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 少しずつ、少しずつ、顔つきも体つきも変わってきた。頬に肉がつき肌艶はよくなった。筋肉がついたことで肩幅が広く見える。背筋を伸ばす癖が付き、必然として胸を張って歩くようにもなった。


 ドミニクに教わった体術も弓も剣も上達した。体術は基本的に拳を主体とした突進戦術を覚え、弓は二十メートル程度の的に当たるようになった。剣に関してはまだ一本取るには足りないが、何回かに一回はドミニクの剣を読み切って避けるところまできた。攻撃は最大の防御であり、だからこそ継ぎ目なく攻撃するのが大切だとも教えられた。だが剣を長時間持つことはまだ難しく、実践形式の模擬戦では二十分に一回は休憩しながら訓練を続けていた。


 あぐらを掻いて地面に座り、ノドを鳴らして水筒の中の水を飲んだ。地面に水筒を置いて大きな深呼吸を一つ。


「お前、だいぶ良くなったな」


 ドミニクの言葉を聞いて開いた口が塞がらず、表情すらも固まってしまった。


「なんだ、おかしなこと言ったか?」


 そこでようやく息を吐いた。


「お前が褒めるなんてどうなってんだよ。明日は星が降るな」

「雨とか槍とか言い方があるだろ。なんでそんなにロマンチックなんだ」

「お前の口からロマンチックなんて言葉が出ることあるんだな」

「うるさいな」


 こんなやり取りは日常茶飯事だった。が、こうやって褒められるのは初めてだった。数ヶ月教えてもらっていたが「あれが悪い、ここを直せ、それをやめろ」のような矯正じみた指導ばかりだった。


「ありがとうな」


 鼻で笑ったあとで水を飲んだ。


「なんの礼だ、意味がわからん」

「褒めてくれてありがとうなってことだ」


 ドミニクは頭の上に疑問符が浮かんでもおかしくないくらいに首を傾げていた。その姿を見てイルザはもう一度笑った。


 この屋敷では誰も彼もがイルザのことを褒めてくれる。受け入れ、同調しようとしてくれる。ときにこれが夢なのではないか、全員で自分を騙しているのではないかと思ってしまうこともある。同時に、今でもまだ他人と食事することや寝間着姿を見せることには抵抗があった。


 しかし、この屋敷にいると胸のあたりが温かくなるのは事実だった。暴力も振るわれない、文句も言われない、キレイな服を着て好きなように食事を食べることが許される。自分の行動に対して誰もが興味を持ち、できなかったことができるようになれば褒められ、人として間違っていた場合は咎められる。どこか人としての営みに関与できているようで嬉しかった。


「楽しそうですね」


 今度はヘルムートが声をかけてきた。


「なんだよ。笑っちゃ悪いのか」

「貴女の笑顔が増えてよかったなと、素直にそう思っただけですよ。深い意味はありません」


 そんなヘルムートの微笑みはどこか含みがあるように見えてしまう。今だけではなく、彼が微笑むとなにか別の意図が隠されているのではないかと勘ぐってしまうのだ。それがどうしてなのかはわからないが無意識に身構えてしまう。


「ここにいる時間もあと僅かです」


 そう言われて、身構えていたことが間違いでなかったと知る。


「わかってる」

「言っておきますがここから貴女を追い出したいわけではありませんよ。まあそのへんは今日の夜にでも。貴女には魔法や魔法使いについて、ある程度は教えるつもりでしたから」

「夜は授業と宿題でいっぱいだぞ」

「今日は夜の授業はありません。頑張りましたし、一日二日やらなくても問題はないでしょう」

「その代わりにアンタの授業ってことか」

「そう思ってもらえるといいかと」

「わかった。それじゃあ訓練に戻るかな」


 木剣を持って立ち上がる。尻についた土埃を叩いて歩き出した。


「ええ、頑張ってください」


 ヘルムートの言葉が背中を押してくれるようだった。が、どこか寂しそうに聞こえたような気がして振り返る。表情は柔らかく、いつものヘルムートと変わりなかった。


 それから剣術と弓術を終え、勉強、湯浴み、食事を済ませてから部屋に戻った。窓の外は暗くなって、空には蒼いカーテンがかかっていた。


「はい、今日のお菓子は自家製プリンとローズティーです」


 エマがテーブルに二人分の皿とティーカップを置いた。


「珍しいな。私とお茶を飲むのか」

「私じゃありませんよ。ヘルムート様の分です」

「ああ、そういえば来るとか言ってたな」

「ヘルムート様も甘いものはお好きですからね。用意しておいたら喜ぶかな、と思いまして」

「気が利くいい女だな」


 エマは「そんなことありませんよ」と言いながら頬を赤く染めた。だがどうしてか彼女は寂しそうな顔をしてため息をついた。


「でもこのお屋敷でヘルムート様にお仕えするのもあと少しなんですよね」


 ため息の理由はわかった。逆に、今度は「どうしてあと少しなのか」がわからない。結婚でもするのだろうか、それとも別の理由があるのだろうか。そう考えながら口を開く。


「どういうことだ?」

「もしかしてまだ聞いてないんですか?」

「なにをだ? 話が見えん」


 言ってもいいのだろうか、と顔に書いてあるようだった。困ったように眉根を寄せて口をもごもごとさせているところからも迷いがうかがえる。


「いいから言え。どうせあとから知っても同じだから」


 エマは腕を組んで「うーん」と唸り、そのあとで大きく頷いた。


「ヘルムート様がすでに蘇生の魔法使いとしての能力を失っているのはご存知ですか?」

「魔力の減衰が原因だってのは知ってる。魔力が減ってきてるってことだよな?」


 最初に聞いたときは「減衰」という言葉の意味を知らずに話を聞き流していた。


「つまりですね、ヘルムート様はもう蘇生の魔法使いではないんですよ。なのでこのお屋敷から出ていかなきゃいけませんし、新しい仕事も探さなきゃいけないということです」

「でも減衰の話をしてから三ヶ月経ってる」

「結構前ですが新しい蘇生の魔法使いが決定していますよ。蘇生の魔法使いに用意されている屋敷はいくつもあるのですぐに明け渡す必要はない。けれど魔法使いではないので「蘇生の魔法使いに用意されている」屋敷は近いうちに出ていかなければいけない、というわけです」


 新しい魔法使い、と言われて胸のあたりが重くなった。今蘇生の魔法使いが選ばれるとなると、ヘルムートの次の魔法使いがいつ蘇生の称号を返上するかわからない。


 同時に気になることがもう一つあった。この屋敷を去るというエックハルト家のことだ。


「ヘルムートたちは屋敷から出てどこに行くんだ?」

「おそらくですが家は用意されてるのではないかと。引っ越しをして新しい仕事をして平民と同じような暮らしをされると思いますよ」

「そう、なのか」


 エマの言葉に胸をなでおろす。同時に、なぜ自分が他人の心配をしているのかと頭を抱えそうになった。未来が見えない状態で生きているのは外でもない自分であり、他人の心配をしているような余裕などあるはずがない。


 そこでドアがノックされた。エマがドアを開けるとヘルムートが立っていた。心なしかいつもよりも顔がこわばっているように見えた。

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