21
そのまま歩き続け、途中で右に曲がってヘルムートの家を目指す。その後、小川に突き当たったところで左折、ゆるい坂を登っていく。五分程度歩いて目的地にたどり着いた。
周囲の家よりも少しばかり大きい。それに伴って片開きのドアが多い中で、エックハルト家のドアは両開きになっている。
ドアノッカーを四回叩くと「はーい」と、中から幼い少女の声がした。
ドアが開いて、中からフィーネが顔を出す。彼女の顔を見るとなんだか懐かしい感じがして鼻の奥が痛くなった。知り合って一年も経っていないし、離れて数ヶ月しか経っていない。それなのになぜか感動している自分に驚いた。
「お姉ちゃん!」
フィーネがドアを目一杯開いて胸に飛び込んできた。優しく、けれど強く受け止めた。
「おいおい、危ないだろ」
フィーネは顔を上げてニカっと笑った。前はもう少し上品な笑顔をみせていた気がするが、短い期間でこんな笑顔もできるようになったんだなとなぜか嬉しくなった。
「だって嬉しいんだもん」
腹のあたりに顔を埋めて、服に顔を擦り付けていた。そんな無邪気なフィーネの頭に手を置いてゆっくり二度三度と撫でた。
「いらっしゃいイルザ。フィーネに会いに来てくれたの?」
奥からディアナがやってきた。薄いシャツに真っ直ぐに落ちるスカートと、王宮内の屋敷にいたときよりも地味な服装だった。だがディアナ本人から滲み出ている気品のようなものは服装が変わってもあまり変化はない。
「まあ、そんなところだ」
「疲れたでしょう? 中にどうぞ」
「ああ、お邪魔する」
フィーネの体は離れたが、小さな手がこちらの手に絡んできた。その手をそっと握り返すと、その小さな少女はぐいぐいと引っ張って、イルザはいつの間にか家の中に入っていた。
他の家などは知らないが、イルザにとってみれば豪邸だった。木材で綺麗に作られた室内は木材独特のいい匂いがした。入って正面には王宮内にあった屋敷とは比べ物にならないが立派な階段があった。リビングにダイニングにキッチンにと、イルザにとって初めて見る「普通の家」だった。
「お姉ちゃんこっち!」
そして階段に案内されて二階へと上がった。階段の先、正面に一部屋、右に二部屋、左に一部屋あった。
フィーネに右側の奥の部屋に連れて行かれた。ドアが開かれると、白とピンクを基調とした可愛らしい内装の部屋だった。少し大きめの白い机とイスのセット、大きめの姿見、カーテンやシーツはピンク色で、ベッドの縁はフリルがあしらわれていた。
「私の部屋なの」
両手を広げて満面の笑みで少女が笑う。淡い景色の中で、黄色く大きな花が咲き誇る。体は小さいはずなのに、その存在は非常に大きいものだった。そこに存在しているだけで、どうしてか胸の内が温かくなってくる。
「すごいな、いい部屋だ」
そっと頭を撫でると、フィーネは「えへへ」と頬を染める。
「今日は泊まってくの?」
なにか、言いようのないなにかがぐっとこみ上げてきた。その「なにか」を抑え込んで目線を合わせた。
「いいや、今日は帰るつもりだ。いつ魔法使いになる機会がくるかわからないからな。それまでにできることはやっておきたい」
「そう、なんだ」
あからさまにガッカリした様子のフィーネの頬を両手で包み込んだ。
「全部片付いたら泊まりに来るよ」
「ほんと?」
「ホントだよ。そのときは一緒に寝ような」
「わかった、約束だよ」
そう言って、フィーネが手の甲を上に向けて手を差し出してきた。
「約束だ」
手の平を上にしてフィーネの手の下に入れる。
「約束!」
イルザの手の平をフィーネが二回、優しく叩いた。
「ママに教えてもらったのか?」
「うん。誰かと約束するときはこうしなさいって言われたの。一回目は自分が約束を守るように、二回目は相手が約束を守るようにお願いを込めなさいって」
「そうかそうか」
立ち上がってまた頭を撫でる。フィーネはまたくすぐったそうに笑った。
それから夕食までの時間をフィーネと共に過ごした。時間が経つにつれて階下からいい匂いがしてくる。
絵本を読んだり風呂に入ったりして、そのうちに食事の時間がやってきた。
フィーネに文字を教えていたところでヘルムートが帰宅し、夕食を食べることになった。四人でテーブルを囲んで、ディアナが作ったシチューを食べる。サラダにパンにと並べられているが屋敷に住んでいた頃のような豪華さはなく、質も量もかなり落ちている。それでもシチューは温かく美味しかった。シェフが作る物とは少し違うが舌に馴染むような、濃厚でまろやかな味付けだった。
「アカデミーの方は順調みたいね」
ディアナが微笑みながら言った。
「それなりにな。友人も、できた」
自分の口から「友人」という言葉がでたことがあまりにも気恥ずかしかった。同時に「友人」という言葉に違和感を覚えた。
「よかったわね。このまま順調に魔法使いになればいいのだけれど」
「それは私がどうこうできる問題じゃないからな。なるようになるさ」
「そうね。人生はなにがあるかわからないから」
ディアナが口元を隠して「ふふっ」と笑った。
彼女の言葉の意味はイルザがよくわかっている。ここでこうして食事をしていることがなによりの証拠だからだ。
「お姉ちゃん魔法使いになるの?」
「まだわからん。なれればいいなとは思ってるけど」
「そしたらあのお屋敷に行くの?」
「お前たちが住んでた屋敷か?」
「うん!」
「そうなればいいな。そしたら遊びに来るといい」
「じゃあ魔法使いになったら呼んでね。約束!」
「ああ、いいぞ」
フィーネの部屋でやったのと同じようにして約束を交わした。
近況報告をしながら食事をしていると、気がつけば食べる物がなくなって、予想よりも長い時間が経っていた。
食事を終えてコーヒーを飲んだあとで「さてと」と立ち上がった。
「帰るんですか?」
ヘルムートが顔を上げた。
「明日も休みだけど勉強しないとな」
「頑張っているようでなによりです」
「やれるだけはやるさ」
イルザはバッグから紙袋を取り出し、更にその中から包装されたハンカチを出した。どう渡したらいいかと考えたが、包装されたハンカチを突き出すという方法しか思いつかなかった。
「なんですか?」
「遅れたけど誕生日プレゼントな」
「そういうことですか」
ヘルムートは微笑み、立ち上がってから受け取った。
「ありがとうございます」
穏やかな微笑みだった。出会ってから今まで見続けてきた、彼を象徴するような笑みだった。
「なになにー」
フィーネが抱きついてきたので、彼女にもまたハンカチを渡す。
「誕生日がわからなかったから今日もってきた」
「シルフグラフェの十だよ!」
「そうか、次はちゃんと誕生日に持ってくる」
「あら、私にはくれないの?」
洗い物が終わったのだろう、ディアナが手を拭きながらこちらに歩いてくる。
「あるよ」
ディアナもまた微笑んだままハンカチを受けとってくれた。
「ちなみに私はサラマンダーグラフェの十四だからね」
「覚えとくよ。それじゃあ、やりたいこともやったし帰るかな」
イルザの言葉を聞いて、フィーネが袖を掴んできた。
「もう帰っちゃうの?」
「また会えるから心配すんな。次会うときまでよく寝てよく食べて大きくなれよ」
「また来てくれるなら帰してあげる」
「コイツめ」
フィーネの頭をわしわしと撫でたあとでドアに向かった。
ドアを開けて外に出ようかというところで一旦止まり、目を伏せた。
「次はもっとちゃんとしたプレゼント持ってくるから」
ヘルムートとディアナが同時にため息をついていた。
「気にしないでもいいんですよ。貴女がしたいようにすればいい」
「ああ、ありがとうな。それじゃあ」
手を挙げると三人もまた手を挙げてくれた。
入り口を抜けてドアを閉める。後ろ髪を引かれているのは事実だが、ここで立ち止まるのは正解ではないと断言できる。自分の本心を押し殺して、ただただ前に進むと決めたのは自分なのだから。