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荷物をすべて運び終わって額の汗を拭った。季節柄仕方がないことだが気温が高く、手回し式の扇風機だけでは限界があった。元々荷物はそこまで多くなかっはずだが、靴やバッグなどで多くなってしまった。買ってもらったものなので文句も言えずありがたいと思う他なかった。
部屋は狭く五メートル四方の大きさだ。ドアを開けて対面に窓があり、左右対称になるようにして勉強机、ベッド、クローゼットが壁際に並んでいた。見るからに二人部屋、という感じである。
今日一日は寮への引っ越しということで、引っ越しさえ終わってしまえば他にやることがない。それでも年齢よりも知識量が少ないことを自覚しているからこそ、少しでも時間が余れば机に向かおうと思っていた。
ベッドに座って一息ついたとき、部屋の外から大きな足音が聞こえてきた。バタバタと忙しなく、それでいて歩幅が小さいのか非常にテンポが早い。その足音が部屋の前で止まり、代わりに控えめなノックが聞こえてきた。
イルザが「どうぞ」とため息まじりに返すと、やや間があってドアが開かれた。
「あー! イルザさんじゃないですかー!」
部屋に入ってきたのはエルネスタだった。燃えるような赤い髪の毛をふわりと揺らし、嬉しそうに歯を見せて笑った。イルザと同様に汗だくで、汗が滴ってバッグの上にぽたりと落ちた。
その姿を見てイルザは失笑した。きっとこうなるだろうとわかっていたからだ。
「まさかイルザさんと同室だとは思いませんでした! これからよろしくお願いしますね!」
右側のベッドの上に三つの布袋を放った。左側のベッドの上にはイルザの荷物があったからだ。そしてそのままベッドに腰を下ろした。
「合格者が私とお前だけなんだから同室になるとしたらこうなるだろ」
「そういえばそうでしたね」
エルネスタは満面の笑みを浮かべたままベッドに倒れ込んだ。それから数秒後、寝息を立て始めてしまう。
「なんなんだよコイツは」
と、そう言いながらも自分の頬が緩んでいることに気が付き「ははっ」と声を出して更に笑ってしまった。
エルネスタが言うように今回の合格者はイルザとエルネスタの二人だった。四ヶ月に一度行われるアカデミー入学試験は、多くて十人、少なくゼロのときもある。それをエルネスタから聞くまで、イルザは採用人数を知らなかった。
アカデミーに在籍する人間は全部で二百人程度で、上下しても十人ほどだとも話していた。入学式も卒業式もない、学校と言えるかも怪しいような教育施設、それがアカデミーである。
学校など行ったことはない。ただ「学校というには少しばかり特殊である」という知識しかなかった。それでも誰がなんと言おうとここはイルザにとっての初めての学校なのだ。
ベッドから立ち上がって窓に向かう。四階という高い場所から地面を見下ろすのはなんだか不思議な気分だった。生きた心地がせず、落ちたらどうなってしまうのだろうという考えが頭をよぎり足がすくむ。しかしイルザは窓を開けた。風が吹き込んできて髪の毛をたなびかせる。汗をかいているせいか、熱を含んだその風を涼しいと感じていた。
「イルザさんはどうして魔法使いになろうとしたんですか?」
振り返ると、エルネスタがベッドに座って微笑んでいた。
「寝たんじゃないのかよ」
「すぐ起きました。起きなきゃいけない気がして。で、魔法使いになろうとした理由は?」
「いい暮らしができるって聞いてな。お前は?」
「私、小さい頃すごく体が弱かったんです。そこを治癒の魔法使い様に治してもらったんです」
「だから治癒の魔法使いになりたい、か」
「はい、治癒の魔法使いは私の夢なんです」
エルネスタの笑顔で部屋の中が一気に明るくなった。明るく優しい、こんな人が治癒の魔法使いになるのだろうなと直感した。彼女こそが治癒の魔法使いであるべきだとも思った。
ここから第二の人生が始まる。普通の人間と同じような暮らしを得られる。そして野望を実現させるための一歩も踏み出せた。必ず蘇生の称号を手に入れてベルノルトを蘇らせる。ヘルムートに対しての罪悪感がないわけではない。それでもイルザにとっては自分より、ヘルムートよりもベルノルトの方が大切だった。そう、なによりも大切だった。