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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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85.事八日と針供養(前)

 二月八日は事八日ことようかの日。

 この日は事始めや事納めとも呼ばれていて、この『事』をお正月と捉えるか農作業と捉えるかで呼び方が変わってくる。どちらで捉えるかは地域によって違いがあるらしい。


 二月八日を事始めと言う場合は農作業の始まり、事納めと言う場合はお正月のすべての行事を納めるということになる。

 二月八日と対をなすのが十二月八日で、二月八日を事始めと言う場合は十二月八日を事納めと言う。その逆も然りだ。


「よいしょ、と」


 手にした竹竿をぐっと立てると九摩留が庭に打ち込んでくれた杭に縄でしっかりくくりつける。

 軒先よりも高い竿の先には目籠を被せてあった。


 事八日には目一つ小僧という悪さをするものがやってくるらしい。だから目籠を出しておくことで、その目の多さで驚かせて退散させるのだ。

 他にもこの日はお風呂に入らない、履物を家の外に出さない、野良仕事はしないといった物忌みもすることになっている。


 つまりみんなで家の中で静かに過ごしましょうということだけど、逆に加加姫様は田の神山の神としてのお仕事があるため朝から出かけていた。

 姫様がお仕事をするとなれば九摩留も葉月ちゃんのお店に行くわけで、屋敷にはわたしひとりきり。

 チチチと鳴きながら空を渡る鳥を眺めて、静かだなぁとぼんやり思った。


「姫様、今頃がんばってるんだろうな……」


 姫様の事八日は人間と違ってとても忙しい。

 なんでも山の木を全部数えたり春の芽吹きに向けた確認や調整、それにあちこちを訪問する用まであるのだとか。


 怒涛の一日になるので彼女はお正月ぶりにわたしと同じ時間に起きて、祭礼前の禊――もとい気合いの水浴びを大騒ぎしながら行っていた。

 寒いのが大の苦手なのに極寒の水浴びはかわいそうだけど、これもお仕事なので仕方がないことではある。


 なので今夜は姫様の大仕事をねぎらうために、御用聞きさんには以前からオスの鱈とカワハギをお願いしていた。

 無事に今朝注文の品が届いたので、これで姫様の大好物である鱈の白子ポン酢とカワハギの肝和えを肴に出せる。せっかくなのでお酒は特別に一升まで飲んでいいことにしよう。


「わたしも一緒に飲みたいけど……明日は朝から出かけなきゃだしなぁ」


 明日は日曜日。本当なら今夜はみんなで酒宴といきたいところだけど、あいにく神事を控えている。

 世話役としての参加はないけど、女手のひとつとしてそのあとの直会の準備を手伝うことになっていた。


「お酒……一合くらいならいいかなぁ。でもそのままずるずる飲んじゃいそうだし、だったら一滴も飲まないほうがいい……いやでもなぁー」


 誰もいないとつい独り言が多くなる。

 そして考えているのがお酒のことだから、わたしもすっかり飲兵衛らしくなってきた。


 これじゃいけないと頭を振って、今夜の献立を考える。

 鱈の切り身は野菜と一緒に、泰明さんからもらった奉書紙で包んで蒸し焼きにしよう。それから豆腐やコンニャク、大根にゴボウ、里芋と小豆も入れた事八日恒例の六質汁も作って。酒肴二品にお漬物一品も加わるから品数や量はそれで問題ないはず。

 姫様が戻る時間や料理の時間、手順をざっと頭で確認して、わたしはよしとうなずいた。


「さて。お次は針供養と」


 今度は屋敷に入って台所に準備しておいたお皿を取りあげる。そこにはすでに一丁のお豆腐が載っていた。

 居間の箪笥からたくさんの針が入ったビンも取り出して縁側へと向かう。


 これからするのは針供養で、わたしにはこの行事のほうが大事だったりする。

 針供養は一年間の使い古した針を供養するもので、洋裁仕事をするようになってからはさらに特別な行事になっていた。


 明るい縁側に置いた座布団に正座すると、ビンから一本を取りあげて、ありがとうございましたと心の中でお礼を言いながら豆腐に刺す。

 針は折れ曲がったものもあれば錆びていたり、縫い針だったりマチ針だったりと様々だ。


 針はずっと固い布地を相手にするので、豆腐やコンニャクといった柔らかいものに刺して感謝といたわりをする。

 縫い針は針穴がひとつだから目一つを鎮める意味もあるのかもしれない。


 今日は針仕事はお休み。掃除洗濯もお休み。土曜日ではあるけど、お茶のお渡しもお休みだった。

 屋敷にはわたしひとりきりで、なんとなく肩の力が抜けてしまう。

 気が緩んでいるのか、あくびも何度もしてしまう。


「んー……」


 ちまちまと瓶の中身の半分を刺し終えて、豆腐を脇に置いてぐっと背伸びした。


「まだまだあるなぁ」


 ジャッジャ、と音を鳴らして瓶の中身を振ると後ろの柱時計を振り返る。

 時刻はまだ十時前。


「……ちょっとだけならいいよね」


 このままぼんやりしながら針供養するのも失礼かもしれない。少し寝て意識をシャキッとさせたらまた再開しよう。

 どうせ誰もいないし人も来ないだろうし、たまにはこんなときがあってもいいはず。


 さっそく豆腐と瓶を脇にのけて、着ていた黒い羽織も畳んでおく。敷いていた座布団は半分に折って枕にする。

 そうして温まってきた縁側にゴロリと行儀悪く寝転がれば、なんともいえない解放感でいっぱいになった。のどかな幸せに自然と頬がゆるむ。

 午後は久しぶりにゆっくり小説でも読もう……ぼんやりそう思いながら、わたしは目蓋をおろした。




「う……ん?」


 全身が溶けるような心地良さからふっと意識が浮上して、すぐに違和感を覚えた。


「あ、起きた? おはようあかり」

「うわ!?」


 予期せぬ声にビクッと身体が跳ねる。

 こちらを見下ろす泰明さんの顔がにゅっと現れて、反射的に身体を起こした。

 ゴッという鈍い音がして一瞬頭がくらりとする。


「~~~~~~~~っ」

「いてて……」

「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」


 おでこ同士がぶつかったらしい。

 額を押さえる青年の顔をのぞきこむと、彼は照れたように笑った。


「ん、大丈夫だよ。こっちこそ驚かせて……それに勝手にあがりこんじゃっててごめんね」

「い、いえ、泰明さんだったら全然構わないんですけど――」


 自分の口走ったことにハッとする。

 まだ頭が寝ているのか、なかなかとんでもないことを言ったような。

 こっそり青年の顔をうかがうと、彼は気づいていないのかにこにこと笑ったままだった。


「えっと、今何時ですか? というかいつからいらして……」

「来たのはついさっきだよ。今は昼の一時前」

「うそ……」


 つまり三時間もぐーすか寝ていたことになる。

 愕然としているわたしをよそに、泰明さんは風呂敷包みを二人の間に置いた。


「もしかしてお昼ご飯まだだった? 実はお竹さんが手土産にって、お煮しめを持たせてくれたんだ。よかったら食べて」

「わぁ、ありがとうございます!」


 一人きりだしお昼はお茶漬けでいいやと思っていたので、こんなに嬉しいことはない。

 そこではたと気づく。まだ青年の用件を聞いていなかった。

 倉橋医院は土曜日の午後が休診になっているけど、普段であれば彼が来るのは夕食時。

 いつもより来るのがだいぶ早い。


「ところで泰明さん、なにかご用があったんですよね? 姫様はあいにく留守でして――」

「うん、知ってるよ」


 わたしの言葉をやんわりとさえぎって、青年はにこやかに笑う。


「今日は事八日だから姫様が遅くまでいないでしょ? 九摩留もいないだろうし、あかり一人きりで暇してるかなーって思って。僕も暇だったし、だからその……来ちゃった。もし迷惑じゃなかったら一緒にいてもいいかな?」


 泰明さんの言葉に即座に何度もうなずく。途端、彼のまわりがパッと明るくなった気がした。

 わたしは迷惑でもなんでもないし、昼から会えるなんてむしろ幸運でしかない。

 それに、暇なときにわたしを思い出してくれたことがすごく嬉しい。


「あ、でも僕のことはお構いなくね。もちろん構ってくれたらすっごく嬉しいんだけど、ほら、あかりは本が好きでしょ? もし本を読みたかったらそっちを優先してね。僕も一応持ってきてるから」


 風呂敷包みはお重箱以外にもあったようで、泰明さんの向こう側から別の風呂敷包みが出てくる。

 その用意のよさに思わず笑ってしまった。


「お気遣いありがとうございます。それじゃあわたしはこれからお昼をいただくので、そのあとで一緒に読書……」


 言いながら、脇にどけていた針山のごとき豆腐が目に入る。


「の前に、針供養をしませんか? それが終わったら本とか……花札とかトランプもありますから、いろいろ遊びましょうか」

「いいね、全部やろう」


 普段の自由時間の過ごし方を提案すると泰明さんがうなずいてくれる。一緒に遊ぶ相手が姫様や九摩留じゃないというだけでなんだかとても新鮮だ。

 ふいに青年の目が豆腐に移動して悪戯っぽく輝く。


「一緒に針供養ができるのはありがたいな。さすがに医院で使った針は豆腐に刺すわけにもいかなくてさ。日ごろの感謝をここで示させてもらうよ」

「人の身体に使った針となると、ちょっと供養が難しそうですよね」


 お喋りしつつ一緒にお勝手に移動して手早く昼食の準備をする。

 泰明さんはもう食事をすませてきたとのことで、用意したのはあんこ玉と塩せんべい。せっかくなので縁側で、二人並んで庭を眺めながら食べることにした。


「医院で針を使うことは多いんですか?」


 甘辛の蓮根や人参でごはんをいただきながら引き続き針仕事の話をする。泰明さんも塩せんべいをパリパリ食べながらうなずいた。


「うん。毎日ではないけど二、三日に一度は縫合してるかな。普段の生活の中でも手とか足とか、頭なんかもざっくりやる人は結構いるし。山で仕事をする人だと結構大きい怪我をこしらえて担ぎ込まれたりもして」

「そうなんですね」


 姫様は里山守護を担っているから大きな疫病は防いでくれる。ただしそこに暮らす者たちの怪我や病気を完全に防いでくれるわけではない。

 そもそも神様には人間と同じように得手不得手があって、それに応じた役割分担をしているという。


 姫様は農作物の豊穣だけでなく山の幸川の幸ももたらす神様だ。山を荒らしたり川を濁らせる不届き者にはひどい怪我や大きな病気をもたらす神様でもある。

 人間にだけ都合のいい存在ではない、厳格な山の神なのだ。

 もしも不注意での怪我を姫様のせいにされていたら、ちょっとやだなと思う。


「人を縫う針や糸って裁縫のものと同じですか?」

「んー、針は変わった形が多いかも。三日月の形だったり先のほうだけちょっと曲がってたり。先端が三角形なのもあるよ。糸は基本的に絹糸だね」

「へぇえ、そうなんですね。どう使い分けてるんですか?」

「なにを縫うか、どういう目的で縫うかで変わるんだけど、例えば――」


 お互い縫うものは違うけど、使う道具が似通っているせいか彼の話はとても興味深い。

 それから縫い方の話になって、食事が終わったあとも一緒に針供養をしながら話に花が咲く。


「針仕事といえば、お母さんはいつも頭のお団子に針を通して髪油をつけてました」


 豆腐に針を刺しつつ、ふと思い出したことを口にする。


「針の滑りをよくするため?」

「ええ。わたしは髪油をつけないので、縫いにくいと感じたら石鹸に軽くこすりつけるんですけどね。あの仕草が懐かしいです」

「僕もここで暮らしてた時はよく見たっけ。他にも反物を裁つときにおまじないをしてたよね?」

「それ、わたしもやってます」


 裁ちばさみを胸に当てて、針や裁縫の神様である淡島明神様に裁ちそこないをしないよう三回お願いをする。

 そうすると失敗しないというおまじないだ。


「他にも針仕事の前には必ず使う針を数えておいて、最後に数えなおしたり……。どこかに落としていたり着物に刺し残していたら大変なことになりますから」

「それ、手術のときにも必ずやるよ」

「一緒ですね」


 これまで知らなかった共通点がいろいろ見つかっていく。ささやかな喜びに満たされて全身がふわふわと軽い。

 何気ない会話なのに、他の人と話しているときには感じない胸の震えがくすぐったい。


「プロにこんなことを言うのは失礼かもしれないけど、あかりは裁縫がうまいよね。この前作った長着、九摩留に着せるときによくよく見させてもらったんだけど……縫い目が綺麗で整ってて、それでいて縫うのは早かったし。小さい頃からたくさん針仕事してきたんだね」

「いえいえ、わたしなんてとてもそんな……」

「ううん、本当にすごいと思う。真っ直ぐな人柄が縫い目にも現れてた」


 大真面目に褒められて、なんだかお尻のあたりがムズムズしてくる。


「お、大袈裟ですって。……でも、お母さんのおかげで今があるというか、なんとかやっていけてるとは思います。これからも頑張らないとですね」

「僕もあかりみたいになれるように、これからは淡島明神様にお祈りしようかな」

「ふふ。きっとご利益ありますよ」


 二人がかりでお喋りしながらだと本当にあっという間だった。

 すべての針を刺し終えた豆腐はなかなかの見た目をしている。


「このあとはどうするの?」

「庭の隅に針供養の場所があるので、そこに行って埋めましょう」


 泰明さんには豆腐とともに玄関で待っててもらい、わたしは納屋で大きなスコップを手に入れる。

 そうして外に出ようとしたところで――。


「わっ」

「!?」


 戸の脇からいきなり肩を叩かれた。

 思わず飛び上がると青年はわたしの手からスコップを奪って逃げてしまう。


「もー驚かさないでください! びっくりしました」

「あははっ、やったね」


 さっきまでの穏やかで優しい雰囲気から一転、小さないたずらっ子のように無邪気に喜ぶ姿が可愛い。

 心をぎゅうっとわし摑みされてしまう。


「それじゃ、行こっか」


 なんだか泰明さんの顔を見れなくて、わたしは顔を伏せてこくこくうなずいた。

 針供養の場所は洗濯物の干場や薪割り場とは反対の場所、西側の屋敷横手にあった。

 目印は碑のかわりとなっている細長い大きめの石。泰明さんがその周辺の手頃な場所を深く掘ってくれて、針を刺したままの豆腐を埋める。

 二人で手を合わせて感謝を祈れば、無事針供養は終了だ。


「針供養は針をいたわって感謝するものですけど、裁縫の上達を祈願するものでもあるそうです。これで泰明さんの腕もさらに上がっちゃいますね」

「それはありがたいな。もしかしたら、そのうち大きな手術をするかもしれないし」

「そうなんですか?」

「ん……まだどうなるかわからないけど。あ、これは誰にも内緒ね? 患者さん本人も知らないことだから」


 青年は唇に人差し指を当てて、うっすらとほほえむ。

 一瞬悪寒がしてぶるっと身体が震えた。縁側が暖かかった分、外の寒さに体がびっくりしたのかもしれない。


「わかりました。患者さん、あまり大事にならないといいですね」

「うん。本当にね」


 にっこりと笑った泰明さんは、もう一度針を埋めた場所に向かって手を合わせた。


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