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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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70.ボンネットバスと汽車に揺られて

 デパートへ行く日の朝、身支度を整えたわたしと九摩留は加加姫様に見送られてバス停へと向かっていた。


「あ、来た来た!」


 到着してほどなく、村で見かける三輪トラックよりもずっと大きい四輪自動車が土煙をあげてこちらに向かってくる。


「九摩留、ちゃんとお行儀よくね。騒いだり座席の上に立ったりしないでね」

「へいへい。何度も言わなくたってわかってるって」


 九摩留は呆れたように笑って答える。

 今の彼はごくありふれた黒髪に膝まである黒いマントを身に着けていた。その下は昨晩できたばかりの袷の長着、そして足袋に下駄という恰好をしている。


 普段着の作務衣と違って動きにくいせいか、九摩留はいつもよりだいぶ口数少ない。

 それだけで見た目相応の落ち着きがあるように見えてくるから不思議なものだ。

 でもこの子がバスや列車に乗るのは初めてのことで、これからなにがどうなるかはわからない。

 そう思うとわたしのほうが緊張してしまう。


 目の前でバスの扉が開くと、頭に小さな帽子を載せた女性が中からにっこりと笑いかけてきた。


「大変お待たせいたしました」


 そう言うと行先と経由地をスラスラそらんじていく。それを聞きながらバスに乗り込むと、座席はすでに半分ほど埋まっていた。

 車窓にそって長く伸びる座席の真ん中辺りが空いていたので、そこに二人並んで腰かける。


「発車オーライ!」


 停留所にいたのはわたしたちだけだったから座るとすぐにバスが動き出す。

 朝の通勤通学時間を外したのは正解だったようだ。

 車掌さんの行先案内や所要時間を聞きながら帯に挟んだ懐中時計を出して、定刻通りの運行であることを確認する。


「どちらまで行かれますか?」

「あ、ええと――」


 運行案内を終えた車掌さんがこちらにやってきたので、行先を告げて準備しておいた二人分のお金を渡す。

 お金を受け取った車掌さんはベルトの下に吊り下げた黒い大きなガマぐちにしまうと、手にしていた紙の束から乗車券をちぎり、パンチで穴をあけて渡してくれた。

 紺色の制服に映える白い襟と笑顔のなんとまぶしいことか。


「はぁ……素敵ねぇ」

「そうかぁ?」


 扉横の定位置に戻った車掌さんは背筋をピッと伸ばして時折窓から外の様子を確認している。

 わたしもお茶のお渡しや洋裁の仕事をしているけど、たくさんの人と接しながら機敏な動きでバリバリ働くその姿は格好いいし美しい。


 美容師さん、タイピストさんと並んで女性の人気職業の一つがバスの車掌さんだ。

 歌にだって歌われるくらい人気があるし、よく映画にも登場する。

 数年前、毎朝利用する大学生の青年とバスの車掌さんの清らかな恋物語をこっそり観に行ったときには、なんてロマンチックなんだろうと数日間はうっとりぼんやりしてしまった。


 でももし今あの映画を観たら、たぶん平常心ではいられないかもしれない。数日間はうっとりどころかハラハラしてしまいそうだ。

 学生だった頃の泰明さんがずっと下宿や寄宿でよかった、なんてことまで思ってしまう。


 バスは素掘りのトンネルをいくつも抜けて快調に道を走っていく。

 九摩留はこちらの予想に反して借りてきた猫のようにおとなしかった。乗り物に酔っているわけでもなさそうで、窓の外を眺める横顔はとても楽しそうだ。

 借りてきた猫もとい狐は、バスを降りてこれから乗る列車を見た途端、一変した。


「おおっ、これが電車か! でっけぇ!」

「これは電車じゃなくてディーゼル動車って言うらしいわよ」

「デーゼル! かっこいいなオイ! はぁ~、デーゼルって言うのかぁ」

「うん、ディーゼルね」


 わたしの言葉を聞き終わらないうちに九摩留は列車の先頭を走って見に行き、すぐさま後尾車両を見に行ってしまう。

 電気で走るから電車。ディーゼルエンジンで走るからディーゼル動車、あるいはもっと短く気動車と言ったりするらしい。

 ディーゼルエンジンがどういうものかまではわたしにもわからない。


 頭の上で大きく手を振って男を呼び戻し、さっそく人の流れにのって列車の小さなステップを上がる。

 扉の近くは横並びで数人が座れる座席になっており、それ以外は列車の真ん中を伸びる通路にそって二人掛けの座席が向かいあわせで並んでいた。


 一緒に乗りこんだ人たちはお喋りしながら座席の上の網棚に大きな風呂敷包みやトランクを載せたり、かと思えば座って早々に帽子を顔に被せていたり、出発に向けての準備をしていた。

 わたしと九摩留は無事に進行方向側の座席を確保する。九摩留はむろん窓側だ。


「よし、順調順調。ここからが長いから覚悟してね。飽きてもつまんないって騒いだらダメだからね?」

「はいはい、騒ぎません騒ぎません」


 九摩留はキョロキョロと車内を見渡しつつ、深緑色のビロードが貼られた背もたれに寄りかかる。と思ったらすぐに窓の木枠をガタガタ揺らしだした。


「九摩留、寒いから窓は開けないでね?」

「おう。わかってるって」


 念のため注意すると、男はパッと手を離して正面を向く。その横顔から静かな興奮が伝わってきてなんともほほえましい。

 乗ってくる人の数は多いものの、さいわいわたしたちの正面にも通路横の席にも座る人はいなかった。

 列車の出発は九時十三分、終着駅到着は十時三十六分。ここからおよそ一時間半近く列車に揺られることになる。


 ちなみに終点に着いても終わりというわけではなく、そこから今度は国鉄に乗って、その終着駅が目的地となる。

 駅からデパートまでは少し歩くけど、なにも問題なければ十一時半までにはお店に入れるはず。着いたら混雑する前に食堂へ直行しよう。

 そう思っていると発車のベルが鳴って、列車はゆっくりと動き出した。


「とりあえず暇だし、しりとりかあやとりでもしましょうか。そうそう、おやつも持ってきたのよ」


 ガタンゴトンと揺られながら、膝に乗せた巾着からキャラメルの箱と紙包みを取り出す。

 おやつと聞いて目を輝かせた九摩留は、紙包みの中身を見て微妙な顔をした。


「これのどこがおやつだよ」

「失礼ね。わたしのお気に入りなのに」


 中に入れてあるのは小さな短冊に切った昆布と裏ごしして出た梅干しの種を天日干しさせたもの。

 列車に揺られている間これをお供にお喋りしたり文庫本を読むのが旅の醍醐味だというのに、九摩留にはわからないらしい。

 でも彼に限らずキミちゃん他複数の友達にも微妙な顔をされているので、わたしの方が少数派だという自覚はある。


「しっかしなぁ。しりとりにあやとりにおやつときたか。いくら化粧したところで、あかりはあかりだな。俺よりよっぽどガキでやんの」


 九摩留はキャラメル箱から一粒つまみあげるとニヤニヤ笑う。

 今のわたしはファンデーションも含めた化粧をして、髪の結い上げだってきちんとやっている。羽織の色も紅鼠べにねずで、昨日よりもっと大人っぽく見えるはずなのだけど。


「あらそう。じゃ、それ返して。大人の九摩留には不要のものだものね」


 つまんだキャラメルを取り返そうとすると、男は素早く口に放りこんでしまう。そして包み紙だけを返された。

 出した紙屑はちゃんと自分で持っていてほしい。


「なぁなぁ、それより俺が喜びそうなものだよ。一体なにくれるんだ?」

「まだ考え中よ」


 わたしは梅干しの種を口に入れると、目の覚めるような酸味としょっぱさを楽しみながら九摩留に返された半透明の油紙をできるだけ正方形にちぎる。

 九摩留の喜びそうなもの。

 つまり、九摩留の好きなもの。


「九摩留は……真冬の雨の日に飲むミルクココアが好きよね。それから塩昆布を添えたこしあんのお汁粉も」


 ちょっといびつな正方形の紙を三角に折って、それをさらに三角に折る。


「でも綺麗なものも好きなのよね。色とりどりのゼリービーンズとか、金平糖とか。変わり玉も、食べてる間はずっと鏡台の前に陣取って舌に出しては眺めてたっけ」


 変わり玉は、味はずっと変わらないけど舐めていると何色にも色が変化していく飴のようなもの。

 これを食べているときの九摩留はとても大人しくしてくれるので、屋敷のみんなが忙しいときなんかは変わり玉を数個与えていた。

 おそろしく硬いのですぐには噛み砕けないのもちょうどよかったように思う。


「九摩留のお花見の定番はみたらし団子。桜の木に登ってわざとみんなにかかるようにタレをこぼしてたでしょ。だからお父さんもお母さんも、みんな頭に手拭いを載せてて」


 折った三角の袋部分に指を入れて持ち上げ、四角に折る。反対側も同じように四角にする。


「夏は井戸でよーく冷やしたラムネでしょ。それから塩をかけたスイカ、冷や麦に入ってるピンクと緑の麺も大好きで」


 四角の対角線上に折り目がまっすぐ入っている。その線に沿うように両脇の端面を折りたたみ、上にできた小さな三角をお辞儀させる。

 一度すべて四角に戻して、角を開かせて細長い菱形ひしがたになるように折りたたむ。これまた反対側も同じようにする。


「秋は茹でた栗を半分に切って、先の尖ったスプーンで食べるのがいいのよね。わざわざ剥いてあげたやつに文句言うんだから呆れちゃうわ。それから落ち葉焚きで作る焼き芋に、泥棒して食べる軒下の干し柿……」


 菱形の両脇の端面をさらに折り込んで、裏も折り込んで。そして両側の端面をぴったりと重ね合わせる。

 開いた片側の下部分を真上に折りたたんで、反対側も同じようにするけど、てっぺんにある先端をちょっとだけ手前に折り返す。


「九摩留が喜んでる姿を思い浮かべると、食べてるところばっかり浮かんでくるのよね。特におやつを食べているとき。だからそのあたりでいいものないかなぁって思ってるんだけど……はい、どうぞ」


 折った包み紙を隣に差しだすと、男は手の平でそれを受けとった。

 なにも言わずに折り重なっている先端をそろりそろりと開いていく。背中の部分がぷっくり膨らむと、小さな小さな折り鶴が完成した。


 九摩留はなぜか無言のままでいる。

 でも手の平にちょんと載せた折り鶴をためすがめす眺めては口の端を上げ下げしているので、嬉しくないわけじゃなさそうだ。


「ふふっ。折り鶴でよろこんでる九摩留だって、まだまだ子どもじゃないの」


 つい笑いながら言うと、彼はやっぱり無言でわたしの顔をじっと見たあと、プイと窓に顔をそむけてしまった。

 なるほど。どうやら難しいお年頃に突入したのかもしれない。


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