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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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81.叔母のアドバイス

 どんよりと背後を暗くして顔を覆う泰明に、澄子も思わず動きを止めた。

 炬燵の向かいから恐るおそる様子をうかがう。


「ど、どうしたの泰明ちゃん」

「……九摩留です。姉さんがあいつの肩を持っているようで」

「葉月ちゃんが……」


 そういえば先日、夫の泰時が葉月に加担とかなんとか言っていた。

 九摩留狐がよさそうだ、とも。


「あかり、九摩留のプレゼントはすんなり受け取ったんです。それも……嬉しそうに。僕の最初のプレゼントは受け取ってくれなかったのに」


 泰明はいじけた声でぼそぼそ喋る。

 嬉しそうに受け取ったこともさることながら、問題なのはそのあとだった。

 九摩留と見つめあった彼女は、あろうことかその肌を少しだけ赤く染めた。

 その意味はなんなのか――考えたくもない。

 偶然の、一過性の、一時の気の迷いかなにかということにしておかないとおかしくなりそうだった。


 青年がシュー……と蛇の威嚇音のような息をもらす。

 声をかけづらい空気に、澄子は黙って煎茶をすすった。


 澄子も今日はあかりがおめかしして狐の九摩留と一緒に外出したと聞いていた。バス停で二人が並んでいるところを何人かが見ており、医院の待合室ではその話でもちきりだったのだ。

 おかげでみんな戦々恐々と青年の様子を伺っており、診療中は誰もが世間話もなく逃げるように帰っていた。


 澄子は唇を弧にしつつ、吹き出しそうになるのを堪える。

 甥っ子は昔の行いがよくなかったので誤解されがちだが、公私の区別はしっかりつけられる子だ。

 どんなに機嫌が悪くたって患者をぞんざいに扱ったり、ましてや八つ当たりなんてことはあり得ない。

 でもその勘違いのおかげで午前中の診療はいつもよりずっと早めに終えることができた。


 逆に午後は青年が往診でいないのをいいことに、待合室でも診察室でもそれは大いに盛り上がっていた。

 診察が終わっても薬をもらってもみんな帰らないものだから、久しぶりに澄子の怒声が医院をゆらしたのだった。


 とはいえ、自分も興味がないわけではない。

 むしろ大ありと言っていいだろう。


「なにがあったか、聞いてもいい?」


 頃合いをみてわくわくしているのを悟られないよう静かに尋ねてみれば、泰明は顔から手を離す。

 両肘をついたまま指を組むと、そこに顎を載せてぼそぼそと話しだした。


 どうやらあかりは狐の彼とデパートへ行ったらしい。

 その間ずっとあかりと九摩留が手を繋いでいたこと、昼食を分けあって食べたこと、九摩留があかりにお揃いの根付を買いプレゼントしたこと、そしてお揃いの懐中時計につけようとしていることが地を這うような声で抑揚なく語られる。

 その内容と彼の不安そうな様子に澄子は首をかしげた。


「ねぇ泰明ちゃん……もしかしてあなた……あかりちゃんと恋仲ってわけじゃあ」

「僕は彼女が好きで彼女も僕を好いてくれてるんですからそれって両想いですよね? 両想いならそれはもう恋人と言っても差し支えないですよね?」


 暗い目のまま早口になる甥っ子に深いため息が出る。

 噂の発生源を知った気がした。


「きちんと愛を告白して相手が正式にお付き合いすることを承諾しなければ、恋人になれたとは言えないわよ?」


 青年は叔母の言葉にぐっと詰まる。

 わずかな沈黙のあと、彼は観念したようにうなだれた。


「僕だって、できるものなら今すぐ告白して結婚して、名実ともに彼女を自分のものにしたいですよ。それができないから困ってるんです」

「なるほどねぇ。お見合いがあるからってことね」

 

 彼らの噂を聞いた時、あかりの性格を考えるとにわかには信じがたいと思った。だが信憑性に乏しくとも、先日の彼女を見て甥っ子に惚れているのは事実だと感じた。

 よって噂は本当かもしれないと思っていたのだが――残念ながらまだ踏み込んだ仲ではなかったらしい。

 

「だから泰明ちゃんも対抗して根付を作ろうとしたのね」

「ええ。本当はあいつのプレゼントなんて身につけてほしくないんです。でもそんなことを言ったら嫌われるかもしれないし……がんばって譲歩しました」


 青年の肘近くには梅結びや菊結びの他に、会話しながら作った黄緑色の八重菊結び、水色の玉房結びなどが並んでいる。

 それを眺めながら、泰明は消えそうな声でつぶやいた。


「それだけじゃないんです。あかり、また僕を遠ざけようとしてた……」


 彼女のそばにいていいと、自分のそばにいてくれると昨晩言ってくれたばかりなのに。

 それなのに外出から戻った彼女はどことなくよそよそしさがあった。


 手に触れようとして弾かれたとき――姫神の誓約に反したのだとわかったとき。

 彼女にそんなつもりはないとわかっていても、拒絶されたと感じてしまった。


 どうしようもなく嫉妬して。子どもっぽく拗ねて。勝手に苛立って。

 自分はつくづく幼稚だと思う。

 このまま話を続ければどんどん感情的になってしまうと思い、加加姫に後を頼んだが……姫神の説得がうまくいきすぎてまたいじけたくなってしまう。

 

 どうして自分の言葉は受け入れてもらえないのだろう。

 どうして加加姫の言葉だとすんなり受け入れるのだろう。


「なんかいいわね。あかりちゃんのことになると、あの泰明ちゃんもそこらへんの男の子と変わらないんだから」


 珍しく弱さを見せる甥っ子を澄子はほほえましそうに眺めた。

 泰明がきょとんとしたように瞬きする。そこらへんの男、とつぶやく表情はどこか嬉しそうだった。


「私ね。正直あの子が泰明ちゃんから距離を置こうとする気持ち、わからなくもないかも」

「そんな……僕がなにを――」


 言いかけて青年はなにかまずいものを飲み込んだような渋面を作る。

 いろいろと思い当たるふしがあるのかもしれないが、多分あかりは彼が思っていることとは別の理由から距離を取ろうとしているのではないか。


 澄子は針を持つ手を湯呑に持ち替える。

 青い悩みに感化されて、自分の若い頃を思い出しながら煎茶を一口含んだ。


 同じ大学病院で働いていた泰時はとても優秀で、甥っ子ほどではないが顔立ちもよく、それなのにお高く留まったところがないひょうきんなお調子者だった。

 余計なこともよく言ったが人を笑わせるのが大好きで、患者からは絶大な人気を誇り、あいつは品位に欠けると苦言を呈していた教授陣からも結局なんやかんやで好かれていた。

 女性も男性も魅了するような男だった。


 つまり、まぶしく輝く雲の上の存在なわけで。

 きっとあかりも泰明をそのように感じているのだろう。

 ……とはいえ、この村で彼をそのように思っているのはあかりくらいだが。


「ねぇ泰明ちゃん。人って弱くて臆病で、誰だってすすんで傷つきたいとは思わないものよ。あかりちゃんはもしかしたら、あなたのそばにいると落ち込んだり不安になっちゃうことがあるのかも」


 遠くから眺めているくらいがちょうどいいのに、寄ってこられるとちっぽけな自分が照らし出されてしまう。

 見たくないものが見えてしまう。


「僕があかりを傷つけているってことですか……?」


 泰明が血の気のない顔でつぶやいた。

 澄子は慌てて首を振る。


「ううん、あなたは悪くないの。そうじゃなくて、自分に自信がないから卑屈になっちゃうし、疑っちゃうのよね。だから苦しくなって逃げたくなるの」


 まわりから比較され、自分でも比較して。

 他人の妬みややっかみに晒されるだけでなく、自分でも自分を追い込んで疲弊していく。

 それに注目は詮索に繋がり、やがて様々なことが暴かれて――。


 指先が薄氷に包まれた気がして、澄子は炬燵に手を滑りこませた。

 落ちていた視線を上げれば、甥っ子が困ったように眉を下げていた。


「それだと、一番いいのは僕がそばにいないことになりますけど……それ以外でいい方法はないでしょうか」

「そうね、まずはそういう難儀な性格を理解してあげて。あなたが嫌いなわけじゃないの。むしろ好きだからこそ苦しんでるってわかってあげて」

「……はい」


 泰明が真剣な目でうなずく。


「大事なのは、ちゃんと伝えること。あかりちゃんの素敵なところや好きなところをたくさん伝えてあげて。しつこいくらい何度でもね。蛇っ子なんだからそういうのは得意でしょ?」

「はい」


 甥っ子は苦笑混じりに返事をした。

 倉橋家はその異形の血の度合いで蛇っ子、狐っ子と呼ぶときがある。

 蛇っ子の特徴は良くも悪くも『長い、しつこい、ねちっこい』だ。逃げ腰のあかりにはちょうどいい。


「自分に価値がないって思ってるとね、相手にもいつか飽きられる、捨てられるって思っちゃうものなの。だからまず自信を持ってもらえるように、伝え続けることが大事なのよ」

「捨てられる……」


 泰明は澄子の言葉を反芻すると、わずかに唇を噛んだ。

 あかりは加加姫や養父母からたくさんの愛情を受けたことで明るく素直な娘に育った。それでも、心の奥底では自分を無価値だと思っていてもおかしくない。

 実際、医院で彼女と話をしたときは自分をそのように思っているようだった。


 彼女は親に捨てられた過去を持つ。

 なにか事情があったのだと思いたくても、足と背中の傷がそれを許さないだろう。


「まぁでも、大丈夫よ。あかりちゃんもあなたに惹かれているんだから。泰明ちゃんを遠ざけようとしていても、あの子はもう手遅れだわ」

「そう……ですか?」


 青年の声は嬉しそうで、でもその表情は不安そうだ。

 澄子はくすっと笑う。


「だって、お見舞いに来たときのあかりちゃんの顔ときたら。あなたにも見せてあげたかったわ」


 それは大学病院で働いていた時によく見た顔で、入院した家族や恋人を見舞う人たちと同じものだった。

 かけがえのない人を心の底から心配する怯えにも似た表情は、誰に対してもできるものじゃない。ただし本人にその自覚があるのかはわからないが。


 甥っ子の表情が次第に明るくなっていく。

 明るいを通りこして甘やかに艶然と笑う美しい青年に、澄子もうっかりドギマギする。


「そういえば、実はあかりからデートのお誘いを受けたんです。あのあかりからですよ? それにこれからは毎晩…………ふ、ふふ」

「ま、まぁ素敵! よかったじゃない! じゃあ空回りしちゃわないように――」

「たっだいま~ん!」


 玄関からのご機嫌な声に、澄子と泰明がさっと視線を交わす。

 それぞれが表情と居住まいを直すと、居間の襖が開かれた。


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