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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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97.嵐を呼ぶ女(四)

「それじゃあ……まずは相手の方の話を聞きに行こうかと思うんですけど」

「そうね、まずは会ってみないとよね。えっと、なにか書くものあるかしら?」


 先ほどまでの沈んだ様子が嘘のように、麗花さんはキラキラそわそわと興奮気味に身体をゆらす。

 思わず笑うと彼女は慌てて居住まいを直した。そういうところもなんだか可愛らしい。

 紙と鉛筆を取ってくると、麗華さんは相手の名前と住まいの住所、勤め先の住所を書いてくれた。


「田上アキラ……」

「そう、アキラ。気は強いけど繊細でお人よし。とっても可愛い人なのよ」


 そう言うとずっと手つかずだったお茶に口をつける。


「おいしい。お茶を淹れるのがとてもお上手なのね」

「ありがとうございます」


 美女ににっこり笑いかけられて妙に照れてしまう。

 結託したこともあってか、縁側には打ち解けたゆるやかな空気が流れていた。

 わたしも自分のお茶を持ってくればよかったなと、少しだけ後悔した。


「田上さんは東京ではなく、こちらにお住まいなんですね」


 書いてある住所は同じ県下の都市部。先日行ったデパートからそう遠くない場所だった。

 てっきり麗花さんと同じ東京にいるものかと思ったけど、そうではないらしい。


「ええ。住まいは社員寮だけど、あの人の実家も安房のほうなのよ。私が通っていた大学はこの会社の近くにあってね、時間が合うときは待ち合わせして一緒に映画を観たり食事したりして……あの頃は本当に楽しかったわ」

「大学の……」


 一瞬なにか引っかかったものの、大学という言葉に意識を持っていかれる。

 麗花さんの通っていた大学ということは、泰明さんが通っていた大学でもある。

 ふいに美女の目がキラリと光った。


「倉橋君の大学時代のこと、聞きたい?」

「え……と」


 聞きたい。でも本人のいないところで聞いていいものか。

 思わず口ごもると、彼女はお見通しだと言わんばかりににっこり笑った。

 

「あかりさんもご存じの通り、彼はとっても見目麗しいから女の子たちに大人気でね。学内はもちろん近隣の女学校からもその姿を一目見ようと集まってきてて、それはもうすごかったわ。ちょっと歩けばラブレターやらプレゼントやら持った子たちに囲まれちゃって……あれじゃあ講義中しか気が休まらなかったんじゃないかしら」

「あ、大変だったという話は少しだけ聞きました」


 姫様への告白を聞いたときに、少しだけそんな話を聞かせてくれた。

 勉強や生活に支障が出るくらいと言っていたから相当なものだったのだろう。


「そんな眉目秀麗な倉橋君だけど、本当にいいのは顔じゃなくてその頭ね。彼は入学してから卒業するまで、学年で一番成績が良かったから。いろんな意味で目立ってたわ」

「一番……?」

「ええ。そういうのって結構わかるものなのよ。私もそこそこできるほうだと思ってたけど、ああも異次元な人がいると張りあう気も失せるわね」

「そうでしたか」


 お医者様というだけでもすごいのに、そんな人たちの中でも特にすごい人だったとは。

 わたしの成績は悪くはないけど特別良いというわけでもなかったから、なんだかものすごく遠い存在に感じる。

 知らなかった部分を知ってうれしいはずなのに……なぜかちょっとだけ気持ちがふさぐ。


「そんなだからますます女の子たちがほっとかなくて。それで、私に恋人役のオファーが来たの。私も倉橋君ほどではないけど似たような状況だったから、こちらとしてもすごく助かったわ。さすがに岡部を構内に入れるわけにはいかなかったし」

「麗花さんもすごくお綺麗ですもんね」

「うふふ、どうもありがとう。毛色が違うから珍しがられただけって気もするけど」


 彼女はゆるく波打つ茶褐色の髪をひと房指に巻きつける。


「私の祖母がドイツ人なの。おばあ様のことは大好きだけど……この髪や目の色は嫌いだったわ。今ではとっても気に入っているけどね」


 あの人が好きって言ってくれたから、と麗花さんはとても嬉しそうに笑った。

 大人の女性らしい上品な笑みではなく、幼い少女のような無邪気な笑みに思わず見惚れてしまう。

 同時に、本当に田上さんのことが好きなのだとわかってこっそり胸をなでおろした。

 

「やだごめんなさい、私の話をしてもしょうがないわよね。とにもかくにも、私が隣に立つことで彼に群がろうとする子猫ちゃんたちを牽制していたの。釣り合いも悪くなかったし、仲睦まじい様子を見せつけることでだいぶ波は引いたのだけど」


 麗花さんはなにかを思い出すようにくすくす笑う。


「中には境界線を越えてくる悪い子猫ちゃんもいたけど、そこは私がしっかりわからせてあげたわ。だから彼はとーっても潔白。なにも心配することはないから安心してね」

「はぁ。そうですか」

「あら。なんだか気の抜けたお返事。どうかなさって?」

「いえ……仲睦まじい様子を想像したら……なんだかすごいなぁって思って」


 ものすごい美男美女が並んでいるだけでも圧倒されるのに、さらに仲睦まじく笑いあったり語りあっているところを想像すると――もはや嫉妬する気にもなれない。

 一幅の絵画のように飾っておきたいとすら思える。

 麗花さんはわたしを見ながら眉をひそめた。


「あかりさん。私と倉橋君にはちゃんと別に好きな人がいるし、仲が良いふりはしたけど実際にはそれほどでもないのよ?」

「そう、ですか? でもさっきの気兼ねなくお話ししている姿とか、とても楽しげに見えましたけど」

「そうねぇ……私たちは悪い意味で気を遣わない間柄っていうのかしら。そういう意味では仲が良いかもしれないけど、決して交わることはないのよ」

「水と油ということですか?」


 わたしの問いかけに美女は艶やかに笑った。


「それでいくと私も倉橋君も油のほうね。ベタベタどろどろまっ黒な感じの」

「……とても親和性がありますね」

「つまり言いたいのはね、似た者同士ではあるかもしれないけど私も倉橋君も磁石でいうならS極だから、惹かれることはないってこと。ごく僅かにあるM極は特定の人のS極としかくっつかないし」

「N極ですよね?」


 思わず言うと、彼女は謎めいた笑みを浮かべてわたしの頭を抱き寄せた。

 いきなりの行動に固まっていると困ったような声が落ちてくる。


「ねぇハニー、どうか落ち込まないでちょうだい。彼は他の女性なんて眼中にないし、なにも引け目に感じることはないわ。大丈夫だからもっと自分に自信を持って」


 麗花さんに言われてはじめて自分が落ち込んでいることに気づく。

 いけない。わたしに落ち込む権利なんてないのに。


 それに早く麗花さんの誤解を解かなきゃいけない。泰明さんが好きなのは加加姫様――というのを村の外の人にどう説明すればいいんだろう。

 彼が好きなのは田の神山の神でありご先祖様でもあるものすごい美少女の姫君で……ダメだ、言えば言うほど白い目で見られそうな気がする。

 

「あ。ところでアキラとはいつ会ってくださるのかしら?」


 話題が変わってしまった……。

 訂正できないままでいるのを後ろめたく思いつつ、急いで気持ちを切り替える。

 そっと身じろぎすると麗花さんが抱き込んでいた頭を離してくれた。


「すみません、できるだけ早くとは思うんですけど……行くのは来週以降になるかもしれません」


 彼女の目を見つめながらそう言うと、麗花さんは驚いたように瞬きした。


「来週以降?」

「あの、わたしも今すぐにでも田上さんに会いたいと思っています。でも少し事情がありまして」


 姫様のおこもり中に村を出たことは一度もない。

 外へ出ることを禁止されているわけではないのだけど、姫様と九摩留がいないうえに屋敷の責任者である倉橋様も奥様を伴って出張中。次期当主の泰名さんもこれまた出張で、ご隠居様夫妻も温泉旅行に出られていた。


 上の方々が不在の今、村を出ることに抵抗がある。

 泰明さんから姫様のおこもり中にデパートに行こうと誘われていたけど、それも別日でお願いしたくらいだった。


「どうしましょう……困ったわ……」


 麗花さんの顔が見る見る青ざめていく。ただごとじゃない様子にわたしも焦る。


「ど、どうかしました?」

「倉橋君とのお見合いの日が早まるかもしれないの」

「え!?」


 思わず大きな声を出すと、麗花さんは打ちひしがれたようにうなだれた。


「だって私、アキラのことはあきらめかけてたから……だからこの縁談で身を固めようと思っていたの。その覚悟はまわりにも伝わっていたみたいで、お父様に日取りを早めるかって聞かれて……」

「そんな……」


 愕然とつぶやくと、麗花さんがすっと無表情になった。

 表情を喪った彼女は虚ろに唇を動かす。


「やっぱりもう、覚悟を決めるしかないのかしら。あの愛に満ちた思い出だけを胸に、冷たい暗闇の中で眠るように一生を過ごさなければならないのかしら」

「た……例えばなんですけど、一旦お見合いを断るっていうのは……?」

「それは……ごめんなさい。アキラの気持ちを確かめられない以上、倉橋君を切ることはできないの」


 静かだけど断固たる言い方に焦りがつのる。

 どうしよう。このままじゃ振り出しに戻ってしまう。


「あぁ、さようならアキラ……私の愛しい人。新緑を揺らす薫風にあの人を想い、海風にたゆたう波の光にあの人の瞳を重ねて生きていくわ……いいえ、もう生きていくなんて言えない。私は生きる屍、空っぽのお人形……」

「そんな、待って、でも」

「あなたとお話ができてよかったわ。どうかあかりさんだけは、私を憐れんでちょうだいね」


 もはやなにもかもあきらめたような表情の麗花さんが立ち上がる。

 それにあわせて縁側の端で気配を消していた岡部さんも立ち上がった。

 どうしよう。ここで帰られたらアキラさんどころか麗花さんと話す機会もなくなるかもしれない。


「私、そろそろ帰らなきゃ……。長居しちゃってごめんなさい。それじゃあ――」

「待ってください!」


 思わずわたしも立ち上がる。

 美女はこちらを無感動に見つめた。


「今週……今週必ず田上さんに会いに行ってきます。だからどうか早まらないでください」

「まぁ……本当? 明日会いに行ってくださるの?」

「っ、い、行ってきます!」


 明日という言葉に一瞬ひるむも大きくうなずく。

 どうせ今週行くなら明日だろうと数日後だろうと同じこと。それなら少しでも早いほうがいい。


 姫様のおこもり中に村の外へ出ることは、別に禁止事項じゃない。

 あとで姫様や倉橋様に怒られるかもしれないけど、それはもうしょうがない。次回から気をつけるしかない。

 今はただ麗花さんとアキラさん――そして泰明さんと姫様のためにあがくしかないのだ。


 麗花さんが顔をくしゃりとゆがめる。すがるように抱きついてきた彼女にわたしも腕を回した。

 震える背中をなでていると、離れたところでため息のようなものが聞こえた。


 そちらに目をやると岡部さんがそっぽを向く。

 ふと、つい先ほどと同じような状況になっていることに気づいた。


「ありがとうあかりさん。あなただけが頼りなの。どうか私を、私たちを助けてちょうだいね」


 涙に濡れた声に返事する代わりに、わたしはその背中をそっとなでた。


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