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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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93.小春日和と冷や水

「なー! この盥狭すぎて浸かれねぇんだけどー!」

「やっぱりだめだったか……」


 勝手口から聞こえてくる九摩留の文句に思わずつぶやく。

 小春日和の薪割りで、姫様との追いかけっこですっかり汗だくになった九摩留は外流しで行水をするところだった。


 行水には屋敷で一番大きい盥である洗濯盥を用意してみたものの、彼は背が高いし横にもがっしりしているしで、入れるかどうかあやしいところではあった。


跪座きざでもダメなの?」


 勝手口に近寄って、顔は出さずに声をかける。


「キザってなんだ?」

「えーと、つま先を立てた状態の正座のこと。それならどう?」


 跪座なら正座よりちょっとだけ座る面積が小さくなる。

 パチャパチャと水音がしたあと、残念そうな声が返ってきた。


「駄目だな。盥にはまって抜けなくなりそうだ」

「そっか。それじゃあ立ったままやるしかないね。それか、流し場にしゃがんでかけ湯みたいにするか」

「んー、じゃあかけ湯だな。湯じゃねえけど」

「ふふ、水浴びになっちゃうね。あがったらおやつにするから、早くさっぱりしちゃいなさい」


 そう言い残してお勝手に戻ると玄関から加加姫様がやってきた。

 わたしのそばに来ると、こちらの手元をのぞき込んで赤い眼を輝かせる。


「今日のおやつは白玉かの。もしや冷や水?」

「ええ。でもただの冷や水じゃないですよ? 砂糖じゃなくて梅シロップを使いますから」


 冷や水は、夏の江戸でよく売られていたという白玉入りの甘い水。

 今日の九摩留には小夏日和のようだからひと足ふた足早く季節を先取りしようと思う。


「梅シロップとな……ふーむ」


 姫様はたすきがけをしながら勝手口を出ていく。外流しで手を洗っているようだった。

 今そこには全裸の九摩留がいるのだけど、彼女はまったく気にしないらしい。九摩留も特になんとも思わないのか、いつも通りの声でなにか話しかけているようだった。


 こね終わった白玉を一本のひも状に伸ばして板間に置いたバットにちぎって並べていく。

 戻ってきた姫様はわたしがちぎった白玉を手のひらで丸めていってくれた。


「なぁあかりよ、梅シロップは九摩留専用であろ? わしらは梅酒仕立てでいこうではないか。九摩留のものをわしらが取ってしまってはあれもかわいそうであるし」

「んー……。しょうがないですねぇ、それじゃあ姫様だけ特別ですよ」


 昼呑みはダメと思いつつ、梅酒を冷たい井戸水で割って白玉と一緒にいただいたら――想像しただけで頬がゆるんでしまう。

 でもわたしはまだ仕事があるからご相伴にはあずかれない。


 梅シロップはもともとわたしが成人するまで毎年ひと瓶だけ作られていた。わたしがお酒を飲めるようになったこともあって、今それを飲んでいるのは九摩留だけ。

 弟のものを姉が奪うのはよくないけど、ちょっとだけ分けてもらおう。


「あーさっぱりしたー」


 二人でお喋りしながら白玉団子をこしらえていると、勝手口からちゃんと作務衣を着た男が入ってきた。ようやく目のやり場に困ることもなくなってほっとする。

 さっきまでの変な空気もなくなって内心ものすごく安堵した。


「お、今日は白玉?」

「そうよー。でもいつもとは違うちょっと特別な白玉なの。ねー姫様?」

「暑気払いに梅の香と酸いを合わせた夏の甘味よ。ま、今は二月であるがの」


 白玉団子をコンロで沸かした鍋に投入し、すべて浮いてくるまでの間にガラスの器を用意する。九摩留にはお勝手の床下から梅酒と梅シロップの瓶を出してもらった。


「……姫様?」

「これはあれだ、天使の分け前とかなんとかだ」


 梅酒の瓶は、前見た時より中身がだいぶ減っていた。

 苦笑しつつ柄の細長い小さな銀の杓子で中身をすくいガラスの器に注ぐ。そろそろ白玉がいい頃かな、と振り返るとすでに九摩留が鍋を持って台所の流しに移動していた。

 笊に中身をあけるところを見ながら、わたしはボウルに井戸水を汲んでくる。


「はい」

「ん」


 なにも言わなくても九摩留は茹であがった白玉団子をボウルに静かに入れて軽く手でかき混ぜる。

 白玉団子の作り方は教えていないのに……。慣れた手つきの男を見てちょっと首をかしげていると、彼は小さく笑った。


「葉月の店でもデザートで白玉使ったやつを出すときがあるからな。これなら作り方知ってんだ」

「白玉を使ったデザート? どんなやつ?」

「白玉クリーム善哉ぜんざいとか」

「え、そんなのもお店で出してるの!?」


 葉月ちゃんの喫茶店は隔週でメニューが変わる。

 わたしの場合、お店に行くのは月一度の姫様のおこもりのときということもあって食べ逃している料理、デザートも多かった。


 屋敷のおやつで作るという手もあるけど、ホイップクリーム作りはまだ挑戦したことがない。

 あれはデパートや洋菓子店で出てくるもの、という印象があってなんとなく手を出せないでいた。


「……今度作ってやろうか?」

「いいの!? 姫様、九摩留が白玉クリーム善哉を作ってくれるそうですよ!」

「クカカ、聞こえとる聞こえとる。しかしあの落ち着きない狐が菓子まで作れるようになるとはのう。葉月は大したものだ」

「本当ですねぇ。葉月ちゃん様さまですね」

「おい。なんで俺じゃなくて葉月を褒めんだよ」


 むすっとする男に、わたしと姫様は思わず笑う。

 そうこうしているうちに冷えた白玉を器によそり、新しく汲んだ冷たい井戸水をかけた。縁側に場所を移してさっそくみんなでおやつをいただく。


「んふふ、見た目が涼やかだのう。それに味も爽やかである。庭には爛漫の梅の香、舌には酸い梅の甘露。まことによいな」

「うめー。こういう白玉もうめぇもんだな」


 二人のよろこぶ様子を見てから、わたしも白玉を口に入れる。

 梅シロップの甘酸っぱい風味につるつるもちもち食感の白玉団子がなんともたまらない。ごくりと飲み込めばひんやりした塊が喉を通ってお腹に落ちていくのがわかる。


 天気がよくて暖かで、縁側で三人のんびりとおやつを楽しんで。ただそれだけで歓びが全身に満ちていく。

 梅酒を飲んでいないはずなのに、なんだかほろ酔いのようにふわふわと心地がいい。


「ここからの景色も変わんねぇな。おババは余計だけど、でもこのままずっと俺たち三人ってのも悪かねぇかもな」

「おババって……ちゃんと姫様って言いなさい」

「へいへい」


 ようやく姫様をお姫と言うようになったのにまた失礼な呼び方を生み出している。困った子だ。

 姫様はなにも言わないものの、眉をひそめて男を見つめていた。


「なーあかりー」

「んー?」


 早々におやつを食べてしまったらしい九摩留が、姫様の向こうであぐらのまま後ろに倒れる。

 こちらを向いた顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。


「またデーゼル乗ろうぜー」

「ん……んー」

「デパートの上のやつ、乗せてくれるんだろ?」

「そう……ねぇ」

「映画館にも行ってみてぇな。学校でやるのとは違うんだろ?」


 学校でやる映画とは、夏休みに小学校でやる映画会のことだろう。

 校庭に大きな丸太を立てて巨大な白幕を張り、そこに映画を映すのだ。前に九摩留を誘っても来なかったのに、こっそりどこかから観ていたらしい。


「そうね。映画も……そのうちね」


 わたしもしばらく映画を観ていない。

 養父母が亡くなる前は、月に一度は友達と町で映画を観て、喫茶店で洋食とデザートを楽しみながら感想会をして、というのが定番の過ごし方だった。


 いろいろなものに興味を持ちはじめたこの子に、たくさんの面白いもの珍しいものを見せてあげたい。経験させてあげたい。

 少し前だったら映画なんて気軽に誘えたのに、変に期待を持たせたらと思うとそれができない。

 それに、なるべく二人きりになるのは避けたほうがいいだろうし。


 さっき助けられたときの九摩留の手の強さや眼差しを思い出して、また変な胸のざわつきがはじまる。

 でも、九摩留にはたくさん楽しいことを教えてあげたい。どうすれば――。


「あ、そうだ。葉月ちゃんも誘って行きましょうよ」

「葉月ぃ? なんで?」

「だって九摩留、葉月ちゃんと仲いいでしょ? うん、そうよ。そうしましょ」


 そうだ。なにも二人で行く必要はない。

 葉月ちゃんなら九摩留も懐いているし、試しに誘ってみよう。と思ったところで姫様がどこか気づかわしげに口を開いた。


「あかり。葉月と三人で行くのはおやめ」

「え」

「危険すぎる。葉月を入れるなら泰明も入れることだ」


 少女の言った意味はわからないけど、じゃあ泰明さんも――と言おうとしたところで男の苛立った声があがる。


「はぁ? あかりと出かけんのにアイツが来るとか冗談じゃねえ。俺は絶対嫌だぞ」


 顔をしかめる九摩留にため息が出た。

 わたしたちの主人になるかもしれないのだから、できれば泰明さんにも懐いてほしいのだけど。


「わかったわ……とりあえず映画はまた今度、そのうちね」

「そのうちっていつだよ」

「そのうちはそのうちよ」

「ちぇ。じゃあ出かけるのはいいからよ。たまには化粧してみせろよ」

「お出かけのとき以外はしません」


 巫女装束できっちりお化粧をしたらとってもちぐはぐな感じになってしまう。


「はー。あれはダメこれもダメ。俺ってかわいそー」

「だ、別にダメとは言ってないでしょ? いろいろ忙しいんだから、お出かけはまたねって意味よ」

「これが葉月だったらあちこち連れてってくれるんだろうなぁ。あーぁ、この世でたった二人きりの姉弟なのになぁ。どこにも連れてってくれないなんてひでー姉がいたもんだなぁ」

「ぐっ」


 うっかり白玉が詰まりそうになる。

 こういうときだけ姉という言葉を持ち出さないでほしい。良心がごそっとえぐられる。


「もう……ちゃんと連れていくってば。すぐにじゃないけど、ほら、約束」


 姫様の前に小指を立てた手を伸ばすと、九摩留はしてやったりという笑みを浮かべた。

 やれやれとつぶやく少女の前で小指同士を絡めれば、ようやく男は機嫌が直ったように大きく笑った。


「やっぱあかりってチョロいよな」

「チョロ……わたしはチョロくなんてありませーん。責任感が強いだけですー」

「責任感か。ま、それでも構わないぜ」


 ふいに彼は声を落とした。


「前が駄目でも……今度は絶対――」

「九摩留。ほれ」


 姫様が自分の白玉をスプーンに載せて男の顔の前に差し出す。

 九摩留はすぐにバクッと食らいつき――へにゃっと弛緩した顔で笑う。そのままうしろに音を立てて倒れた。

 少女は胸元から懐紙を出し、スプーンをぬぐって何食わぬ顔でまたおやつを口に運ぶ。


 姫様のおやつには梅酒を使ってある。

 本当にこの子はお酒に弱いなぁ、と思ったところで少女の赤い眼がじっと男を見つめていることに気づいた。


「姫様どうかしましたか?」

「いや。こいつはつくづく酒に弱いと思っただけよ」

「それ、わたしもちょうど思ってました」


 笑いながら白玉を口に運ぶ。

 姫様はわたしをちらりと見て、それからガラスの器に唇をつけると白い喉をさらした。

来週の更新はお休みさせていただきます。

つまり年内の更新は今回まで。

次の更新は2025年1月1日です!


今年1年、小説をお読みいただきありがとうございました。

こういう場で小説を公開するのがはじめてで、しかも1本の作品として書きあがっていない状態で1話ごとに公開していく恐怖とスリルはありましたが、なんやかんや楽しく書き続けることができました。


いいねやブックマーク、Twitter(X)のフォローなどしてくださった方、ありがとうございます!いつも励みになってます!

来年も週一ペースで更新していきたいと思いますので、引き続きお読みいただければ嬉しいです。


それではよいお年を!

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