last.彼女の願い
花と風車が象徴の、平和な田舎町に突如降りかかった災害。
家屋や街路の一部が石化するという現象に見舞われた。
石はあらゆるものの干渉を受けず、国から派遣された魔術師であっても解除はおろか除去すらできなかった。
そのため町の一部を立入禁止区域として封鎖し、自警団がその管理にあたった。
石化現象には一人の青年が巻き込まれ、青年の住居を中心に石化は広がっていたという。
説明不能の事態に、人々はそれを“石の魔女の呪い”と呼んだ。
――それが、今から約数ヶ月ほど前の話。
およそ一年間、解決の見通しがなかった石化現象は、思いがけない収束を見せた。
切っ掛けは不明だが、予兆もなく石片が剥がれ落ち始め、その下に覆われていた物は元の姿のまま現れた。
石片の撤去を行った後に、立入禁止区域は解放された。町からは、石化の形跡はきれいさっぱりなくなったという。
また巻き込まれていた青年の石化も無事に解けて救助され、療養施設によって順調に回復の兆しを見せている。
やはり説明不能の事態に、人々はまた、魔女の呪いの噂を強く信じるのであった。
窓越しには、変わらず熱心に一点を見つめ続ける青年がいた。
何をしているかはわからない。
だけどその真剣な表情から、遠目からでも夢中になっていることはわかった。
店の扉にそっと手を掛ける。
思ったよりも軽くて、簡単に開いた。ガラン、とベルが揺れて音が鳴る。
その音に、青年は顔を上げた。
「いらっしゃい。初めましてのお客さんだね」
作業を中断して、嬉しそうに声を掛ける。
それは、初めてオルゴールを見せてくれたときと変わらない笑顔だ。
「きれいな音だと思って」
「……店の外まで聞こえた?」
彼はちらと窓を見る。
窓は閉め切られているのだろうか。やや不思議そうな眼差しだ。
正直に、首を横に振った。
「夢中になっているあなたが、気になって」
彼はハテナという顔をする。
これじゃあ、冷やかしも同然だ。
用を済ませてすぐに立ち去ろう。
「あの。これ」
カウンターまで寄って、持っていた小箱を差し出す。
簡単な作りでできたオルゴールだ。中のシリンダーを取り替えることで音を鳴らすことができる、試作用の。
「……修理?」
彼は笑顔ながらも、少し怪訝そうだ。
ああ。だめだ。
言おうとしたこと、シュミレートしてきたつもりだったのに。
いざ目の前にすると、なんにも出てこない。
「あなたの忘れ物。大事にしなくちゃいけないと思って」
せめて何か一言くらいは説明しなくちゃ。
そう思って、これしか出てこなかった。
これじゃ意味わからないよ。変な人だって思われちゃう。
でももうすでに変な人か。グレインは、完全に鳩が豆鉄砲を食らった顔だ。
もういいや。オルゴールを勝手にカウンターに置くと、じゃあ、と身を翻して店を飛び出した。
おぼえてる? とか。
私を思い出してほしい、とか。
名前を呼びたい、とか。
いろいろ考えてたのに。
……なんにもできなかった。
街路を走って駆け抜けて、角を曲がって足を止める。
はあ、と息をついて、壁に寄りかかる。
少し上を向いて、思い出して。
それから下を向いて、ため息を吐き出した。
……終わった……。
もうだめだ。
変な女がやってきたってだけの印象になっちゃった。
息を整えようにも、嫌な考えばかりで切り替えられない。本当はその場にしゃがみ込んで頭を抱えたい。
……でももう、終わりにしよう。
いつまでも考え続けるのはやめよう。
息が整うまで待って、気持ちに整理をつける。
これ以上付きまとったら、迷惑になっちゃう。
ちゃんと伝えられなかったけど、これで幕を下ろそう。
あのとき、彼が作ったオルゴールの曲だ。
もしかしたら忘れてるかもしれないと思った。せっかく彼が考えて作ったのに、記憶には残らずに忘れ去られるなんて、そんなの嫌だった。
だからそれだけだ。
オリジナルのシリンダーじゃなくて、私が真似して作っただけのやつだけど。
それだけ、どうしても届けたかった。
「さて。各地を回らないとね……」
この町だけじゃない。石化の呪いは私の身体から各地に飛び散って、人々を困らせているようだ。
「行こう、チーリィ」
解除する術を持つ私が、一つ一つ回っていかなければ。
「チーリィ?」
チーリィは光の玉として姿を現した。
かと思いきや、ふわふわっと角の向こうまで飛んでいった。
人目に触れるのは嫌うくせに。なんで。
微かに角のほうから足音が聞こえた。
だんだんと、こっちに近づいて来てる、ような――
「――あ! いた!」
曲がり角から現れた。息を切らしたグレインだ。
手にはさっきの試作用オルゴールを持っている。
はっきりと目と目が合った。
なんで――
そう口に出す前に、私はまた走り出した。
「待って! あの!」
なんで。
追いかけてきたの。引き留めるの?
これで終わりにするって決めたのに。
決心したばっかりなのに。
ここには、彼のオルゴールを返しに来ただけ。
「ごめん! 名前わかんない! なんだっけ!」
もしも思い出したんだとしても、オルゴールを欲しがった子供ってだけだろう。
石化世界のことなんておぼえてるはずがない。
足を止めるわけにはいかない。
関わってはだめだ。
私は石の魔女の生まれ変わり。私のせいでグレインもこの町も、石化の被害を受けた。
彼はただ巻き込まれただけの人間だ。
もう迷惑はかけられないから。
足を止めたらだって――
「ええと――石の子!」
「はぁっ!?」
予想してなかった呼び名に、ずざーっと足を止めた。
振り返る。さすがに聞き捨てならない。
「なにその呼び方!? ひどい! 最悪!」
「あ、合ってた……!」
「合ってない! 合ってるけど! やめて!」
つかつかと彼のところへ戻って詰め寄る。
だってそれ、私にとっては、忌み子! と叫ばれたも同然だ。
名前をおぼえてないにしても、もうちょっと別の呼び方ぐらい……!
……あ。足、止めちゃった。
ていうか反応しちゃった。
返事しちゃったら、合ってるって言ってるのと同じだった。
「夢だと思った……。夢じゃなかったんだ」
追いついたグレインは、膝に手を付いて息を整えている。
安堵したような声音だ。顔を上げて、確かめるように私を見る。
さっきまでの怪訝そうな顔とは違う。
……よく知ってる、グレインの眼差しだった。
「お、おぼえ……てるの……?」
「だって、これ」
グレインはオルゴールを示す。
「夢で見たのと同じ曲だよ。目を覚ました直後、なんか良いフレーズだな~と思って、おぼえてる限り急いでメモしたんだけど」
「夢……?」
「そっかー僕が作った曲だったか~。どおりで。……でもなんか足りない、と思ってたんだけど」
合点がいったのか、肩から力が抜けたように笑って、グレインは姿勢を正した。
オルゴールを手に持って、それと私とを見比べるようにしてから、言った。
「そういうことだったんだね。しっくりきたよ。シエラ」
名前……。
思い出したの?
もしかして、本当に?
名前がわかるってことは……だけど。でも。
「なんで……なんで、おぼえてられるの? 思い出せたの? 本当に?」
「え? だって……あの石化がどうとか、複製がどうとかいう話でしょ……?」
「そ、そうだけど。そんなわけない。チーリィから聞いた。人間は、あの空間の出来事をおぼえてられるわけがないって」
「そんなこと言われても」
「忘れてるほうが普通なんだよ。おかしい。そんなはずない。そんなはず……」
「それはよくわかんないけど……」
ムキになって問い詰めたけど、なぜか涙が出そうになって、堪えるために押し黙る。
グレインはうーん、と首を傾げたものの、考えるのをやめたように言った。
「自分の作品褒めてくれた人を、忘れるわけないよ」
自信満々だけど。
でも、名前はすぐには思い出せなかったんだ……。
「……グレイン」
「ん?」
まあ、いいや。
理由はあとで考えることにした。
それに私だって、おぼえてる。
最後のほんの一瞬。なんだか走馬灯みたいな記憶だけど。
自分の手首にそっと触れる。
言おうとしたこと。
言いたかったこと。
伝えたかったことはあるけど。
……ううん。
頭で考えてもだめだ。
「手を……。握手をして」
「うん?」
歩み寄って、手を差し出す。
今の気持ち。
上手く言えなくてもいい。
とにかく伝えたい。今の私の気持ちは――
「いいけど……」
差し出されたグレインの手を握る。
ただの握手だ。
何かを作り出す手。
あったかい手。
繊細だけど、不器用な。
思い浮かぶままに、口にした。
「グレイン。オルゴールを作るあなたが好き。語るあなたの楽しそうな顔が好き。夢中になってるその目が、好き」
こんなことを言えるとは思ってなくて、考えてこなかった。
上手く伝えられてるとは思わない。
でも上手く伝えられなくても。
「これからもたくさん、素敵なものを作ってほしい。それで……」
ぎゅ、と手に力を込める。
躊躇った。
ほんの僅か目を伏せて、やっぱり言おう、と顔を上げた。
だって、私が欲しかったのは――
「いつか、私にもその目を向けてほしい」
……これは、私だけの言葉だ。
私だけが感じたもの。
たとえ一度踏み外してしまったんだとしても。
欲しかった――その気持ちだけは、神様にだって否定させたくないから。
それだけは、私一人にしかない、大切な気持ちだ。
「ありがとう。考えとくよ」
グレインはきっと、私の姿を見てじゃなくて、曲を聴いたから思い出しただけなんだろう。
そんなところも、彼らしい気がする。
自然と、笑みがこぼれた。
「……また来てもいい?」
「もちろん」
「また聴かせて」
「うん」
ちゃんと言えた。
自分の口で、自分の言葉で、表現できた。
もう十分だ。胸のつかえが取れたみたいに、満足して手を離した。
「いつでもまた、足を運んでよ。しがないオルゴール屋だけど。好きだと言ってくれた人は大事にしたいから」
グレインは笑顔を浮かべる。
たぶん、伝えたいこと、ちゃんとは伝わってないんだろうなあ。
いつか。それが叶わなくてもいい。
叶うかどうか、わからないままでもいい。
そうして、グレインと別れた。
「ねえ、チーリィ。神様は、許してくれたと思う?」
歩き出しながら聞く。
ぽう、と光の玉が現れる。チーリィはようやく姿を現した。
「さあね~。そんな単純なものじゃないと思うけど」
「私がすべきことは変わらない、か」
どっちみちだ。やるべきことを頭に思い浮かべる。
「それにしても、あの鈍感ボーヤ。出る芽もなさそうね」
チーリィの吐き捨てるような言い方に、苦笑いする。
べつにそれで構わない。
あのとき欲しいと思ったもの。きっと同じものは得られないだろうけど。
「行こう。チーリィ」
今度こそ、町の外に出る。
「各地を回って、残った石化を解こう。石の魔女として、厄はちゃんと払わないと」
移動のための魔法を使う。
風を起こして、それに乗る。人目につかないよう、迷彩の魔法を使って姿を消す。高く飛び上がった上空から、安全そうな移動先を指定してワープする。
それを繰り返して移動しながら、石化の痕跡を辿っていく。
生まれついたものは変わらない。
だけどやるべきことを果たしながら、この先できっと。
同じものじゃない。同じじゃなくていい。
自分の足で探して、進んで、踏み出して。
自分で手を伸ばして。
これからは、欲しいものは、私自身が見つけるんだ。
※ ※ ※ ※ ※
これはまた後日の話。
各地に出現していた小規模の石化現象は、徐々に解決したとの報告が相次いだ。
人々は、いつの間にか石片が剥がれ落ちて元通りになっていたと口を揃えて言った。
石化の報告が消えた頃には、噂が広まった。
人知れず誕生していた石の魔女は、また人知れず消滅したのではないかと。
今なお伝承の存在として忌み嫌われ、恐れられている。
……そして、その魔女はといえば。
田舎町の小さなオルゴール屋に時折訪れていることは、内緒だ。