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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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82.叔父のアドバイス

「ただいま~。今帰ったよ~澄ちゃ~ん」


 居間の襖がさっと開き、和装の叔父がマフラーを取りながら部屋に入ってくる――と思いきや、炬燵で茶を飲む泰明を両手で指さした。


「ヘイ、そこのファッキン間男野郎! 俺の澄子になにしてやがる!」

「この結びと色の組み合わせはどうでしょうか」

「んー。こっちの色もあかりちゃんに似合いそう」

「なんだよ無視するなよ二人ともぉ! かまってよ~澄ちゃ~ん」


 たった一歩で澄子の横にくると、泰時はその背中にしがみつく。

 まるで子どもが母親の背中にじゃれつくようだが、大の大人――それも高身長の男がそれをやると小柄な澄子が一瞬で見えなくなる。 


「わっ酒くさ! 酔っ払いはあっちいって!」

「ヘッヘッヘッ。木下の野郎、卑怯だよなぁ。連戦連敗だからって俺を酔わせて勝とうとしたんだぜ? わざわざ三升も用意してくれちゃってさぁ」


 会話が成立していない夫婦を見ながら青年はほうじ茶をすする。

 酒を酌み交わしながら将棋を指したらしい叔父は、いい感じに酔っているのか赤ら顔をしていた。


「たくさんタダ酒を飲めてよかったですね」

「ケッケッケッ。もう最高よ。そんでボコボコにされてんだから世話ねぇや」

「あなた。重い。どいて」

「泰明見てみて~トーテムポーぐっ……!」


 泰時が澄子の頭に顎を乗せて、下から思いきり頭突きされていた。

 よろめく夫の下から這いだした澄子は、そのまま部屋を出て行ってしまう。


「いちち……。んで、二人でなに話してたんだ?」

「なんてことない世間話ですよ」

「ふ~ん。これのどれをあかりちゃんにあげようかって?」


 顎の下をさすりながら炬燵に入った叔父は天板にのった大量の飾り紐をひとつ手に取る。

 喋っている間も手は動かしていたので、今や様々な結びと色の組み合わせができていた。


 こちらがなにを話していたのか彼にはお見通しなのだろう。

 飾り結びの輪っか部分を人差し指でくるくる回しながら、ふっと優しい笑みを浮かべた。


「俺も澄子を捕まえるのに苦労したもんだよ。もー鰻かよってくらい掴んだと思ったらぬるんっ、掴み直してもつるんって。これがまぁ逃げる逃げる、振られる振られる。ほんと落とすの大変だったわ」

「はぁ……よく心が折れなかったですね」

「だって俺、蛇っ子だもーん。しつこさにゃあ自信があるぜ」


 泰時は胸を張ってむふーっと鼻息を出す。

 村ではその特徴のせいであまり女性人気がない蛇っ子だが、澄子には逆に吉と出たらしい。……出たと思いたい。


 叔父は妻が出ていった襖をちらっと見てから頬杖をつく。

 その顔にこれまでのふざけた笑みはない。


「あいつさ、小さい頃からだいぶ苦労してきたみたいなんだ。それに俺のことでも結構迷惑かけたし。そりゃあどうしたって慎重になるよな」

「……そうでしたか」


 彼女から受けたアドバイスには実感と説得力があった。

 もしやと思ったが、やはり叔母の経験に基づくものだったらしい。


 澄子はこの村出身ではない。

 育った環境が少し複雑だったとは聞いている。

 でもそれ以上のことは誰も知らないし、泰明も聞き出すつもりはない。

 それは本人が話したいと思える人にだけ話せばいいことだ。


「でも俺に追い回されてるうちに澄子の中でなにかが吹っ切れたみたいでさ。そっからさらにいい女になって、ますます惚れちゃった」


 てへっと笑う叔父に、泰明も小さく笑みを返す。

 が、次の言葉に無表情になった。


「そんな石橋叩きまくってぶっ壊すような澄子を手に入れた俺は九摩留につく」

「は?」

「お前は蛇っ子オブ蛇っ子だろ? 俺と葉月くらいどうにかしてみせろよ」

「ひど……」

「そんなあなたのやり口を知っている私は泰明ちゃんにつくけどね」


 部屋に戻ってきた叔母は持ってきた匙入りの湯呑を泰時の前に置く。漂ってくる香りは自分の家でもたまに嗅ぐ馴染みあるものだった。

 思わず叔母を見ると彼女はにっこりと笑う。


「これ、泰幸お兄さんのお気に入りなんですってね。和子お姉さんに教えてもらったの。昆布茶に叩いた梅を少し入れて飲むと、たくさん呑んだあととかにいいって」

「ひょーやっさしー! ありがたきしあわせ。Ich liebe(イッヒ リーベ) dich(ディッヒ), mein(マイン) Aal(アーゥ). ん~、ちゅっ!」


 飛んできた投げキッスを澄子が面倒くさそうな顔で叩き落とす。


「泰明ちゃん。この人今なんて?」

「ドイツ語で『愛しているよ、僕の鰻』と」

「鰻ぃ? なんで私が鰻なのよ」


 微妙な顔をする妻に、叔父はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。

 いくら顔が良かろうが、こういうのときの男は実に気持ちが悪いなぁと泰明はしみじみしてしまう。自分も気をつけなければ。


「だって俺の一等好きな食い物だしーうまいし喰うと元気が出るしーそれに鰻はとってもヌルヌルで澄子のォヴッ!」


 ゴン、と音を立てて落ちた拳骨に泰時が叫ぶ。

 両脇からの冷え切った視線を受けて、男は首を縮めながら湯呑の湯気を吹いた。


「酔ってるといつも以上に始末に負えないわね」

「泰時おじさん。今後二度と僕に紳士のなんたるかを説かないでくださいね」

「へいへい。……澄ちゃんが泰明につくんなら、俺もそっち行こうかなぁ」

「来なくて結構です」

「いじわるー」


 泰時が梅昆布茶をすすり、ほわっとゆるい笑みを浮かべる。

 それを見た澄子もこっそり嬉しそうに笑う。

 ふいにその愛情深い目と視線があって、なぜか泰明のほうが恥ずかしくなる。その感覚に、あぁこれが「ごちそうさま」というやつかと妙に納得した。


「二人とも仲がいいですね」

「そうかしら?」

「おうよ兄貴たちには負けないとも」

「張りあってどうするのよ……」


 頭痛をこらえるような妻の背に、泰時はそっと手を添える。


「なんだ澄子どうした澄子。どれだけ歳を取ろうと俺たちの愛は不滅だろ? ほら言ってごらん……俺の熱いパッションとリビドーを私に痛ってぇ!」


 澄子が再び夫の頭に拳骨を喰らわせた。


「もー頭ばっか叩くなよ! 悪くなったらどうしてくれんだよ」

「あらやだごめんなさい。テレビや冷蔵庫は叩くと直るって聞いたものだから。ついよ、つい」

「あらやだ嬉しいねー俺もついに三種の神器に仲間入りってわけ? 一家団らん茶の間の象徴、奥様たちの垂涎の的、返品交換一切不可のこの泰時めを後生大事にしてちょうだいな」

「さっき叩いたときにカラカラ音がしたんだけど、これってネジが一本しか入ってないんじゃないの? 不良品でも返品交換なしって詐欺もいいとこじゃない」

「……ふ、ははっ。ほんとに仲がいいですね。っふふふ」


 夫の頭を掴んで振る叔母と、カラカラカラと声に出して言う叔父のやり取りに泰明が笑い声をあげる。するとなぜか夫婦そろってぎょっとしたようにこちらを見た。

 その表情が不思議と似ていて、それがまたおかしい。


「魔性だな……」

「魔性ね……」

「え?」

「いやなんでもないぞ」

「ええ、おばちゃんの肌艶がよくなったくらいよ」

「おい」


 泰時が澄子を半眼でじっと見ると、彼女はそっぽを向いて煎茶をすすった。泰明もほうじ茶を一口飲み、そこからは三人で他愛ないお喋りを続ける。

 その間も青年は手を止めない。

 あらためて白っぽい黄色の組紐で菊結びを二つ、丁寧に作っていく。

 根付として使えるように一番上の花弁は他よりも長めにしておき、結びの部分は緩んでしまわないように近い色の糸で縫い留める。


 続いて菜の花のような明るい黄色の糸で二つのふさを作ると、缶から小さなトンボ玉を二つ選びだす。その色はあかりが土産に選んでくれた箸の色に近い瑠璃色で、白の小花がさりげなく描かれていた。

 菊結びから伸びる二本の組紐にトンボ玉を通して留め、その下に接着剤も使って房を縫いあわせる。


 接着剤の表面が乾いたところで軽く表面を整えれば、小さいながらも寺社で目にするような菊結び房が完成した。

 ひとつはあかり用。もうひとつは自分用だ。

 明日の夜に持っていきたいものの、冬場の完全硬化を考えればもう一日くらい養生したほうがいいかもしれない。


「どうでしょうか。変じゃないですかね?」


 泰明が澄子の前に二つの根付を出すと、彼女の手がひとつを取りあげる。もうひとつは泰時が取って目の前にかざした。


「あらまぁとっても素敵じゃない。色の組み合わせも爽やかね」

「ははぁ、これまた器用なことをするねぇ。お前あれだな、医師免許を剥奪されたら小間物屋になればいいな」

「あなたって人はもう……なんてことを言うのよ」

「だってコイツ、いつかやらかしそうだし。なー泰明ー?」

「おじさんその口縫ってあげましょうか」

「うふふ、そのセリフ。先生たちから毎日最低五回は言われてたわよね」

「うるせーやいっ」


 泰時は唇を尖らせると根付を置いた。

 それからコホンと咳払いをして両腕を着物の袖にしまう。 


「それじゃあ泰時おじちゃんからも特別にアドバイスをやろう。ありがたく聞きたまえ」

「いえ別にいらないですけど」

「フィモーゼはスメグマが溜ま――」


 パァン! といい音をさせて叔母の平手が叔父の頬を打つ。

 看護婦をしている彼女には一部のドイツ語がわかるのだろう。


「最っ低」

「ひどい、真面目な話なのに!」

「どうせ途中から変な話にするでしょあなたは! こっちは全部お見通しなんだからね」


 ひんひん泣き真似をする泰時とそれをにらむ澄子を眺めつつ、泰明は作った根付を回収して缶にしまう。そそくさと炬燵から抜け出して二人に軽く頭を下げた。


「僕、そろそろ部屋に戻ります。澄子さん、どうもありがとうございました」

「はーいお風呂できたら呼ぶからねー」

「ううう……ひどいぃ……」


 後ろ手に襖をしめて、寒い階段を上がりながら泰明はくすっと笑う。

 叔母とあかりが似てるとしたら、いつか彼女も今の澄子のようになるのだろうか。

 いつも夫婦漫才を繰り広げる二人を思い返して、それも悪くないと思う泰明だった。


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