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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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75.お土産

 ガスコンロで人参とゴボウを炒めていると玄関戸が勢いよく開かれた。

 顔をあげて横を向いたときには、黒ずくめの青年がすでにわたしの隣にいる。


「ただいま」

「お、おかえりなさい、泰明さん」


 やけに低い声とどんよりした空気に気圧されつつ挨拶をすると、彼はマフラーを取ろうともせずにこちらの顔をのぞき込んでくる。その黒々した目は木のうろに似ていた。


「あかり、今日は大丈夫だった? あいつに変なことされなかった?」

「人聞き悪ぃこと言ってんじゃねえぞテメェ! 俺はお前よりよっぽど紳士だからな!」


 泰明さんの言葉に反応してうしろから大声が飛んでくる。

 振り返ると、九摩留がこちらをにらみながらざるに盛られた春菊と白菜の葉っぱ、葱を入れるところだった。

 その服装は普段の作務衣に戻っていて、髪もいつもの黄褐色になっている。

 わたしも髪型はそのままであるものの、お化粧を落として巫女装束に綿入れ半纏、割烹着というおなじみの恰好に着替えていた。


「そうね、今日の九摩留はとってもお行儀よかったものね」


 九摩留に笑いかけてから、ふたたび泰明さんと視線を合わせる。


「大丈夫です、変なことなんてなかったですよ。久しぶりにいろいろ見てまわれて楽しかったです」

「楽しかった……」


 オウム返しにつぶやく青年の眉が八の字になる。

 やおら目を閉じると、人差し指で眉間をぐりぐり押しはじめた。


「……うん。行先はデパートなんだし、久しぶりの遠出なんだし、だから楽しくて当然だ。うん、あかりが楽しかったならそれでいいんだ……うん」


 ぶつぶつとつぶやきながら目元を揉んでいる姿に一瞬不安がよぎる。


「もしかして、目が痛いですか?」


 その白目はすっかり綺麗になっているけど、まさか後遺症のようなものがあるのだろうか。

 泰明さんは眉間から指を離すとにっこり笑みを浮かべる。


「いや、大丈夫だよ。今日のごはんはなにかなぁ」

「今夜はたらちりですよ。ちょうど炒めものもできたので、すぐに食べられますからね」


 火をしっかり通したほうがいい豆腐と鱈の切り身、白菜の芯はすでに煮てある。

 さっと火を通すものは食べはじめる少し前に入れると煮えすぎないから、泰明さんが来た時点で九摩留に残りの野菜を投入してくれるようお願いしていた。みんなが囲炉裏に集まる頃にはちょうど食べごろになっているはず。


 柚子酢で作ったポン酢も姫様の横の火鉢で温めているところだった。

 彼女はすでに鱈の卵の煮つけで晩酌をはじめている。


「こんばんは姫様。今夜も冷えますね」

「ああ、本当にな。そのうち雪でも降ってきそうだ」

「……やぁ九摩留。あかりに迷惑かけなかっただろうな」

「……うるせえな。テメェよりはかけてねえよ」


 うしろの会話をなんとなしに聞きながら、わたしは小鉢にきんぴらごぼうを盛りつけていく。

 綿入り半纏を着た泰明さんが勝手口を出ていくのをこっそり目で追って、それから急いで食事の支度を再開した。




 今日は鍋料理なので、久しぶりに自在鉤じゃなくて巨大な五徳を出して大鍋を載せていた。

 最初に全員の分をとんすいに取り分けて、そのあとは姫様の宣言で各自好きなようによそることになる。


「九摩留、はじめての都会はどうであったか?」

「楽しかった! デーゼルもデパートもすげーでかかった!」


 いただきますの挨拶をすると、姫様がさっそく九摩留に話を振る。

 彼は鱈をはふはふと食べながら満面の笑みを浮かべた。


「まず最初に食堂行ってー、あかりとメシ半分こしてー。味は葉月の作る方がよっぽどうまかったけどプリンなんちゃらっつーのはうまかった! そんでバスで遊んでー、漫画立ち読みしてー、いろいろうまそうな菓子見てまわってー。最後にクリームソーダってのも食った! うまかった!」

「そうかえ、それはよかったのう九摩留」


 珍しく姫様が茶化したりすることなく赤い眼を細める。


「おう! そんでデート中はずっとあかりと手ぇ繋いでて――」


 泰明さんがゴフッとお茶にむせた。


「大変! 大丈夫ですか?」


 青年は激しく咳きこみながらズボンのポケットから出したハンカチで口元を抑える。思わず立ち上がりかけると、彼は片手を振って大丈夫だと示してきた。

 そんな泰明さんをニヤニヤ眺めながら九摩留は嬉しそうな声を出す。


「いやーまいっちゃうよなぁ。あかりのほうから俺の手ぇ握ってくるし、わたしの手を離さないでってお願いされちゃうし」

「そっ、それはあなたが道路に飛び出したからでしょ! ふらふらしてて危ないし迷子になっても困るから仕方なくというか――」

「まわりの奴に旦那さんて言われちゃうし」

「それも! すぐに姉弟って訂正してるから!」

「なにムキになってんだよぉ。照れるだろー」


 九摩留がおどけたように両頬に手を添えてケラケラと笑う。

 なんだかどっと疲れが押し寄せてきた。変に慌てている自分が恥ずかしい。

 咳をしながらこちらを見る泰明さんは、苦しいのか涙目になっていた。


「カカカ! かれてのし狐にならなくてよかったのう。だがエスコートするどころかエスコートされるとは、紳士にはまだまだ程遠いの。子守りはさぞ大変であったろう、あかりや?」


 姫様が楽しそうに笑いながらきんぴらごぼうをパリパリ食べる。

 男は目を怒らせると少女に歯を剥いた。


「ええまぁ……でも九摩留も轢かれそうになってからはずっといい子にしてくれたので、わたしも安心して見てまわることができました。あ、そうそう。葉月ちゃんへのお詫びの品はチョコレートボンボンというお菓子にしました。姫様にも買ってきてますから、よかったら食後にいかがですか?」

「おお、それは楽しみだ」

「他にもお土産があるんですよ。それはみんなにって選んだやつなんですけど――」


 言いながらわたしのひざのそばに置いていた紙袋を取りあげる。

 すると横の九摩留があっと声を出して、作務衣のポケットからなにかを取りだした。


「俺はあかりに土産があるぞ。ほらこれ」

「え」


 一同の目が男の手に集まる。

 渡されたのは、デパートの名前入りテープで封がされている小さな紙袋だった。


「どうしたの、これ!?」

「買った」

「買ったって……」


 一体いつの間に。

 そう思っているのが顔に出ていたのか、男はしてやったりという笑みを浮かべた。


「あかりが箸見に行ってる間に買ってきたんだ。買うもんは決まってたから、近くにいた奴に聞いたら売り場まで連れてってくれた。いいからほら、開けてみろよ」

「う、うん」


 言わるままそれを開けて中のものを手のひらに出してみる。

 それはふたつの根付で、どちらも小さな狐の人形がついていた。


「わぁ、かわいいねぇ」


 素朴な木彫りの狐がちょこんとおすわりをしている。その糸目はどこか笑っているようで、見ているこちらも頬がゆるむ。

 組紐は赤と青に分かれていて、青い方を九摩留がつまんだ。


「こっちは俺の。いつも世話んなってるし、その、まぁ、たいしたもんじゃねえけど……やるよ。今日はありがとな」

「あ…………ありがとう、九摩留っ」


 思いがけないプレゼントと感謝の言葉に、なんだか涙がこみあげてくるような、胸のあたりがぎゅっと押されるような感覚がして声がつまりそうになる。

 それでもなんとかお礼を言うと、男はパッとひまわりのような笑顔を咲かせた。

 その笑顔にまたふいを突かれて――今度は首や耳のあたりがじわっと熱くなる。


「待って、どういうこと、それまさか」


 世にも恐ろしいものを見たかのような声に、思わず正面に目を向ける。

 青年は今にも箸を落としそうな様子でこちらを見ていた。

 その横で、姫様がお猪口をあおると愉快そうに笑みを浮かべた。


「おおかた葉月の入れ知恵だろうな」

「姉さん……!」


 泰明さんが恨めしそうな声で小さく叫ぶ。


「そうだ、お姫にこれ返す。中身にゃ手ぇつけてねえぜ。金は葉月から前借りしたからな」


 そう言うと九摩留はポケットから小さながま口を出して向かいの姫様にぽんと放った。

 少女が危なげなくそれを掴み、笑みを深くする。


「その心意気やよし。さらに加点だな」

「九摩留、前借りなんてしたの? そんな無理しなくても――」

「あかりよ、男心をむげにするのはおよし。ここは素直に喜べばよいのだ」


 姫様が返答に困ることを言うと、青年のまわりでおどろおどろしい気配が渦を巻きだした。


「姫様が九摩留に優しい……」

「ふっ。邪は蛇たるわしの本分だが、こと恋に関しては邪道より正道を行く男のほうが好ましいものよ。たとえそれが他者の知恵を借りたものだとしてもな」


 どこか含みのある言い方に、泰明さんが路傍のお地蔵さんのような無の顔になる。

 それから思い出したように黙々と箸を動かしはじめた。


「本当にありがとう、九摩留。大事にするね」


 文机の上に飾っておこうか、それとも屋敷の鍵につけようか。

 そう思っていると、彼は作務衣のポケットから懐中時計を取りだした。


「それならほら、これにつけようぜ。俺にはおじいの、あかりにはおばあのでちょうどいいだろ?」

「あ、確かにそうね。そうしましょうか」

「……え」


 小さなつぶやきとともに青年の箸が止まる。

 ゆっくりとあげられた顔はどこか血の気がない。


「ど、どうしましたか、泰明さん」

「…………ううん。なんでもない。なんでもないよ」


 どう考えてもなんでもあるような気がするのだけど。

 そう思ったところで先日の出来事が脳裏に浮かぶ。ハッとして前を見ると、泰明さんがなぜか勢いよくご飯を口に詰め込んでいた。

 暗い目でリスのように両頬を膨らませている姿にちょっと拍子抜けしてしまう。

 どうやら体調不良を隠しているわけではないらしい。


「ところであかり、もうひとつの土産物とは?」

「あっと、そうでした」


 姫様がわくわくした様子でわたしのひざ近くに置いていた紙袋を見つめている。

 あらためて買ってきた袋を開けると、ひとりひとりに選んだものを配っていった。


「せっかくなのでみんなで普段使えるようなものをと思いまして、新しいお箸を買ってきました。色違いのおそろいなんですよー」


 こげ茶色した木製のお箸は、持ち手の上部分が様々な色に塗られている。

 姫様には鮮やかな赤、泰明さんには深い紺碧、九摩留には明るいだいだい。そして自分には白を選んでみた。

 色のある部分にはわずかに金粉が散り、艶のある透明な膜に覆われている。

 潤んだ色合いはまるで七宝焼きのようだった。


「おお、赤に金とはわしの眼のようだな。可愛らしくて、それに箸も細身で上品だ。ありがとうな、あかりや」

「僕のもわざわざ選んでくれて、どうもありがとう。すごく嬉しい」

「俺のはミカンみたいだな。ふーん」


 姫様のお箸は察してくれた通り、いつもキラキラと楽し気に輝いている瞳の印象で。

 泰明さんのお箸は月夜の下のお喋りから、九摩留のお箸は狐のときの陽光を弾くなめらかな毛並みから連想して選んでみた。

 わたしのお箸は大好きな姫様の髪色から。自分自身いつも白い割烹着をつけているし、そういう意味でもちょうどよかったように思う。


「さっそく明日の夕食から使いましょうね。姫様のほうは、今日はいかがでしたか?」

「おぉ、わしは久しぶりに山でな――」


 姫様も今日はおでかけをしていたので、その話を聞きつつ食事を進める。

 視界の隅では九摩留が箸を動かしつつも途中とちゅうであくびをしていた。


 九摩留のはじめてのお出かけは、なんとか無事に終わろうとしていた。


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