74.クリームソーダでひと休み
「うおお、なんかすげえのある……!」
デパートの屋上に出ると、九摩留は鼻息荒く駆けだした。
行った先にあるのは観覧車。ゴンドラと呼ばれるカラフルな箱がついた車輪が背の高い鉄骨に支えられている。
「おおっ、こっちもなんかすげえ!」
観覧車だけじゃなくメリーゴーランドや飛行塔などなど、ここでしかお目にかかれない乗り物がたくさん点在している。
他にもビニールの軒下にたくさんの遊技機が並んでいたり、かと思えば盆栽売り場が現れてなんとも不思議な空間になっていた。
暦の上では春でもいまだに冬の寒風吹きすさぶ屋上遊園地は、平日とあって人がほとんどいない。乗り物に乗っている人にいたっては皆無だった。
休日だったら真冬だろうがなんだろうが親子連れがあちこちで行列をなしていることを思うと、とても珍しい光景といえる。
「乗りたいものがあったらひとつだけ乗ってもいいからね。それから売店でなにか頼みましょ」
顔を紅潮させている九摩留に声をかけつつ、わたしは羽織をかき寄せる。
暖房のきいた売り場をせわしなく見てまわったこともあって、さっきまでは軽く汗ばむほど暑かった。なのに屋上に出てわずか数秒、歯がカチカチ鳴りそうなほどすっかり身体が冷えている。
ここでちょっと休憩を、と思ったけど少し考えが甘かったかもしれない。
地上での屋外と高層の屋外とでは寒さがまるで違うのも新しい発見だった。
子どもの頃に屋上で遊んだときは冬でも寒くなかったような、と思ったところで一緒に来たお母さんが今のわたしのように震えていたことを思い出す。
「あかり、寒いか?」
「ちょっとだけね」
ふーんとつぶやいた九摩留は小脇に抱えたマントをわたしにかけてくる。
え、と思う間もなく、そのままこちらの肩を抱いて出口に向かってしまう。
「ちょっと九摩留、乗らなくていいの? 飛行塔とかすっごく楽しいと思うよ?」
「いいんだよ。また次回ってことで、楽しみにとっとく。今はあったけえ場所で休もうぜ」
有無を言わさない力で引き返す男に残念そうな様子はなくて。
見上げた九摩留の顔はなんだかとても大人びていた。
結局落ち着いたのはすぐ下の階にある大食堂だった。
まだ混雑はしているものの、今度は運良く窓際に座ることができた。
頼んでいたクリームソーダが運ばれてくると、男は澄んだ緑色の炭酸水をしげしげと見つめてからストローで一口飲む。
お気に召したのか、ぱっと笑顔を浮かべるとそのまま一気に半分ほど飲んでしまった。
わたしは浮かんでいるアイスクリームの底の部分を銀のスプーンですくい口に含む。
甘いミルク味にメロンソーダの風味がしてなんともおいしい。
温室のような窓際の食堂でいただくクリームソーダは幸せの味がした。
「人間はすげぇよな」
「というと?」
九摩留がアイスクリームを一口食べて、ため息とともにつぶやいた。
「爪も牙もねぇ弱っちい生き物のくせに、デーゼルとかこのデパートとか馬鹿でかいもん作れてよ。それにこのクリームソーダってやつもそうだ。甘くて冷たくてシュワシュワで。ただの魚も料理でうまいもんに変えちまう。狐には想像だってできやしねえ」
「ふふ。弱っちいからこそ一生懸命考えて、いろんな道具を作って、工夫するんでしょうね。少しでも長く楽しく生きるために」
「ふーん」
メロンソーダをストローで吸いあげると口の中でパチパチ弾けて楽しい。
それに甘くていい香りがしておいしい。
つい顔をにやけさせていると、目の前の男がこちらをじっと見ていることに気づいた。
「あかりは楽しく生きてるか?」
「うん。おかげさまで毎日楽しく生きてるよ」
「そうか」
九摩留はテーブルに頬杖をつくと優しい笑みを浮かべる。
いつもの元気で威勢のいい笑顔ではなく、ゆったりとした温和な笑顔に少し落ち着かなくなる。
黒髪に長着でくつろいだ様子の九摩留は、姉のひいき目かもしれないけどなかなかに格好良いと思う。
背が高くて肩幅広く、雄々しい体躯に精悍な顔立ち。
中身は子どもでも口を閉じて静かにしていれば、なかなか人目を引く偉丈夫といえる。
実際、各売り場を回っているときにはチラチラと視線を送る販売員さんも多かった。
口や態度は乱暴だし粗野なところも多いけど、根は優しくていつも元気。太陽のようにまわりを明るくしてくれる男の子――じゃなくて男の人。
まずは姫様と倉橋様に相談しないとだけど、本人が結婚したがっているのならこちらも本気でお嫁さん探しをしてもいいのかもしれない。
「九摩留はもう少し乱暴なところを直さなきゃね」
「なんだよ急に」
「だってせっかくいい男なのに、もったいないなーって思って。そこを直せばすぐに素敵なお嫁さんがきてくれると思うわよ」
わたしみたいなのをお嫁に欲しがるのは、きっとまわりに女の子がいないせいだろうし。もっと人付き合いが増えればすぐに気になる子ができるだろう。
この子も優しい喋り方や振る舞いができれば、女の子たちだって放っておかないはず。
狐の九摩留が親御さんの許可を得るのは並大抵のことじゃないと思うけど、今の彼ならちゃんと働いてお金を稼ぐこともできる。
もしかすると、もしかするかも。
「へぇ」
九摩留が穏やかな笑みから一転、どこか不敵に笑う。
琥珀の瞳が楽しそうに輝いていた。
「なによ」
「あかりが俺をいい男だって思ってるとは知らなかった」
「……お姉ちゃんのひいき目ですけどね」
「もしかして、ぐらついてるのか?」
ぐらつく?
言われた意味が分からなくて思わず首をかしげる。
「本当はあかり、俺を弟って見るのが難しくなってんだろ。このまま迫られたら俺に惚れちまうかもしれねえから、だからこっちの気をそらそうとしてんだ」
「なに馬鹿なこと言ってるの。そういうのじゃありません」
トンチンカンなことを言う男に、わたしは外国映画の女優さんを真似て目をくるりと回してみせた。
なにをどうすればそんな考えになるのか。あきれてものも言えない。
「ふーん、気づいてないのか」
「気づくもなにも違うってば。……あ、ねぇ。それこそ葉月ちゃんとはどうなの?」
わたしの他に九摩留の身近にいる女性といったら葉月ちゃんだ。
葉月ちゃんはそれこそ彼の事情をわかってくれていて、性格も明るくさばけていて、おまけにとっても綺麗な大人の女性だ。狐の血を色濃く引いてさえいる。
前に本家の食事会で九摩留を最高だと褒めてくれていたし、このやんちゃすぎる弟をちゃんと働かせることだってできる。
葉月ちゃんからすればまだまだ未熟な頼りない子どもに見えるかもしれないけど、可能性としてはないとも言い切れない。
「ハハッ、馬鹿言うなって。葉月はそんなんじゃねえよ。あいつは俺の姉貴みたいな……」
九摩留がぴたりと動きを止めた。そのまま数秒固まる。
「九摩留?」
声をかけると男は手で顔をおおい、小さくうめく。
わずかに見える口元は強く引き結ばれていた。
話しかけても返事がないので、わたしはアイスクリームをぱくぱく食べつつ窓からの景色を眺めた。
彼はさっき葉月ちゃんを姉貴みたいなと言ったけど、どうしてわたしにはそう思ってくれないのだろう。
葉月ちゃんにあってわたしにないものとは……?
うん、それを考えるとどん底まで落ち込みそうだから別のことを考えよう。
今日の夕飯は簡単に作れるけど寒い日には最高のご馳走、鱈ちりの予定。
帰ったら九摩留に白菜と春菊、葱を切ってもらって、わたしは鱈が屋敷に来しだいコケを引いて切り身にして。鱈がオスだったら白子ポン酢、メスだったら卵の煮つけも作れる。
そうだ、少し油っけも欲しいからきんぴらごぼうも作ろう。
「あー……クソ」
ようやく顔をあげたと思ったら、九摩留は難しそうな表情でガチャガチャ音を立てながら乱暴にアイスクリームを食べる。
残りのメロンソーダも音を立てて飲み干してしまった。
「えっと、大丈夫?」
なんだか深刻そうな様子にとりあえず聞いてみると、男はこちらをじとっと半眼で見る。それからふっと息を吐いて苦笑した。
「ま、それでもやるしかねぇってことだな。先のことは誰にもわかりゃしねえんだ」
独り言のようにそうつぶやくと、つまんだサクランボを口に入れて種を器に出す。
「ごっそーさん」
「わ、ちょっと待って」
急に黙ったと思ったら急にクリームソーダを完食する九摩留に、わたしもスプーンの手を急がせる。
「そんな慌てんなって。まだ時間大丈夫だろ?」
ほれ、と帯から懐中時計を出してこちらに盤面を向けてくる。
確かに急ぐ必要はないけどあまりゆっくりもしていられない時間ではあった。
今度はわたしが黙ってアイスクリームに集中すると、九摩留がつまんでいたサクランボの茎を口に放りこんでしまう。
「九摩留、それは食べられないわよ」
缶詰のサクランボだから茎も甘くなっているかもしれないけど、食べてもおいしいとは思えない。
すると彼はべっと緑色に染まった舌を出す。
舌先に載っているのはくるりと結ばれた茎だった。
「わ、すごいね。それどうやったの?」
「ベロで歯とか歯茎に当てながら輪にして結ぶんだ。やってみ?」
うなずきつつスプーンの手を止めて茎を口に含む。
茎は甘いけど渋さと青臭さもあって、やっぱりおいしいものではなかった。
舌をあちこちに動かして茎を輪にしようとしてみたけどなかなかうまくいかない。ずっともごもごしていると、九摩留がニヤリと笑って手を伸ばしてきた。
「口開けてみ。教えてやるよ」
その指が顔に触れるか触れないかという瞬間――突然バヂッ! と破裂音がして男の手が跳ね上がった。
わたしと九摩留、そしてまわりのお客さん達の目がぱっとその手に集まる。
「な……なに、今の!?」
「あんのクソババア……」
九摩留は舌打ちすると、むすっとした顔で手をさする。
「なんでもねぇよ、ただのクソでけぇ静電気だろ。ほれ、あかりはアイス食っちまえよ。じゃねえと俺が食っちまうぞ」
「だめ。それはだめ」
わたしもアイスクリームは大好きなのだ。九摩留は自分の分を食べたのだから、悪いけどこれだけは譲れない。
器をできるだけ自分の方に寄せてふたたびせっせとスプーンを運ぶあいだ、目の前の男は頬杖をついて窓の外を眺めていた。




