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 授業と授業の間、控えめなノックが四回聞こえてきた。


「どうぞ」


 ドアに一瞥もくれないままそう言った。ドアが開いて人が入ってくると室内に花の香りが舞い、空気が変わっていくのを感じた。思わず顔を上げると、そこには優しく微笑むディアナが立っていた。

「ちょっといいかしら」


 いつでも背筋が伸びていて優雅な立ち姿を見せる。そんな彼女が自分の部屋に来たというのが信じられなかった。このような華やかな女性とは縁がなく、この屋敷に来てからもディアナと過ごす時間は食事のときくらいしかなかった。


「珍しいな、一人で来るなんて」

「そうね、初めてかもしれないわ」


 そのあとで「ふふっ」と声を出して笑っていた。


「いつもフィーネがお世話になってるようだし、あと一ヶ月でアカデミーの試験でしょう? ここにいる間にプレゼントの一つでも贈りたくって」

「プレゼント……?」


 イルザは眉をひそめた。この生活もそうだが、今着ている服や履いている靴、筆記用具一式にたくさんの教科書やノート。それだけでも十分なのにまだなにかあるのかと、別の思惑があるのではないかと勘ぐってしまう。何年も人の悪意に触れ、人を信用することを忘れかけた以上は習性に近いものがあった。ただより高いものはなく、美味しい話には罠があり、きれいなものには棘がある。そしてそれらには必ずと言っていいほどの猛毒が塗りたくられていることを身に染みて知っている。


「そんな顔しないで。さあ、こっちへどうぞ」


 次の教師が来るまでにまだ時間がある。そう思い、言われるがままに部屋を出た。


 案内されたのは一階の客間だった。四つある中で一番大きい客間だが、入ってすぐに違和感に気がついた。客間には三つのドレスが並び、傍にはメジャーを持った女性が二人控えてきた。


「どういう状況だ、これは」

「見ればわかるでしょう? 貴女のドレスを作るのよ」


 目の前にある三つのドレスはどれもキラキラと光って見えた。薄いエメラルドと濃紺のソプラヴェステ、ふわりと広がる黄色いハイウエストワンピースドレス、ピンクを基調として白いリボンがたくさんあしらわれたバッスルドレス。どれもこれも縁がないと思っていたドレスばかりだった。


「そんなこと言われても困るんだが」

この高貴な雰囲気に一歩後退る。

「貴女もドレスを着る機会があると思うわ。だから遠慮しなくていいのよ」


 一歩下がったはずなのに、ディアナによってまた部屋に戻されてしまう。そして「採寸お願いするわ」と背中を押された。女性二人は「かしこまりました」とすぐさま採寸を始める。一人の女性が首に腕に胸に腹回りにとメジャーが当て、もうひとりの女性がノートに数字を書き込んでいった。


「イルザはどんなドレスが好き?」


 お茶を飲みながらディアナが言った。


「さあ、ドレスのことはわからない。ズボンとシャツがあればそれでいい」

「でも最近はスカートを穿くようにもなったわね」

「それはズボンが二着しかないから……」


 首筋をポリポリと掻くと「じっといていてください」と怒られてしまった。


 だがスカートに興味がなかったわけではない。元いた場所では穿いていたが、それは服がなかったから仕方なく穿いていたものだ。ズボンの方が動きやすく身が引き締まる。それでも最近またスカートを穿き始めたのは、フィーネがおそろいの服を着たいと言い出したからだ。


「でもフィーネに合わせてくれたんでしょ?」


 顔が熱くなっていく。きっと真っ赤になっているだろうが手で顔を覆えばまた小言を言われてしまう。


「本当はね、最初は貴女のことを疑っていたわ」

「そりゃそうだろうな」


 考えるまでもないと、イルザが細く短いため息をついた。


「でも暮らしていくうちに貴女のことが少しずつわかってきたの。言葉遣いは良くないけれど温かく優しい子だということが伝わってきた。だからヘルムートと相談して貴女にドレスを送ることにしたの。ささやかなプレゼントだと思ってもらえればいいわ」

「プレゼントって言われても……」


 イルザの頬が僅かに引きつった。気恥ずかしさもあったが、なによりも贈り物の裏にどんな思考が隠れているのかと考えてしまう。ただより怖い物はない。それに釣られてついていくと暴力を振るわれ金銭をせびられる。この屋敷では不要な考えだとすでに理解している。それでも体に刻み込まれたものは反射として出てしまうのだ。


 そんなイルザに、ディアナは温かな視線を送った。


「大丈夫よ。とにかく今は素直に従っておきなさいな」


 緊張しながらも、少しずつ好意に甘えようという気持ちにはなってきた。この一家は間違いなく信用できるのだと生活の中でしかけている証拠だった。


 採寸は十分程度で終わった。だがこの部屋からはまだ出られないようで、今度は三つのドレスを一着ずつ着ることになった。少し袖が長いものや腰回りが緩いものもあったが、ディアナは三つとも「よく似合っているわ」と言ってくれた。


 最後に足のサイズを図ってから「それでは失礼します」と女性二人が客間を出て行った。


 女性二人が帰った頃には心身ともに疲れ果てていた。元々人見知り気味であったが、それ以上に高級そうなドレスを何度も着替えるということが苦痛でもありむず痒さのようなものがあった。


「もういいのか?」

「ええ、問題ないわ。ドレスも靴もそのうち届くと思うから楽しみにしていてちょうだい」

「着る機会があるかどうかはわからないけどな」

「あの人、まだ説明してないのね」


 ディアナは含み笑いを浮かべた。


「どういう意味だ?」

「そのうちわかるわ。さ、休憩もオーバーしちゃったみたいだからお勉強に戻りましょうね」


 壁掛け時計を見るとすでに三十分は経過していた。


 怒られることを想像し急いで部屋に戻ったイルザだったが、すでに到着していた教師に怒られることはなかった。ただ「さあ、サボった分をお取り戻しますよ」と肩を叩かれるだけだった。おそらくディアナが根回しをしていたのだろう。それならば最初からそう言っておいてほしかった、と思いながらもイスに座った。

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