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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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69.決意表明

 九摩留の試着が無事終わり、今夜は泰明さんのお見送りなしということで、わたしは加加姫様と一緒に上がり端のことろで足を止めた。

 上り端に腰掛けて靴を履く泰明さんの背を見つめていると、姫様がふとしたように背後にいる九摩留を振り返った。


「九摩留。風呂の湯が冷めておるだろうから、もう一度焚いてきておくれ。今夜はわし、九摩留、あかりの順で入ろうかの」

「それならわたしの番が来るころには仕上げも終わってちょうどいいですね。ありがとうございます」


 いつもは九摩留が最後にお風呂に入るけど、今日はわたしが最後の方がありがたい。

 一方の男は頭の後ろで手を組むと半眼でため息をついた。


「んだよ、また焚くのかよめんどくせー。つーかお姫は飯前にも入って寝る前にも入ってよぉ。どんだけ入ったってババアのガビガビ肌はガビガビのままなんだから無駄なことはやめとけよ」

「特別に明日のこずかいをくれてやろうと思ったが、どうやらいらぬようだな」

「すぐ焚いてくる。好きなだけ長湯してくれていいぜ!」

「あ、九摩留ちょっと! その恰好じゃ……もうっ!」


 男が慌てて勝手口から出ていって、わたしもしまったと土間におりる。

 九摩留は長着を着たままだった。もし焚口から火の粉が飛んで仕立てたばかりの着物に穴でもあいたら。それはさすがに涙が出るかもしれない。

 草履をつっかけてすぐに追いかけようとすると、つん、と控えめに服を引っぱられた。


「あかり。あのぉ……」

「あっ、すみません。失礼しました」


 青年の控えめな声にハッと我に返り、慌てて頭を下げる。

 泰明さんが帰ろうとしているのにいなくなるのは無作法だった。


 なんとなく服をぱたぱたして姿勢を正してから相手に向きなおる。背が高い泰明さんを見上げると、彼はわずかに身をかがめて顔を近づけてくれた。

 こういう何気ない気づかいに胸が温かくなる。


「先日は福豆や花……それにお茶までわざわざ届けてくれて、どうもありがとう。すごく……本当にすごく嬉しかった」

「いえいえ、とんでもないです。もう痛みはないですか? 本当に大丈夫ですか?」

「うん、おかげさまで。痛みより自己嫌悪で死ぬかと思ったけど」

「え」

「泰明。この子は夜なべをしてあまり寝ていない。そろそろよいか」

「…………はい」


 泰明さんはうなずくと、コートのポケットからなにかを取り出す。

 こちらに両手で差し出されたのは、くるりと巻かれた大量の白い紙だった。麻紐でしっかりと留めてあり、さながら巻物のようでもある。


「これ、受け取ってもらえないかな」

「えっと、これは一体……?」

「ただの和紙だよ。汚れてないから、よかったら雑記帳とか焚きつけに使ってくれないかな」

「いいんですか? いただいてしまって」


 まだ使えるなら泰明さんが使ったほうがいいのでは、と思って紙束から青年に目を向ける。

 彼は手を引っ込めることなく、なぜか苦笑を浮かべた。


「僕にはもう、無用のものだから」


 その言葉に、うしろでふっと笑む気配があった。

 振り返ると少女がわたしに赤い眼を向ける。


「あかり、ありがたくもらっておけ。それはこの者の決意表明なのだ」

「決意表明、ですか。ちなみになんの決意表明ですか?」

「…………ごめん。それはまだ、内緒にさせて。いつか……話すから」


 なんの気なしに言ったことは、なにやら聞いてはいけないことだったらしい。

 青年の顔がはっきりと強張って、声も聞き取りづらいほど小さくなる。


「わかりました。それじゃあ遠慮なくいただきますね」


 事情はよくわからないけど、触れてほしくないことなら無理に聞き出すつもりもない。

 受け取った紙をぱらぱら触ってみると、半紙と奉書紙ほうしょしの二種類が巻かれているようだった。


 和紙は習字で使うだけじゃなく、小さく切って懐紙にしたり、封筒がわりにちょっとなにかを包んだり、あるいはお茶請けのお皿替わりにしたりといろいろな場面で使うことができる。

 お父さんが拝み屋の仕事をするときにも紙垂(しで)や複雑な切込み、折り目のついた美しい御幣などを作るのに、それこそ大量の和紙を必要としていた。

 ありがたく使わせてもらおうと思っていると、泰明さんがおもむろに姿勢を正した。


「あかり。僕、ちゃんと変わるから。本当の本当に、本気で変わるって決めたから。だから、その、ええと」


 伸ばした背が少し丸まる。

 緊張したような表情は、どこか不安そうだった。


「格好悪くてごめん。でも、これからも…………そばにいていい?」

「泰明さん……」


 ふと目に入った彼の拳は、よほど強く握っているのか白くなっている。

 考えるより先に手が伸びていた。

 拳に触れた瞬間肩を跳ねさせる青年に、いろんな感情が押し寄せてくる。


「わ、血!」


 手を開かせれば、その指先が赤く染まっていた。見れば手の平に血が滲んでいる。

 もらいたての和紙を急いで板間に広げて一枚取り、小さくたたんで手の平に強く押し当てる。

 それから姫様が渡してくれた手拭いを歯で思い切り引き裂いて即席の包帯を作ると、当てた紙の上からきつめに巻きつけていった。


 その間、泰明さんはおろおろするように身体を小さく揺らしていた。

 なんだかわたしのほうがずっと大人みたいで、ちょっとだけお姉さん気分になってしまう。


「泰明さん。あんまりおかしなことを言うと怒りますよ?」


 ギクリと硬直するような気配に苦笑する。


「いていいもなにも、これからはずっとそばにいてくれるんでしょう? それならわたしだって……泰明さんが変わっても、変わらなくても、わたしはずっとそばにいます」


 手当てした手を挟むように両手で包む。

 前を見ると、泰明さんは無言でこちらを見ていた。


 今だけはわたしだけを見てくれている。わたしの声に耳を澄ませてくれている。

 それが手に取るようにわかって、ささやかな独占欲が満たされていく。


 今だけは、この人はわたしのものなのだ。

 それがどうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく哀しい。


「わたしはあなたを嫌いになんてなりません」


 ふいに口から出た言葉は、わたしが喉から手が出るほど欲しい言葉でもあった。

 すぐそばで息を飲む気配があり、思わずそちらに目をやる。

 姫様はとても優しい眼で――懐かしいものを見るようにこちらをじっと見ていた。


「……男前だな、あかりは。さすが我が嫁」


 赤い眼の奥でなにかが揺れていた。

 でもその感情がなにかまではわたしにはわからない。


「そりゃあ、姫様のお嫁さんですもの。男前の姫様にふさわしくなければいけませんからね。自然と男前になるのかもしれません」

「違いない」


 胸を張ってちょっとおどけた風に言うと、姫様は楽しそうにくつくつ笑った。

 少女が腰に手を当てて青年に向き直り、にーっと大きな笑顔を浮かべる。


「どうだえ、わしの嫁御は。い女だろう」

「ええ、はい、本当に……」


 くしゃりと笑うと、泰明さんは片方の手でわたしの手の甲を包んだ。

 自然とお互い両手で握手するような形になる。


「僕、品行方正な普通の男になるからね。きっと君にふさわしい、自慢に思ってもらえるような男になるから。だからそれまでは……欲しがりません、勝つまでは」


 所信表明のような言葉にいろいろ聞きたくなってしまうけど、詮索はぐっと我慢する。

 でも最後の言葉には思わず声が出てしまった。


「泰明さん、戦争はもう終わりましたよ。欲しがってもいいんですよ?」


 泰明さんはすごい勢いで姫様を見る。

 少女は朗らかに笑うと、青年に向かって腕で大きくバツを作った。


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