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そのときドンっと背中になにかがぶつかってきた。よろけながら振り返ると、鼻を押さえた小柄な女の子が立っていた。燃えるように赤い髪の毛が目を引いた。強くウェーブがかかったふわふわしたボブカット。そして髪の毛の色と同じ瞳は、内側からこみ上げるような信念を感じさせた。小さくて可愛らしいのだが、同時に力強さのようなものもある。
「ご、ごめんなさい! 大事ありませんか?」
「いや、特に問題はないが」
向かい合って立つとイルザより十センチ以上背が低い。イルザと比べて少しだけふっくらとしていて肉付きがよさそうだ。
「もしかしてアナタも入学試験に?」
少女が目を細めて嬉しそうに言った。それがあまりにも衝撃的で、イルザは「そうだけど」と言いながら後退ってしまった。
これからアカデミーの入学試験が行われる。アカデミーに入れるかどうかはこの試験で決まるがすべての人間が入学できるわけではない。つまりここにいる人間は自分の敵だと思わなければならないのだ。それなのにこの少女は嬉しそうにしているではないか。蹴落とし合うにはあまりにも雰囲気が和やかすぎる。
「そうなんですね。私、エルネスタ=ハイツハイムって言います。アナタは?」
「あー、イルザ=フォルツだ」
「イルザさんですね。これから同級生になるかもしれませんね。お互いがんばりましょう!」
両手で拳を作り胸の前で上下させた。頑張るぞと自分と相手を鼓舞させるような、そんな可愛らしい仕草だった。
バカな女だと思った。コイツは誰も蹴り落とせないし、きっと偽善のせいで痛い目を見るに違いない。
それでも突き放すことはできなかった。だがその理由まではよくわからず、エルネスタの笑顔にほだされそうになる心を食い止めるので精一杯だった。
「私とお前が一緒に受かる保証なんてないぞ」
そう言って顔をそむけた。足早に試験会場に向かう。至るところに矢印の紙が貼られ「試験会場」と書かれている。
「でも二人で受かったら一番いいですよね」
それでもエルネスタは張り付くように横を歩いていた。
「全員が敵だと思わなきゃ足を掬われるぞ」
「かもしれませんね。でも、できれば全員合格できた方が良くないですか?」
「能天気だな、お前は」
鼻で笑うと、エルネスタは満面の笑みを返してきた。
「みんながみんなトゲトゲしてたら、そのトゲトゲにやられた人もトゲトゲになってしまいますよ」
「なんだよそれ、アホらしい」
でも、嫌いじゃない。
「能天気もアホっぽいも私の良いところですよ」
「ああそうかい。お前と同級生になったヤツは大変だな」
「確かにそうかもしれませんね。今までもいろんな人に迷惑ばっかりかけてきたので」
「そのわりには明るいじゃないか」
「迷惑をかけた分は魔法使いになって恩を返します。だから大丈夫です」
彼女は胸を張って言った。大きめな胸が強調され、イルザは小さな嫉妬と大きな呆れでため息をついた。
「すごい自信だな」
「自信がなくてはここにはいませんよ」
彼女の赤い瞳は自信に満ち溢れていた。中身もふわっと柔らかいのだろうと思っていたが、どうやら信念だけはとても硬く、一本筋が通っているようである。
二人は矢印の方向へと進んで昇降口にやってきた。昇降口の受付で紹介状を渡すと代わりに受験票を返された。その後案内係の教師のあとについていった。
会場となる講義室につくと教師から説明を受けた。受験票に書かれている番号と同じ番号が書かれている席に座って待つようにとのことだ。
講義室に入ると古い木材の匂いと、今まで嗅いだことがない粉っぽい独特な匂いとが混じっていた。なぜか胸が高鳴った。すでに何人かの受験者が席に座っており、なにかの参考書を開いて勉強をしている様子も新鮮だった。後ろにいくにしたがって机が高くなっているのだが、後ろの席でも黒板が見えるようにと考えられた配置だろうとすぐにわかった。
教室の中を見渡して自分の席を探す。するとエルネスタが受験票を覗き込んできた。
「イルザさんは最前列ですか。私は最後列なので離れ離れになっちゃいますね」
「別に近くてもいいことなんてないだろ?」
「でも寂しいじゃないですか。せっかく仲良くなれたのに」
仲良くなったかどうかはわからないが、満面の笑顔を見ていると無下にできなかった。無意識に言葉を選んでしまうのだ。
「試験が終わって会えなくなるわけじゃないんだ、落ち込むことはないだろ」
「じゃあイルザさんは私とまた会ってくれるんですね、安心しました。それじゃあ試験がんばりましょう!」
一人で会話を完結させて自分の席へと駆け出した。そして自分の席に着いて目が合うと笑顔で大きく手を振っていた。その仕草に頬が緩む。小動物のようであり非常に愛らしかった。
講義室の中を見渡すと老若男女、様々な人たちが席に座っていた。下は十歳そこそこ、上は白髪でシワだらけの老人。本当に年齢制限などがないことを実感した。
席に座って筆記用具を出した。机の上に両手を置いて正面を見れば、大きな黒板と教卓が見えた。
「ここがアカデミーか」
目を閉じて深呼吸を一回、二回。ヘルムート、ディアナ、フィーネ、エマと、今まで関わってきた人の顔を思い出す。自分がまっとうに勉強をするなど考えられなかった。しかし様々な人に支えられてここにいる。
皮肉なものだと自嘲気味に笑った。いい暮らしをしている自覚はある。けれど大切な人を失ってからそれを得ることがこんなにも苦痛だとは思ってもなかった。頭の中で出会った人たちの顔が歪んでいく。なにが正しく、なにが間違っているのか、なにが幸せで、なにが不幸せなのかわからなくなった。それでもこれは最大の幸福を得るために必要なのはわかっている。
やがて教師がやってきた。試験内容の説明と不正に対しての処罰などを説明していた。答案用紙が配られ、机の上には答案用紙と筆記用具だけが残される。
「答案用紙は行き渡りましたね。それでは第一次試験、始めてください」
こうして、アカデミー入学試験が始まった。