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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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80.学生アルバイト

 泰明が手芸の道具や材料が詰まった缶から取り出したのは、色とりどりの細い組紐だった。

 小さなゴム製の下敷きも出すとその上に適当に並べていき、過去に読んだ図鑑を脳裏に呼び起こす。


「すみません、マチ針を数本お借りしていいですか?」

「あら。今度はなにを作るの?」

「根付です。飾り結びで作ろうかと思いまして……」


 泰明は言いながらも借りたマチ針で組紐を固定しながらあっという間に濃い桃色の梅結びを作る。続いて黄色の組紐で菊結びを作っていると、澄子が呆れたような声を出した。


「やあねぇ、そういうのも作れるようになったの? これじゃあもう教えてあげられるものがないじゃない。せっかく泰明ちゃんの先生ができてうれしかったのに。あーあ残念」

「澄子おばちゃんはずっと僕の先生ですよ。これからも心の機微というものを教えてください」


 叔母の声に青年はくすっと笑う。

 なにせ澄子の助言がなければ、自分は今も空回りしていたかもしれないのだ。


 食事のお礼としてあかりに時々渡している水引で作ったしおり。その作り方を教えてくれたのは澄子だった。

 高価なものは特別な日に、普段は栞などのちょっとした手作り雑貨をプレゼントしたらどうかという提案も彼女によるものだった。

 それ以来泰明は水引の結び方や組紐による飾り結び、つまみ細工や編み物といった教本を図書館で借りて読んでは暇をみて練習していた。


「本当に、もっと早く澄子おばちゃんに相談すればよかったです。完全に質問する相手を間違えていました」

「ああ、例のお嬢様ね? その子の言うこともまったくの間違いじゃないと思うわよ。たいていの女の子は美しいもの、可愛いものが好きだもの。ただまぁ……もらうにしても内容によるし、時と場合、相手にもよるというか。その辺、泰明ちゃんはまだまだ修行不足だったわね」

「少しでも好印象を持ってもらえたらと思ったんですけど、逆効果でしたね……」


 泰明は複雑そうな声でつぶやく。

 その表情を見て、澄子はもう何年も前の出来事を思い出した。


 それは澄子が町へ出かけた帰り道。屋敷へと続く山道の入り口で呆然と突っ立っている甥っ子を見かけたことがきっかけだった。

 大学の休みを利用して久しぶりに村に帰ってきた彼は、朝見かけたときは確かに元気そうだったのに、夕暮れ時には生気もなくして幽鬼のようにぼんやりとしていた。


 思わずどうした大丈夫かと声をかけたところ、彼にしては珍しく――それだけショックだったのか、あかりにプレゼントを贈ろうとして断られたのだと素直に教えてくれたのだった。

 そこで一緒に帰り道を行きつつ詳しく事情を教えてもらい、アドバイスをしたことで今に至る。


 彼の見合い相手であり学生時代の元恋人だという女性は、どうやら庶民感覚に乏しいお嬢様だったらしい。

 彼女の「女性はいつだって宝石や貴金属、服を欲しがるもの」という言葉を受けて彼が選んだというプレゼントは、素人目にも一級品だとわかる美しい一粒真珠に小さな黄色の宝石がついたペンダントだった。


 そういうプレゼントが日常茶飯事な富豪ならともかく、ただの親戚の男から突然そんなものをポンと渡された庶民は――特にあかりのようなタイプは困惑しかないだろう。当然受け取らないはずだ。

 彼女の性格はこの甥っ子もよくわかっているはずなのに、恋は盲目とはよく言う。

 結局そのペンダントはあかりの成人祝いでなんとか受け取ってもらえたらしい。


「でもセンスは良かったと思うわよ? 華美すぎず地味すぎず、上品であかりちゃんの雰囲気にも合っている素晴らしい一品だと思うわ」


 励ますように声をかけると、青年は表情をやや明るくする。

 それを見つつ澄子はただ、と続けた。


「ただそのぉ……とっても素晴らしいんだけど、彼女が持っている洋服に合わせるにはすこーし難しそうよね」

「そこは、次にあのペンダントにあうドレスと靴をプレゼントして、それでダンスパーティーに誘うように言われました」

「ダンスパーティーかぁ。若い子たちの間でダンスパーティーが大人気なのは知ってるけど、問題はあの子がそういう場所に行きたがるかどうかよね」


 終戦後は数少ない娯楽として、そして男女の出会いの場としてダンスパーティーが若者の間で大流行していた。

 映画ではダンスシーンがなにかと登場し、雑誌でも人気のダンスホールを特集している。


 だがあかりがダンスパーティーに行きたがっているかといえば――謎だった。そういう話をしているところは見たことがないし、噂も聞かない。

 そもそも彼女は片足が不自由という問題もある。


「そうですね、人前で踊るのは苦手なようです。ただ彼女は賑やかな音楽も好きみたいなので、ああいう場も嫌いではないと思うんです。雰囲気だけ楽しみに行くのもありかな、と」


 泰明は屋敷での宴に参加したときのことを思い出す。

 あかりはあの夜、加加姫に乞われて恥ずかしそうにしながらも可愛らしい踊りを披露した。だがその直前に景気づけのごとく酒を一気飲みしていた。

 また彼女の踊る姿を見たいものの、毎回一気飲みさせるわけにはいかない。


 幸いダンスホールにはテーブル席が多数用意されている。目の前で演奏される音楽とアルコールを楽しみながら、ワルツやジルバを眺めて過ごす……それはそれで甘美なひとときになるだろう。

 そう思いつつも泰明は少し残念そうに眉を下げた。


「……でもやっぱりダンスホールに誘うのはもう少しあとにしておきます。帰りは夜も更けているでしょうし、できれば一緒に一泊したいですから。これは夫婦になってからのお楽しみですね」

「あらあらまぁまぁ」


 村では少し前からあかりと泰明が恋仲だと噂になっていた。二人ともそれを隠しているとのことだが、甥っ子のほうはあまり隠すつもりもないらしい。

 元恋人との見合いを控えているのに、そんなことを気にも留めない発言につい苦笑いする。

 

「ダンスパーティーはともかくとして、ドレスや靴はそろそろプレゼントしたいなって思うんですけど……そうだ、澄子さんはデートするならどこに行きたいですか?」


 ふいに泰明に問われて、澄子は目を瞬かせた。

 針仕事の手を止めるとニヤリと笑う。


「赤提灯のお店。できるだけたくさん、何軒もハシゴしたいわ」

「それもすごく魅力的ですね。もう数年したらあかりを誘ってみます」

「うふふ、ウブなアベックのデート先には難易度が高すぎたかしら」


 澄子は湯呑みを手にすると、そうねぇとつぶやく。

 

「あのペンダントにドレス姿で行くような場所となると……クラシックコンサートやオペラとかがいいんじゃないかしらか。あ、少女歌劇もいいわね。美術館や博物館なんて場所もおすすめよ」


 自分の顔がゆるんでいるのを感じつつ、澄子は甥っ子に目を向けた。

 デート先をあれこれ考えるのはいつだって楽しいものだ。誰かの恋の話題もワクワクせずにはいられない。

 

「歩き回るような場所に行くなら、その時はこまめに足を休ませてあげるのよ? 女の子のおしゃれには靴擦れがつきものだから。本人は絶対に言わないけど」

「勉強になります。となるとプレゼントする靴は一緒に買わないとダメですね。足にあった負担のかからないものじゃないと」


 青年はふむふむと真面目な顔でうなずいている。


「でもねぇ、そこが難しいところなのよ。デザイン重視だと機能が劣りがちだし、機能重視だと野暮ったくなるし。でも両立しているものはめちゃくちゃお高いし」

「両立しているものはどこで買えますか?」

「………………」


 間髪入れずに尋ねてくる泰明を見て、澄子は一瞬口を閉じた。

 前から思っていたことを聞くにはいいタイミングかもしれない。


「ところで泰明ちゃん。あのペンダントって、自分でお金を稼いで買ったのよね? 親からのおこずかいとかじゃなくて」

「はい、もちろん。アルバイトして買いました」

「今のアルバイトってそんなに実入りがいいの?」

「ものにもよりますね」


 泰明は新しく作った飾り結びを置くとほうじ茶をすすった。

 大学に入った頃はまだ戦後間もなくて、学生たちは男も女も関係なくこぞってアルバイトをしていた。

 親からの仕送りがあってもささやかな娯楽まで楽しめる余裕はなくて、苦学生でなくてもほとんどの学生がアルバイトをしていたのだ。

 医学部進学予定の者も最初の二年は一般教養を学ぶため、専門課程で忙しくなる前に青春作りあるいは社会勉強と称して一部が労働に励んでいた。


 家庭教師のアルバイトは収入も労働環境も恵まれているため大人気で、そう簡単には仕事にありつけない。

 となれば新聞やクリーニング店の配達に店屋物てんやものの出前、アイスクリームの売り歩きにガリ版切り、デパートの販売員や劇場の切符切りなどが定番となる。

 ただしどれも収入はそれなりだ。


「僕の場合は建築現場や道路工事でアルバイトをしてましたから。大変でしたけど収入がいいですし、それにあり余る体力も消費できて一石二鳥でした」


 同級生からはよく講義中に起きていられるものだと呆れられたが、むしろ疲労が大きいからこそ寝つきもいいしぐっすり安眠できる。そういうところも気に入っていた。

 おまけに高給なのだから文句のつけようがない。


「へー意外ねぇ。泰明ちゃんなら家庭教師にも引っ張りだこって気がするけど」

「……入学してすぐ、三件かけ持ちできたんですけど。奥様や教え子のお姉さんたちから熱烈なお誘いを受けまして。早々にやめました」

「わー……」

「アイスクリーム売りは大勢の女性に取り囲まれて、どさくさに紛れて髪は抜かれる服は破られるで、これも一回でやめました。配達や出前は注文数がお店の想定をはるかに超えるようになってしまってクビ。ガリ切りなどの人前に出ない仕事でもなぜか噂が立って、行った先々で女性が待ち伏せするようになってしまって。社員さんの迷惑になるのでこれもすぐにやめました」


 泰明は絶句する叔母に死んだ魚のような目を向ける。


「その点、現場はよかったです。女性が近寄ってくることもないですし、待ち伏せされても一緒に出た屈強な殿方たちが嬉々としてエスコートしていきましたから。おかげですぐに誰も来なくなりました」

「そ、そう。それはよかったわね」

「はい、本当に」


 ようやく腰を落ち着けてアルバイトできたのは幸運だった。だが実は工事現場の仕事も三カ月ほどで辞めている。

 それよりも遥かに収入が良く、おまけに医師を目指す自分にとって最も適した仕事が見つかったからだ。

 そこでのアルバイトは、無事に大学を卒業するまで続けることができた。


 ただしそれを叔母に話すつもりはない。

 なぜならそのアルバイトは完全に違法であった。


「というわけで、実は学生時代の蓄えが結構あるんです。だから値段の張る靴でも、デザインも機能も良いものを買いたいです」


 蓄えた賃金の多くはあかりと使うためにとってある。今も医院での稼ぎがあるわけで、プレゼントの二つや三つや四つや五つ、値が張るものを買ったところでなんら問題はない。

 金や物で釣るわけではないが、それであかりを喜ばせることができるなら安いものだ。


 黒々した目をランランと輝かせる甥っ子に、しかし澄子は難しい顔をした。


「う~ん……特別な日のプレゼントだとしても、めちゃくちゃお高いものを贈ったらあの子の負担になっちゃうんじゃないかしら? 一緒に買いに行ったら値段だってばれちゃうでしょうし。また受け取ってもらえないってなったら困るでしょ?」

「でも…………」

「泰明ちゃん、大丈夫よ。焦らなくてもいいの。いったん冷静になりましょ。まずは相手の価値観や好みをもう一度おさらいして……って、どうかした?」


 どことなく泰明の顔色が悪い。

 笑ってはいるものの、口の端が引きつっているように見える。


「……やぁ、ちょっと認めたくないですけど、その……焦らざるをえないというか」


 声はどんどん小さくなり、背後にどんよりと暗い靄が広がっていくようだった。

 そうして泰明は、肘をついた両手で顔をおおってしまった。


補足です。

泰明が大学に入った当時、医学部に入るには医学部以外の学部で所定の一般教養を2年間勉強する必要がありました(でないと医学部を受験できない)。

※多くは理学部に医学部進学者向けの専用コースがあり、その後はこれに代わり医学部進学課程が置かれ、医学部入学資格があるのはこの進学課程入学者だけ(現在の6年制に同じ)…となったようです。現在は2年目から医学系の勉強もはじまるところが多いみたいですね。

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