもが衝撃で心が折れそうになる。


「私に勉強教えてるときも、一緒に飯食ってるときも、風呂入ってるときだってそうやって思ってたのかよ」

「かもしれませんね」


 エルネスタはイルザの拘束を解いて立ち上がった。けれどイルザは立ち上がることもできずその場にへたり込んでしまった。


「腕力と身長以外は私の方がなにもかも上回っています。もしも二人が希望する称号が同じであるなら、間違いなくアカデミーは私を優先させるでしょう。だから私はなにがあっても成績を落とせなかった」

「私を見下すためにか」


 二年には満たないが、一年以上共に過ごした記憶が蘇る。けれどその心温まる思い出が、まるでガラスのようにひび割れていく。


「見下すつもりはありませんよ。ただ誰よりも優秀であれば、多くの選択肢が目の前に現れる。それこそが私の目的です」


 エルネスタの声が耳に入ってくるたびに怒りがこみ上げてくる。小さく温かく優しいはずの女の子。心からそう思っていた。だからこそ、怒りと同時に涙がせり上がってくるようだ。


 同じように魔法使いを目指し切磋琢磨する関係ではなかったのか。過去に吐いた言葉は嘘だったのか。いつからいがみ合うような関係になってしまったのか。友人では、なかったのか。


 奥歯を噛み締めて涙をぐっと堪えようとした。情けない。こんな女を友人と思っていた自分が情けなくて仕方がなかった。でもそれを悟られたくない。こんな女に、涙という弱さを見せたくない。でも勝手に流れてくるものを止めることができなかった。


「そう言えば知っていましたか? 蘇生の魔法を求める人は、基本的に大事な人を亡くした人なんだそうですよ」

「私みたいなやつらってことか」

「大切な人が亡くなれば誰しも悲しいでしょう。魔法を使って蘇生させたいという気持ちも理解できます。ですが蘇生の魔法は王族に使わなければいけません。それも王族の義務を最後まで全うするためのもの。国の行政を円滑にするために魔法を使うのです。魔法使いが対象を選ぶことはできないんですよ」

「あの子はまだ六歳だった。私やお前にとっては六年かもしれないけどあの子にとっては一生だったんだよ。短すぎるだろ。可哀想だと思わないか?」

「可哀想だと思いますよ。それにアナタのように死者を蘇らせようとした人たちはみな同じ気持ちだったでしょう。でも過去です。その事実を受けとめて、その人の大切さを実感して共に過ごした時間の幸福感を噛み締めながら前に進まなければいけないんです」

「前に進めるならこんなところにいないだろ」

「前に進んだからここにいるのだと、私は思いますよ。それに、蘇生の魔法使いになってもベルノルトは戻ってきません」

「どういう意味だよ。蘇生の魔法使いになればベルノルトを蘇らせられるだろ」


 エルネスタは静かに、ゆっくりと首を横に振った。


「魔法には隠された事実というのが存在します。秘匿事項と呼ばれ、魔法使いにならないと知ることが許されない事実です。私は一足先に継承の儀式を済ませて来ました。そこで秘匿事項を聞いてきました。そのうちイルザさんも知ることになるでしょう」

「そのヒトクジコウと蘇生になんの関係があるんだよ」

「蘇生の秘匿事項は蘇生させられる人間の範囲でした。魔法によって生き返ることができる人間は、実はごくわずかなんですよ」

「ベルはそれにあたらないって言いたいのか?」

「そうです。なぜならば、蘇生の魔法は遺体がないと不可能ですから」


 言葉が上手く出てこなくなった。


「は?」


 エルネスタの言葉を理解しようとするだけで精一杯だったのだ。


「遺体が残っていても、死後一日二日程度でなければなりません。それと損壊が激しいものも無理だと言われました。状態が悪かったり時間が経過した遺体は人ではなく物として認識されるようですよ」


 少しずつ言葉の意味を飲み込み始めた。同時に思ってしまった。アカデミーという場所が、死者を蘇らせたい者たちを入れておく檻なのではないか、と。


 誰かが死に、それを蘇生させたいがために魔法使いを目指す。しかし魔法使いになり秘匿事項を知った頃には手遅れだと知る。そんなのはあんまりだ。けれど、そうすることで「蘇らせたい人間を強制的に蘇生できなくさせる」という点では非常に正しいのだ。正しいのだと、思ってしまった。


「そ、それじゃあ私がやってきたことはなんだったんだよ」

「無駄ではなかったと思いますよ。現に魔法使いになれたじゃないですか。誰しもが憧れる魔法使いに」

「なんだよ、それ」


 途端に涙が溢れてきた。もう我慢などできなかった。


「ふざけやがって……」


 このお嬢様になにがわかるというのだ。自分の生活を、自分の価値観をお前が理解できるというのか。理解できていないのに、どうして人の気持ちをわかった気になれるのか。


 どうして、そんなヤツにも一矢報いることができないのか。


「ふざけやがってええええええええええ!」


 両手で拳を作って小指側から振り下ろし、床を強く叩いた。


「そんなのはどうだっていんだよ! 私が願ったのは一つだけだ! 私は私とベルの幸せを望んだだけだ! アイツのことをずっと大事に思ってきたし、アイツと過ごす時間が幸せだったよ! 私はずっと幸せだった! ずっとずっと、コイツだけは一緒にいてくれますようにって願ってた! 辛くて苦しくてひもじくてもベルとの生活が幸せだったんだよ! それが、幸せだったんだよ……!」


 何度も何度も叩いた。何度も、何度も、赤くなっても、痛みを伴ってもやめなかった。


「なんのためにここまでやってきたと思ってんだよ!」


 一度魔法使いになってしまえば、もう二度と魔法使いになることはできなくなる。


「知りもしないヤツにすがって、やったこともない勉強を続けてきたんだよ!」


 そして一層強く床を叩き、俯いたまま動きを止めた。髪の毛は乱れ、息は上がっていた。


「なんで夢も希望も奪ってくんだよ。私は幸せになっちゃいけないのかよぉ……」


 うずくまって、むせび泣いた。


 そんなイルザを見てもエルネスタは動き出そうとしなかった。下唇を強く噛んで、けれど手を差し出そうとは一切しない。


 悲しさと苦しさに支配されている中で、イルザは体を起こしてエルネスタを見つめた。まだ訊かなければいけないことがあったからだ。


「私の産まれを知って、弟の価値を知って、それでもお前は私の邪魔をしたってのか」


 イルザにとってベルノルトは宝物だった。食事もろくにできない、金もない、まともに風呂にも入れない。そんな中でも唯一イルザが持っていたもの、それがベルノルトだった。ベルノルトしか、彼女は持っていなかった。だからこそなによりも大切にすべきで、自分の命を差し出してもいいとさえ思っていたのだ。


「はい。それが正しいと思っていますから。それに蘇生の魔法使いになってもベルノルトは蘇生できないんですから、治癒の魔法使いになれてよかったじゃないですか」


 その言葉を聞いて、なぜかふいに力が抜けてしまった。


 どうして自分はここまで怒っているのだろう。心の中はとてつもない憤怒と、言いようのない虚無感と、世の中のすべてに対しての拒絶感で満ち満ちている。そして今、虚無感が感情のすべてを押しのけて前にでてきた。


「ああ、そうか」


 もうそれでいい。


「私はいろんなものをなくしたよ。生きる希望も、信頼してたやつも、友人だと思ってたやつも全部なくした。おつかれさん。良かったな、お前は自分の野望を叶えられた」


 すっと立ち上がって背中を向けた。


 それから一言も発することなく部屋をあとにした。

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