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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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64.お見舞い

 節分の翌朝。

 いつもの巫女装束のかわりに洋服に着替えて身支度をすませると、奥座敷の火鉢に鉄瓶をつけてから少女の枕元に膝をついた。

 掛け布団から半分だけ顔を出して眠る加加姫様に声をかけると、うっすらとまぶたが持ちあがる。


「姫様、それでは行ってきますね。すぐに戻りますから」

「む……気をつけて行っておいで。あぁ、ちょいとお待ち」


 布団に入ったままで少女はちょいちょいと手招きする。立ち上がりかけた体勢をもとに戻すと、姫様がわたしの手を取った。

 それから、持っていた梅の枝束にふっと息を吹く。


「わぁ……」


 そのほとんどがまだつぼみでポチリポチリと咲いているばかりだったのが、神の息吹いぶきで一斉に花を咲かせる。

 お気に入りのリボンで結んでみたものの寂しい感じのする枝束だったのが、今やたくさんの薄紅と白に色づいた花束になっていた。

 梅の花から甘く豊かな香気が広がって、思いがけない春の気配に心が浮きたつ。


「ありがとうございます、姫様」

「ま、これくらいはな」


 お礼を言うと少女は小さく笑みを浮かべ、おもむろに大きなあくびをする。

 そのまま白の長いまつ毛が赤い眼を覆い隠してしまった。


「七時になったらちゃんと起きて食事してくださいね?」

「わかったわかった。ほれ、おぬしも早く行っておいで……ふぁぁあああ」


 本当にわかってくれてるのだろうか。

 なんだかしめしめ、と言わんばかりの嬉しげな気配が伝わってくるのだけど。


 奥座敷を出てお勝手に行くと、人に化した九摩留がこちらに背を向けてガスコンロの前に立っていた。

 彼はもう、自分の力で自由に人になることができる。

 でも人身を取れる時間は姫様によって決められていて、いつもならこの時間は強制的に狐の姿をしているはずだった。

 わたしはコートとマフラーを身に着けて靴を履き、九摩留のすぐ横に立つ。


「九摩留、ありがとう」

「なにが?」


 こたえる声はどこかぶっきらぼうだった。ちょっとやさぐれている感じもする。

 男はこちらを見ず、ガスコンロにかけた釜の木蓋を取って中をのぞき込んだ。


「朝ごはんとか、お掃除とか。かわりにやってくれて、どうもありがとう」


 これからわたしが行こうとしているのは、泰明さんのお見舞いだった。

 姫様と九摩留には昨日のうちに許可をもらってある。

 お見舞いといってもまだ苦痛の真っ只中ということはわかっているので、会わずにお花とお茶、福豆を届けるだけ。


 節分には自分の歳の数だけ豆を食べるのだけど、昨日はそれどころではなかったのでお見舞いも兼ねて渡しに行こうと思ったのだ。

 その数は泰明さんが二十七粒、わたしは二十一粒で、九摩留は四粒。姫様は数百粒もあるのでそのままで食べるわけにはいかず、いつも石臼で引いてきな粉にしてからたっぷりとお餅に絡めて食べている。


 九摩留に今朝の料理だけじゃなくわたしがやる予定だった掃除までお願いしているのは、彼の着物作りに集中するため。

 結果的に彼には仕事を沢山押しつけてしまった。


 九摩留はなにも言わずにコンロの前から離れ、すぐまた隣に戻ってくる。その手には囲炉裏から取ったと思われる火のついた枯れ枝を持っていた。

 大きな手が慣れた様子でガスの元栓を開き、枝先の赤い火で青い炎の輪をサッと描く。

 男は火点けのすんだ枯れ枝を顔の前にかざすと、ゆっくり移動していく火をじっと見続けた。


「それと……昨日のことも。本当に、どうもありがとう」


 わたしも枯れ枝を燃やす火を見つめながらお礼を続ける。

 九摩留のおかげですぐに院長先生に来てもらうことができた。わたしの足で呼びに行っていたらかなり時間がかかってしまったと思う。

 泰明さんが倒れたきっかけは九摩留だったけど、使い走りに出てくれたのも九摩留なわけで。


「本当は嫌だったんだぜ、俺。でもあかりのために行ってやったんだ。この飯作りだってあかりのためだ。そこんとこわかってるか?」


 ようやく九摩留がこちらを向くと、フンッと大きく鼻を鳴らした。


「うん。本当に感謝してる。ありがとう、九摩留」

「言葉だけか?」


 そこではじめて彼はニヤリと笑った。

 枯れ枝をピッと振って火を消すと、その先端をわたしに向けてくる。


「言葉だけじゃあ足りねえな。俺、あかりの誠意が欲しいなぁ」

「せ、誠意って……」


 ありがとうと言うだけじゃだめなのだろうか。

 ……でも確かに、感謝のしるしになにかを贈るのはよくあることで。


「あ、新しく作る着物じゃ、誠意にならない?」

「んー。おばあだったらなにもなくても俺の着物を作ってくれるだろうし、そもそもあかりだってそういうつもりで作ろうとしたわけじゃねえだろ? それを今から誠意の印ですって言われてもなぁ。ずるくねぇか?」

「ぅぐ」


 九摩留の言う通りだ。

 お母さんがいない今、姉のわたしが弟の着るものを仕立てるのは当然のこと。謝礼にするのは違うと思う。

 男は頭の後ろで手を組むと琥珀の瞳を細めてわざとらしい声を出す。


「あーあ、あいつのとこに行かせるために仕事まで変わってやる俺、すっげーえらいなぁーめちゃくちゃ心が広いなぁー」

「……ねぇ、九摩留はなんでそんなに泰明さんのことが嫌いなの?」


 前から気になっていたことを聞くと、彼は途端にそっぽを向いた。

 

「教えてやんね。ほらほら誠意はどうすんだ? んー?」

「んむむ……。じゃあ、逆にどうしたら誠意になるの? なにをしたら、なにをあげたらいいの?」

「俺が具体的に要求するとババアがうるせえ。自分で考えな」

「ヒントは?」

「じゃあ、俺が喜びそうなものをくれ」

「わかった。少し考える時間をちょうだい」


 とりあえずこの件はいったん保留にしよう。それより今はお見舞いに行かなきゃだ。

 わたしはガスコンロの前を離れると玄関の引き戸を開けた。

 振り返ると、九摩留もコンロから離れて流し場へ向かっていた。括られた黄褐色の髪が揺れるのをなんとなしに目で追うと、急に彼がこちらを振り向く。


「とっとと帰ってこいよ。飯、置いといてやるから」

「……うん、ありがとう。それじゃあ行ってくるね」


 どこか寂しそうな琥珀色に少しだけ罪悪感を覚えつつ、玄関を閉めて飛び石の上を渡る。

 ――九摩留の喜びそうなもの、か。

 つまり彼の好きなものを考えていけばいいものが見つかるかもしれない。

 わたしは早速記憶を手繰りよせつつ、屋敷をあとにした。




 屋敷から倉橋医院まではわたしの足で片道一時間半。

 少し早足気味に歩いて、予定よりちょっとだけ早く医院の裏手――院長先生のお宅の玄関に到着した。


「ごめんください!」


 大きく声を張りあげると、出迎えてくれたのは女中のお竹さんだった。

 近所から通いの彼女はもう出勤していたらしい。わたしの姿を見ると驚いたように目を丸くする。


「おはようございます、お竹さん。朝早くにすみません。院長先生……いえ、澄子さんをお願いできますか?」

「ええ、もちろんですとも。奥様ー!」

「はーい、ちょっと待ってくださーい!」


 お竹さんが叫ぶように呼ぶと、すぐに返事が返ってくる。

 ほどなくして奥から出てきたのは洋服姿に割烹着を身につけた院長先生の奥さん、澄子さんだ。


「どうしまし……あら、あかりちゃん!」

「おはようございます澄子さん。お忙しいときに申し訳ありません。あの、泰明さんにこちらを渡していただきたくて」


 満開となった梅の花束とお茶、福豆の包みを差し出すと、澄子さんは優しく微笑んだ。


「まぁまぁ、わざわざありがとうね。あなたー! ちょっとー!」

「あ、いいんですいいんです!」


 今は朝の七時半。倉橋医院は八時から開くから診察の準備真っ只中のはずだ。

 看護婦さんをしている澄子さんだって院長先生と同じくらい忙しいわけで、本当は彼女を呼ぶことだってはばかられるのに。


「おうおうあかりちゃん、おはようさん。どうしたんだい?」


 奥から出てきた院長先生は昨夜とは違ってワイシャツにネクタイをしめ、白衣の前もきっちりボタンをとめていた。髪も後ろに流して固めている。

 やや小柄な澄子さんに対して院長先生は人一倍背が高いから、二人が並ぶとそれぞれの身長が際立って見えるようだった。

 澄子さんのほうが院長先生より年上だけど、身長のせいか院長先生のほうが年上のように見えてしまう。


「おはようございます、突然来てしまってすみません。泰明さんに渡していただきたいものがありまして……あ、それからこれなんですが――」


 お茶の袋に手紙を入れていたものの、院長先生が来てくれたので直接説明をする。

 持ってきたのは止血に効く煎じ薬だ。泰明さんの目に関してはおまじないだけじゃなく、お茶を渡してもいいことになったのだった。


 手紙には配合したものと分量をすべて書きつけてある。院長先生にそれを読んでもらったうえで泰明さんに飲ませるかどうかの判断をお願いした。

 普通だったら素人がでしゃばるなと怒りそうなものだけど、彼はその場で突き返すこともせず、なにも言わずにわたしの話を聞いてくれた。


「あぁ、結膜下出血のね。あれはこっちもできることがないからなぁ。うん、ありがとう。ちゃんと確認させてもらうよ」

「ありがとうございます。不要でしたら、泰明さんが屋敷に来られるときに渡していただければと思います。それか、ご迷惑でなければ医院で処分をお願いできればと」


 頭を深く下げると、どこか感心するようなため息が聞こえた。


「けなげだねぇあかりちゃんは。なんかさ、ほんともったいないよね。おじさんあれに与えたくないなーって思っちゃう」

「あなた! 変なこと言うんじゃないの!」


 思わず顔を上げると、澄子さんが背伸びして院長先生の頭をべしっと叩いているところだった。

 院長先生は一歩うしろに下がると奥さんの頭の上に両手を載せて寄りかかってしまう。澄子さんは忌々しそうな顔でその手を払おうと躍起になっているけど、彼はこちらに悠然と笑みを向けたまま動じた様子もない。

 仲が良いのか悪いのか。


「だってさぁ、あいつもうけだものじゃん。そんであかりちゃん、なんか生贄みたいじゃん? 俺も葉月に加担しちゃおっかなー。九摩留狐、結構よさげだったし」

「あっ、そういえば九摩留、なにか失礼はしませんでしたか? ひどいことを言ったりものを壊したりしませんでした?」

「うんにゃ、なにも。泰明が倒れたから来てほしいって言われただけよ。オート三輪で移動してるときも、こっちの質問にはちゃんと答えたし。寡黙かもくで硬派な男だね。おじさん嫌いじゃないよ」

「そうですか……」


 姉のわたしからすると、とてもお喋りだし硬派という印象もないのだけど。

 さては借りてきた猫……いや狐なのだな。


 葉月ちゃんのお店でお世話になっていても、どうやら人見知りはなおっていないらしい。

 とはいえ葉月ちゃんとはよくお喋りしているみたいだから、心を開いた人には普段の九摩留になるのかもしれない。


「それでは、この辺で失礼いたします。泰明さんにお大事にとお伝えください」


 用件がすんだので世間話もそこそこに頭を下げると、院長先生がようやく澄子さんを解放して会釈を返してくれる。澄子さんも院長先生を二、三発と背中を叩いてから会釈を返してくれた。


「はい、ありがとう。また来てねー」

「あかりちゃん、今度は遊びにきてね。待ってるわ」


 手を振る院長先生と澄子さんに何度か頭を下げつつ、わたしは医院の裏手から表にまわった。

 見上げた二階のカーテンはすべて閉じられている。

 

 早く良くなりますように、と心の中でつぶやくと、わたしは来た道を戻っていった。


舞台が昭和30年代前半であることを考慮して、看護師ではなく看護婦としています。

ご了承ください。

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