12
ヘルムートはイルザの対面に座り、エマは手慣れた手付きでお茶を入れた。お茶を入れたあとでヘルムートの脇に立ったエマだが、それを見たヘルムートは微笑みながら口を開いた。
「食器は私が片付けるのでエマは自由時間にしてもいいですよ」
「本当ですか? それはありがたいですね」
と、エマは満面の笑みで言った。
「それではヘルムート様、イルザ様、私はこれで失礼します」
「ええ、おやすみなさい」
「おやすみ、エマ」
エマはさきほどと同じように明るい笑顔のまま一礼をして部屋を出て行った。
最終的に二人だけがこの空間に取り残された。三ヶ月前までならば居心地の悪さを感じていただろう。それだけ他人を信じられなかった。人からの視線や言葉は当然として、他人と同じ部屋にいると行きが詰まりそうになっていた。それが、今はない。
ヘルムートはお茶を一口を飲んでから口を開いた。
「表情が柔らかくなりましたね」
カチャリとティーカップが置かれる。
「さあ、自分ではわかんねえな」
「姿勢も良くなりましたし、感情的になることもなくなりました。試験まであと二週間、なんとか形にはなりそうですね」
その言葉を聞いて思わずため息が漏れた。
「そんなことを言いに来たわけじゃないんだろう」
「私がなにを話そうとしているのかわかっているかのような口ぶりですね」
「なんとなくだけどわかってるよ」
「自分で気づいたのか、それとも誰かから聞いたのかは訊かない方がいいでしょうね」
コイツはわかっているんだなと、素直にそう思った。頭がいいのか勘が鋭いのかは不明だが、この男には一生勝てないのではないかとすら思ってしまう。
「ではちゃんと話すことにしましょう」
テーブルに肘を付き、ゆったりとした動作で指を組んだ。
「私は魔力の減衰によって魔法を使うことができなくなりました。なのでもうこの屋敷にいることはできません。正式な日取りはまだですが、おそらく試験の日が終わってすぐでしょう」
「なるほどだから四ヶ月後にこの屋敷には戻って来られないって言ったのか」
「そういうことです。私たちは王都の東側に家を建てたのでそこに移り住む予定なんですよ」
「私は受かっても落ちても知らん顔か、まあ仕方ないか」
自嘲気味に笑って視線をティーカップに落とした。水面には見たことがない女の顔が映っていた。悲しさよりも虚しさが強調されるような、淡い微笑みがあった。
「そんなことするわけがないでしょう。落第した場合は私の家に招くつもりでしたよ。合格すれば寮生活なので問題はありませんしね」
「なんで最初に言わなかったんだよ。てっきり――」
イルザは口ごもり、ごまかすように紅茶を飲んだ。
「てっきり放り出されるかと思った、ですか」
「そりゃそう思うだろうがよ。お前は私を入学させて金を得るわけだし、私が入学できなきゃそれもなくなるんだろ? 捨てられて当然だと思うじゃねえか」
テーブルに右肘を付いて、ふてくされるように頬杖をついた。
「私はお金のために貴女を推薦しているわけじゃありませんよ」
「そうなのか?」
「最初に言ったと思いますが、貴女は稀有な魔力を持っているんですよ。あまり言いたくはありませんが、現存している魔法使いを凌ぐ魔力がある」
「それは初めて聞いたけどな」
「あの時は貴女の性格や潜在的な才能が見えなかったので黙っていました。一通り勉強してみてわかったかと思いますが、最低限の学習能力がなければ四ヶ月でアカデミーに入学なんてできません。貴女には人並みはずれた能力があると言って安心してもらっても困りますし、驕りや怠惰を生んでもいけないと思いましたので」
「このタイミングで言ったってことは、私は大丈夫だってことでいいんだよな」
「そういうことになりますね」
それから数秒間、黙ったまま見つめ合った。どちらも視線を逸らすことなく十秒が過ぎた頃にヘルムートがまばたきをした。
「正直なところ、今貴女に教えている勉強はアカデミーの入学には必要ないところです」
「じゃあなんでやらせてんだよ。こっちはいっぱいいっぱいなんだぞ」
「やっておいた方が今後貴女の力になるからです。アカデミーに入学するために必要な学力は、実のところ中等部一年程度まででいいんですよ。ですが必要なのは学力ではなく、勉強をしたという事実です」
「意味がわからん。できるだけ知識を詰め込みたかっただけじゃないのか」
ヘルムートは頭を振ってため息をついた。
「基本的に知識というのは勉強をしないと得られません。ですから知識があるということは、その根底に少なからず努力があるんです。知識を詰め込むという一点に向かって突き進む活力があるんです。どれだけ苦労だと思っても、その苦しさを噛み殺して勉強を続ける忍耐力も必要になる。そしてその知識と活力、忍耐力を利用して、考え方や視点を変えたり、閃きや想像力を養ったりするのです。必ずしもそうとは言い切れませんが、きちんと勉強という努力をしてきた人たちはそれを経験値にして様々なことができるようになると私は思っています」
「勉強の内容じゃなく、勉強をしたという過程が重要ってか」
「そういうことです。結果は大事ですが、過程なくして結果は得られません。なのであと二週間、貴女には努力を続けてもらいたい。それはきっと貴女の力になるでしょう」
背もたれに目一杯体重を預けた。最低限必要な知識は詰め込んだ。勉強もそうだが、剣術や体力づくりなどで一日を目一杯使うのも疲れる。夜は夜で宿題をしなければ眠れない。
「わかったよ」
それでもこの生活をくれたのは間違いないのだ。一生泥沼を這いずるはずだった自分を、キレイな水で洗い流して掬ってくれた。掬い上げてくれたのと同時に救ってくれたのだ。
「貴女ならそう言ってくれると思いましたよ」
ヘルムートは柔和に微笑んだ。
「それでは、魔法についてお話しましょう」
そこからヘルムートによる簡易的な魔法の授業が始まった。
この国には七つの魔法があり、七人の魔法使いがいる。
①治癒
傷を治す魔法。切断された腕や足も神経ごと修復できる。一時的な身体強化が可能。
②崩壊
生物以外のありとあらゆる物を破壊できる。
③束縛
物質や生物をその場に固定させることができる。空中でも停止させられる。
④結界
内と外に分けて円形の障壁を展開できる。物理的な衝撃で壊すことができる。
⑤鋭刃
鋭利な刃物を作り出して飛ばすことができる。ありとあらゆる武器を扱える。
⑥属性
火、水、風、土など自然を操ることができる。
⑦蘇生
一度だけ生物を蘇らせることができる。
唯一蘇生魔法だけ回数制限があり、唯一蘇生魔法だけ戦闘や日常で役に立たない。そして蘇生の魔法使いだけが王宮に留まらなければいけない。国王が死んでも蘇らせることができる唯一の魔法使いだから。それ故に快く思わない魔法使いや元魔法使いは多い。何かと戦うこともなく、誰かを守ることもなく、誰かが死ぬのを待つことしかできない魔法使い。だが、なりたがる者は少なからず存在する。どんな形であれ魔法使いである以上、羨望の眼差しを浴びて優雅な暮らしができるからだ。
魔法使いには、魔法使い一人につき三人の補欠が存在する。魔法使いが不慮の事故や病気でなくなってしまった場合や、魔力の減衰によって魔法を行使することができなくなった場合に一時的かつ自動的に魔法使いの称号が継承される。第一補欠、第二補欠、第三補欠と存在し、魔法使いがなんらかの形で力を失ったときは第一補欠が称号を受け継ぐ。もしも第一補欠が死んでしまった場合は第二補欠が、というような仕組みである。そしてアカデミー生より新たに魔法使いが選出されると補欠要員はまた一般人に戻る。魔法使い交代の際、次の魔法使いはアカデミー生から選出され、さらに補欠もアカデミー生から選出される。つまり補欠になった以上、ほとんどの場合は補欠のまま終わり、ちゃんとした魔法使いになることはないのだ。あくまで代理のまま終わってしまう。中途半端な成績では魔法使いになれないことを意味し、イルザの精神を締め上げていた。