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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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76.手伝い問答(前)

「九摩留、すっかり寝ちゃいましたね」

「ふむ。菓子とはいえ、これはなかなか酒精が強いからの。出かけた疲れもあるのだろう」


 囲炉裏の木尻の円座に男の姿はなく、かわりにモコモコの狐が丸くなって眠っていた。

 いつもよりだいぶ早く彼が寝てしまったのは、彼女の言った通りなのだろう。


 夕食後に姫様が配った洋酒入りのチョコレートボンボンは思いのほかお酒が強くて、下戸でなおかつはじめての遠出で疲れていた様子の九摩留には効きが良すぎたらしい。

 出した紅茶に口をつけることなく、狐の姿に戻ってしまうほどぐっすりと深い眠りについている。


「ごちそうさまでした」


 手を合わせた泰明さんがティーカップを持って立ち上がる。こちらにやって来るとわたしと九摩留の間に置いていた食器や大鍋に手を伸ばした。

 すかさずわたしも手を伸ばして青年の手を防御する。


「泰明さん、洗い物はあとでわたしがしますから」

「ううん、僕がやる。料理の手伝いだってなんにもしてないし」

「でも……かわりにお食事代をいただいてますから」


 それは以前聞いてからずっと小骨のように引っかかっていたことだった。

 しおりならお礼としていただくことに抵抗はないけど、さすがに金銭となると話は違ってくる。

 すでに大きな対価をいただいているなら、なおさらこうした労働はさせてはいけないと思う。


 泰明さんはわたしにとって家族だけど――わたしと同等というわけじゃない。姫様と同じ主人格にあたる。

 そして家族とはいえ、まだお客様でもあるのだ。

 気安くしたいとは思うけど、こういう部分で甘えてしまうのはやっぱりちょっとよくないと思う。


「……だから知られたくなかったのにな」


 泰明さんは困ったように笑うとわたしの隣に腰を下ろした。


「あかりのそういうきちんとしたところ、僕はとても好きだけど……なんだか他人行儀でさびしいな。家族なんだからお手伝いするのは当たり前じゃない。気にすることなんてなにもないよ?」

「じゃあこうしましょう。お代は今後いただきません。わたしから倉橋様にお話しします。お手伝いはたまーにしていただけたら嬉しいです」

「お手伝いは全然たいしたことじゃないから毎日するね。あと、父親にお話しされるのはちょっと困るかな」

「泰明さんがしてくださっているのは本来九摩留がするべきことなんです。だから泰明さんのここでのお手伝いは、姫様のお話し相手になっていただくことです」


 穏やかに笑う青年に、わたしもなるべく穏便にすむように笑顔を見せる。


「当屋敷の主を……山の神を退屈させないことも大事なお仕事です。ですからその部分を、わたしたちの代わりにお願いしたいんです」

「わたし『たち』か。その中に僕はいないんだ?」

「わたしと九摩留は従者です。わたしとあなたでは……立場が違いますから」


 泰明さんが細めていた目をわずかに開く。

 黒い瞳がなにか言いたそうに揺れるも、すぐにまた笑みを浮かべた。


「なんだか嫌な言い方をするね。昨日と今日でちょっとだけ違う人みたい。九摩留になにか言われた?」

「……なにも言われてません」

「嘘だ。今の君は僕から距離を取ろうとしてるみたい。ねぇ、やめてよ。お願いだからそんなことはしないで」


 彼の手がわたしの手に触れ――そうになったところで、パチンッと大きめの音がした。

 驚いて手を見つめる青年に、わたしはデパートで起こったことを思い出して頭を下げる。


「すみません。今日はわたし、どうも静電気がひどいみたいなんです。九摩留もバチッてなってましたし」

「へぇ。なるほど」


 泰明さんが姫様に顔を向ける。

 少女は両手の指をパチンと鳴らしたあと、なぜかこちらをズビッと指さした。


「こういう怯えも含まれるのか……」


 そのつぶやきに、思わず目が点になる。


「怯えるって、わたしがですか? まさかそんな……。あの、わたしは泰明さんには少しでも休んでもらいたいんです。医院での診察と往診で一日中大変なんですから、ここではゆっくり疲れを取ってほしくて」


 数あるうちのもっともらしい言い訳をしながら、そうか、と思った。

 確かにわたしは怯えているのかもしれない。

 自分が傷つくのが嫌で、だから距離を取ろうとしているのかも。


 滑稽こっけいという一言が思いのほか胸に刺さっていたらしい。

 自分を守るために、わが身可愛さになおも本心を隠すわたしは、どこまでもずるい。

 そしてわたしよりわたしのことがわかる泰明さんは、さすがお医者様だ。


「疲れかぁ……。うん、疲れもあるけど、それ以上にストレスがあるかもしれないね。毎日いろんな患者さんと向き合うからさ」


 泰明さんはおもむろに片手を頬に添えてため息をつく。

 美しい青年の愁いをおびた表情はどこか悩ましげで、少しだけ脈が早くなる。


「そうですか。それはよくないですね」

「うん。僕は個人的に、ストレスは万病のもとだと思ってるんだよね。だからあかり、これからは毎日よろしくね?」

「え?」

「ストレスを取るにはとっても親しい家族と触れあったり……抱きあったりするのが一番有効だから。だから、よろしくね」


 意味深な笑みを浮かべる青年に、一瞬思考が停止する。

 それから、少し前に抱き合いながらお喋りしたことを思い出して一気に顔が熱くなった。


「ちょっと待ってください、それはちょっと……困ると言いますか」


 ちらっと姫様に目をやれば、彼女はこちらをニヤニヤ眺めながら新しいチョコレートボンボンの銀紙をはがしていた。

 だめだ、完全に面白がっている。


「だって少しでも疲れを取って欲しいんでしょ? じゃああかりが取ってよ」

「あ、そうですよ! わたしが言ったのは疲れであってストレスじゃないんですよ。それこそそっちは姫様に取ってもらうのがいいと思いますけどっ」


 ここぞとばかりに姫様の名前を出せば、彼女はもごもごと頬袋を動かしながら手をひらひら振った。


「あかりよ。わしが触れたいと思う相手は泰治とおぬしだけだぞ。そこの孫っぽい男も、わしよりあかりのほうがよかろうて」

「そんなことないですって。だって泰明さんは――」


 すんでのところで内頬を噛み、言葉を止める。

 危ない……。うっかり泰明さんの意中の相手を本人にばらすところだった。

 数拍間を置いてから、わたしはあらためて言葉を重ねる。


「姫様だって泰明さんのことを大事に思ってますよね? 少しくらいはぎゅってしてあげてもいいんじゃないですか? それだけで泰明さんはすごく癒されるんですから」

「あかりってばひどい。そんなに僕を邪険にしなくたって」


 今度は隣からどんよりした空気が漂ってきて、慌ててぶんぶんと首を横に振った。


「してませんから!」

「だって困るってことは、あかりは僕に触るのが嫌ってことでしょ? 今まで気づかなくてごめんね。きっと僕に触られるのもすごく嫌だったよね。これからは気をつけるよ」

「や、ちが、待っ……誤解ですから、それはッ」

「誤解って? だってヤなんでしょ?」


 青年はすっかりいじけた目をして膝を抱えている。

 うっかりそれを可愛いと思ってしまった自分をつねりたい。


「わたしはっ、触られるのは別に、その……嫌じゃないですし。触るのが嫌なわけでもないですし」

「じゃあなにも問題ないよね?」

「でもあのほら、泰明さんだって言ってたじゃないですか。家族であっても男女が不用意に触れあうのはよくないって」

「不用意に触れあうのはよくないけど、相手がストレスで辛い思いをしているなら話は別。抱きしめて相手を癒すって、治療の一環だと思うんだけどなぁ」

「あー……うー……」


 なんだか考えるのに疲れてきた。

 わたしだって本当はその頬に触れてみたいし、艶やかな黒髪を指で梳いてみたい。

 姫様とするように、ぎゅうっと抱きついてみたい。

 ……欲を出しても、図々しくなってもいいのだろうか?


「本当に、いいんですか? わたしで」

「あかりがいい。あかりじゃなきゃ嫌だ」


 毎朝駄々をこねる姫様のような言い方に、妙に血のつながりを感じてしまう。

 思わず彼女にするように黒髪をそっと撫でると、いじけていた目がとろりと和み、ごきげんな猫のようにゆったりと満足そうな笑みを浮かべた。

 そういうところまで本当に姫様によく似ている。


 というか、髪を触ってしまった……。

 艶やかな見た目通り、その髪はハリコシがあって滑らかで、絹のように触り心地がよかった。


「あ、そうだ。念のため言っておくけど、こういう特別なのはあかりだけだからね。誰彼かまわずじゃないし、触るのも触らせるのもないから。思わせぶりなことだって言ったこともないし」


 急に泰明さんは口を尖らせると、眉根を寄せてこちらを軽くにらんでくる。

 その様子にさーっと血の気が引いた。

 どうやらこっそり抱いていた勘ぐりは見透かされていたらしい。

 

「ご、ごめんなさい……すみませんでした」

「ううん。誤解させる真似した僕が悪いんだし。でも、ちゃんと信じてね?」

「はい……本当にごめんなさい」

「カカッ、もったいないのう。おぬしなら稀代の女誑しになれるというに。数多の女を侍らせ放題貢がせ放題、果てなく続く酒池肉林さえたやすかろうて」


 姫様がわたしの勘ぐりをずばり口にして、今すぐここから消えてしまいたいと強く思った。

 土下座してそのまま地面にめり込んでいきたい。


「そんなものには興味ありません。姫様に似て僕も一途ですから。それに家族も、とっても特別な存在ですから」

「だそうだ。よかったのう、あかりや」


 によによと口角をつり上げる姫様に、わたしは力ない笑いで返事をした。

 そこではたと気づく。

 なにやら話がだいぶずれてしまっていた。


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