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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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62.邪の目(1)

「今、九摩留が院長先生を呼びに行ってくれました。泰明さんの具合はどうですか?」


 横たわる彼に掛け布団をかけながら、わたしはひそひそと加加姫様に話しかけた。


「相当痛みがあるはずだが、うめき声ひとつもらさぬな。ここまで我慢強いとは思わなんだ。いやはや、たいしたものよ。逆にどこまで耐えられるか試してみたいのう」


 姫様が赤い眼を楽しげに輝かせる。

 その姿は死に体の昆虫を無邪気に観察する童女のようだった。

 悪気はないのだろうけど、さすがにその言葉はどうなのか。


「苦しんでいる人を前にそんなことを言っては駄目ですよ」


 たしなめるように声を固くすると、彼女は首をすくめて頭を掻いた。わたしは少女の隣に正座して泰明さんを見つめる。


「姫様、教えてください。これはどういうことですか?」

「泰明がわしの血を濃く引いていることは知っているな?」

「はい」

「わしの血が特別濃いものは、異能を持ってしまうことがある」


 こちらに顔を向けてどこか妖しい笑みを浮かべる少女は、ほっそりした人差し指を自分の眼の下に当てた。

 美しい赤の瞳がわたしの目をのぞき込む。


「異能とはじゃの眼……邪の眼だ。基本は相手の動きを封じることだが、本気を出せば自分の意のままに操ることができる。だがこれは当然人の身には過ぎた能力でな。ひとたび使えばその後は三日三晩激しい痛みに苦しめられることにもなる。例えるなら、そうさのう……全身の皮膚をゆっくりと炎で炙られながら、指やつま先はカンナで細かに削り、腕や足の肉骨はノコギリでいくつもの輪切りを――」


 生々しい描写に思わず手で耳をふさぐ。

 姫様は唇を弧に結ぶとわたしの頭を優しくなでた。恐るおそる手を離すと、彼女は穏やかな声を出す。


「泰明は異能を使った。だから今、死んだほうがましだと思えるような苦痛を絶賛堪能中だ」

「そんな……。姫様のお力でどうにかしてあげられませんか?」

「してあげられなくもないが、してあげるつもりはない」

「でも!」

「大丈夫だよ、あかり……。それにこれは、いましめだから」


 薄く目を開けた青年がこちらをまぶしそうに見上げる。

 あ、と思って立ち上がり座敷の電気を消した。急いで居間からろうそくとマッチを持ってきて、部屋の隅にある行灯あんどんに火をともす。


「ありがと……少し楽になった」


 泰明さんはほぅっと息を吐いた。どうやら強い光に過敏になっていたらしい。

 目は依然として赤く、なんとも痛々しい。

 

「あの、今からわたしが薬を作っても――」

「そんなものは効かぬ。これはある種のさわりだ。それに、わしはどうにかしてやるつもりはないと言ったぞ。我が意に反するか?」

「……申し訳ございません」

 

 赤い眼は怒っていない。でもその静かな声音に背筋が冷えた。

 ふたたび青年を見ると、彼は焦点の合わない赤い目でぼんやり虚空を見つめていた。


「でもまぁ、目の血は偶発だからの。よってそのまじないくらいは許して――」

「きちきちときちめく浦にさわぐ血も このこえきけばながれてとどまる。血の道や父と母との血の道や この血は止まれ父のこの道。オンアビラウンケンソワカ。オンコロコロセンダリマトウギソワカ」


 姫様の言葉が終わらないうちに手を伸ばしていた。

 青年の目元に触れながら、止血のおまじないと真言を唱える。


 わたしは残念ながら拝み屋の知識や技術は持っていない。

 だからこれは民間に伝わる気休め程度のものでしかないけど。おまけにお医者様におまじないだなんて笑われるかもしれないけど。

 でも、ただじっと座っているのは嫌だった。


「ありがとう。ほんとにやさしいね、君は」

「喋って大丈夫ですか?」

「ん……。いつもみたいにはいかないけど、気がまぎれるから……」

「ふふ、大した男よの。だがその痛み、なかなかのものであろう?」

「ええ。気が触れそうです」


 くすくすと笑う少女に、青年は苦笑してみせる。


「おぬしの言ったとおり、それは戒めよ。その苦痛は抑止力にもなっておる。異能をむやみやたらに使わぬようにな」


 行灯ひとつの暗闇のなかでも彼女がにやりと笑うのがわかった。

 

「今後それを使うなとは言わぬ。だが使う相手は考えた方がよいな。今回は特別に大目に見てやるが、本来ならおぬしを殺しているところだ。いやぁわしもすっかり甘くなったものよ」

「お目こぼしいただき、ありがとうございます。よほどのことがない限りは……もう絶対に使いません」


 しれっと放たれた少女の言葉に心臓が跳ねた。

 でも泰明さんがすぐに宣言してくれたことで、ほっと胸をなでおろす。


「それがよい。あとはわしの嫁御を心配させるでないぞ。体調不良の場合は屋敷への訪問を禁ずる。明日は来るな。よいな?」

「…………はい」


 姫様の言葉に、わたしの背中をいやな汗が流れる。


「姫様、もしかして聞こえてました?」

「カカッ。聞こえておったし泰明にも伝えたぞ」

「姫様……」


 面白がるような声にわたしは顔を覆いたくなった。

 九摩留との話をそのまま伝えたとしたら、タダ飯云々の話を聞いたとしたら。泰明さんは遠慮してもう来なくなってしまう可能性もある。


 いつでも、いくらでも。好きなように食べてくれたらいいとわたしは思っている。

 費用の問題があるなら、彼のお代はわたしが倉橋様に出したっていい。

 作ったごはんをおいしそうに食べてくれる姿がなによりの代価になるから。


 具合が悪い時は来るのを控えてほしいと言ったけど、でもそれは迷惑なんじゃなくて体調の悪化を防ぐため。

 そうじゃないときは――わたしは会いたいと思ってしまう。

 毎晩一緒に食事してお喋りするひとときは、今やすっかりかけがえのないものになっていた。

 それがなくなってしまうのは……正直悲しい。


 暗がりの中で、泰明さんがこちらの様子をうかがっているような気配がした。


「あかり、あの……。ここでの食事に関しては、ずっと前から父――当主にも姫様にも、許可は取ってて……。実は、食費も当主に渡していて……」

「え!? そ、そうだったんですか?」


 予想外の言葉に目が点になる。

 わたしはそんな話、まったく知らない。

 世話役なのにそんなことは一言も聞かされてない。


 隣の少女に顔を向けると、彼女はこくりとうなずいた。

 どういう話し合いがあったのかはわからないけど、わたしが知らなくていいと判断されたなら……ちょっとだけショックだ。


「だからその、今更だけど……もしあかりが迷惑じゃなくて、負担でもなかったら……できればこれからも、ここに来たくて……」


 おずおずと布団から言葉をつむぐ青年は、なんだか一生懸命にお願いごとをする少年のように見えてくる。

 こんなときなのにほほえましく思えてしまって、自分の頬をつねりたい。


「迷惑でも負担でもありませんよ。それに料理のお手伝いだって、洗い物だってしてくださってるじゃないですか。お礼の栞だっていただいてるんですから。泰明さんさえよければ、毎日ここに来てください。ご飯を作ってお待ちしています」

「……ありがとう……」


 泰明さんがほっとしたように表情をやわらげた。

 わたしも思わず頬が緩む。でも、少しだけ険しい顔をあえて作った。


「ただし、ひとつだけお願いがあります。泰明さんはこの村の大事なお医者様なんです。どうか他の方々のためにも、少しでも身体の調子がおかしいなと思ったら、ご自愛をお願いします」

「………………はい。ごめんなさい」


 叱られた子どもが泣くのをこらえるかのように、青年は少しだけ湿った声を出す。

 思わず掛け布団をぽんぽん叩くと、布団から手が出てきてわたしの手をそっと握ってきた。

 ドキリと心臓が弾んで、身体が急速に熱くなる。


「わがまま言ってごめんね。でも、あかりのごはん、毎日食べたくて……。本当は夜だけじゃなくて、朝も、昼も。それで毎日一緒に過ごして、一緒に寝て、一緒に起きて。毎日たくさん喋って、笑って。そうして過ごしていきたい……」

「ぅ、あ、あの、泰明さん?」


 ぎゅう、と手を強く握りしめられる。

 行灯の微かな明かりに照らされて、黒曜石の瞳が濡れたように光っていた。


「あかり。僕、あかりのことが――」


 そのときだった。


「こんばんはー」


 玄関の開く音とともに院長先生の声がした。

 ハッと居間に続く襖を見て、彼の手をゆっくりほどく。


「泰明さん、院長先生が来ました。ちょっと行ってきますね」


 返事を待たずにそろりと座敷を抜け出して玄関に向かう。

 院長先生はニットのセーターにスラックスという薄着で白衣をはおり、往診用の黒い大きな鞄を手に下げて待っていた。その足元は素足に下駄で、大急ぎでここまで来てくれたのだとわかった。

 院長先生のうしろでは人に化した九摩留がぶすっとした表情で立っている。


「院長先生、お越しいただいてありがとうございます。泰明さんが――」

「具合が悪いんだって? いやー珍しいこともあるもんだ。鬼の霍乱かくらんてやつかね。それじゃちょいとお邪魔しますよって」


 院長先生は慌てた様子もなく、こちらを安心させるような笑みを浮かべると、カランと音を鳴らして下駄を脱ぐ。

 それを横目に、九摩留は仏頂面のまま流し場へ行ってしまった。

 彼へのお礼はあとで言うことにして、わたしは院長先生を座敷に案内した。

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